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梅雨の暑い夜に

※以下、梅雨の季節に書いていたらいし文章を下書きしていたものです。
下書きしていたことを忘れていたけど、なんとなく今のタイミングで公開してもいいかなと思えました。


今年はさらに暑い、と毎年言ってるのではないかと思う。
例のごとく、今年はさらに暑い。

だからか、最近は十分な睡眠がとれていなくて、今も入眠までの暇つぶしで結局スマホをさわってしまっている。


私は残念ながら、小さい頃から絶妙に体が弱い。
大病を患っているわけではなく、小さな不調がたくさんある感じ。

最近、ある人がこんなことを言っていた。
私はずっと仕事を休まず、小さいときから一度も体調不良で学校を休んだり、仕事に穴をあけたことがないことが唯一の自慢です。

すごいけど、なんてもやもやを誘発されるんだ…と思う文章だった。

そりゃ、並大抵の努力ではないんだろうなと思いつつ、努力でどうにもならないことだと思えることも経験してきたように思う。

なんで私の体は、心は。
そう思うことは、思ったことがない人たちには分からないのかもしれない。
ただ、当たり前を振りかざすことの恐怖は感じる。

自分の当たり前がついつい他の人の当たり前になってしまいがち。
でもそれってとてーも怖いことで、危険なことだと思う。
それを自覚できなくなったら、私は相当におかしくなっていると思うから、そうはならないようにメンテナンスをはかりたいと思う。

できることが当たり前の人と思っている人の中にも、やさしい人はもちろんいるんだろうけど、できることを当たり前としている人に奥深さは感じないし、弱さを知っている人の方が強いように感じてしまう。

べつに無理やり弱くなる必要はないけれど、いくらでも自分の中に弱さを取り入れることはできると思う。
それを選ぶか選ばないか、それが奥深さに深く関係している気もする。


抽象的かもしれない。
分かりずらいかもしれない。
それを分かろうとするか、そこが分かれ目な気がする。

人生楽しく、楽に生きよう〜というのでもいい。
大変だからこそ、そういうマインドになるのかもしれない。

ただ、私は奥深くありたいから、たくさんの知らないことを許容できる自分でありたいし、そのためのメンテナンスや努力は欠かしたくない。

要はそんな決意みたいなことです。
大切だと思っていた人に分からないと言われて、その事象に悲しいし、自分がおかしいのかなと思う気持ちになったりもするけど、それでも分からないと言われている自分を許容してあげたい。

世の中そんなに簡単に分かることばっかりじゃない。
大変なこと、辛いこと、努力でどうにもならないこと、そんなことたちをいっぱいいっぱい抱きしめられる度量でいたい。

まだ、分からないと言われたり、嫌煙されたりして落ち込まない境地には正直いられていなくて、いちいち悲しんだり、ショックを受けたり、泣いたりしてる。

それでも、それさえも愛おしく抱きしめられるようになりたい。


きっと、暑いだけじゃなてたくさん考えるから、脳の交感神経が優位に、過敏に働いてしまってそう。
深呼吸して、落ち着いて、目をつぶって、明日のために寝てみる時間になったかも。

私はあなたのすへては理解できない。
でも理解したいと思っています。


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