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「mg.」vol.1掲載「保留コーヒーは誰の手に」あとがき その1

毎号ひとつの食べ物をテーマに思いをめぐらせるZINE「mg.(えむじー)」。私はテーマの食べ物が話のポイントになるような小説を創刊号から書いています。


「mg.」の記念すべき創刊号のテーマは
「珈琲」でした。

編プロを退職後、フリーで細々ライターの仕事をしながら、5歳、3歳、1歳の3人の子育て真っ只中の頃です。
編集長のかわかみ氏が「一緒に本をつくらない?」と、声をかけてくれました。

メンバーは同じ文学部の友人でもちろん話したこともあるけど、私は不真面目な大学生だったし、彼女たちと大学時代の思い出を深く共有できるかと言ったらそうではなくて、それなのに、声をかけてくれたことがものすごく嬉しかった。友人という括りに入っていたことがとても。

そして、きっとこれは「小説要員で呼ばれた!」と勝手に思いました。

というのも、大学一年の頃、私の声かけで始まった「文芽(もんが)」というフリーペーパーで小説を載せていたからです。
これはもう今は開いて読むこともできないほど私にとっては負の歴史なのですが、制作中の人間関係など諸々に疲れてしまって、私は2冊つくって、制作から抜けました。
人の上に立つのは向いていないと、心底思った出来事です。

私が小説を初めて書いたのは、
中学1年の夏休みの自由研究でした。
今では信じられないけど、内容は冒険ファンタジー。それを読んだ当時の国語の先生が「もっと書いてみろ!」と言ってくれ、創作活動が始まります。
中学3年の時、地方新聞の文学賞に原稿用紙50枚の小説を応募。最年少佳作。

「いつか自分の名前で本が出せたらいいな」

そんなことを夢見るようになります。

でも、高校に進学し、現実世界の自由度が高まるほど、文章が書けなくなっていきました。
頭や原稿用紙の中で描く世界より、
自らが刺激的な世界に飛び込んでいく方がはるかに楽しくて、とにかくいろいろな社会経験をしました。初めての彼氏もできて、華やかだけど恐ろしい大人の世界も見ました。尊敬できる大人にも出会ったし、親友と呼びたい友だちもできて、とにかく充実して毎日が忙しかった。

勉強はもういいやと思っていたけど、
高校卒業後の進路を考えたとき、私の中に残っていたのはやはり「いつか自分の名前で本を出したい」という気持ちで、その時期ちょうど、同世代の綿矢りささんと金原ひとみさんが芥川賞を受賞。若さとは本当に怖いものなしだなと今となっては思うけど、彼女たちを見た私にブワッとした何か(羨望や嫉妬の類い)が湧き上がってきて「書いて生きる」と、大学進学を決意しました。
かっこいいこと言ってる風だけど、当時の私は茶髪エクステでアイラインばっちりなその辺にいる女子高生でした(笑)続く

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