ききたい

パク・ウンギョンに〇〇について聞いてみた(1)

「ちょっときいてみたい 音楽の話」第八弾は夏休み版。日本から足を延ばし韓国・ソウルにて、韓国人作曲家のパク・ウンギョン(Eunkyung Park - 박은경)さんにご自身の活動について、また韓国現代音楽事情についてお聞きしてきました。ちょっときいてシリーズ、バックナンバーはこちらから。(インタビュアー:わたなべゆきこ)

――(わたなべ)パクさんとは、これまで何度かお会いする機会がありましたね。2015年にトンヨン音楽祭(Tongyeong International Music Festival)に招待されて行ったときも、遥々トンヨンまで来てくださって、お話させて頂きました。日本では、武生国際音楽祭に勉強にいらっしゃったり、海外のアカデミーにも積極的に参加されている。非常にアクティブな作曲家さんのイメージです。それではまず、これまでの活動ついて教えてもらえますか。

(パク)まず高校から、芸術系の学校で作曲を勉強しました。

――(わたなべ)既に高校から。

はい。それからソウル大学で修士まで。その後フランスに留学したんです。

――(わたなべ)フランスって、私が拠点にしているドイツとも違うシステムですよね。

そうですね。私はブロニュー国立音楽院(Conservatoire à rayonnement régional de Boulogne-Billancourt)というところで勉強したんですが、専攻が分かれていて、オーケストレーション、アナリーゼ、エクリチュールと作曲、と別々なんですね。私はその中で、作曲とオーケストレーションを勉強しました。

――ドイツ圏からはどうしても耳慣れないんだけど、エクリチュールっていうのは、どんなことをやるんですか?

例えば「モーツァルトの時代のメロディに適した和声を考えてみましょう」とか。そういうことをじっくりやっていって、最終ディプロマの試験では、モーツァルトとシューマンの課題が出る。それに通過したら合格。日本で言う修士修了程度かな。

――へぇ、ドイツとは全然違うシステム。学士と修士っていう分け方でもない?

そうそう、フランスの音楽院は大学ではないんですよね。逆に高校卒業しなくても入れたりするんですよ、大学とは別のものだから。友達でも、音楽院と大学、両方通っている人もいましたね。今は、他の欧州の国に合わせてシステムも変わってきているみたいですけれども。私がいた時は、そういう感じでした。

――そもそも、留学先としてフランスを選んだ経緯は?

韓国の作曲家としては、実は珍しいんですよね。

――そうなんですか?日本人は留学先って言えば、パリ!みたいなイメージ、まだどこかあるんですけれども。

韓国と日本、違うところかもしれませんね。韓国人は、断然ドイツ。恐らく韓国人作曲家、ユン・イサンの影響もあると思うんです。特に、当時ソウル大学はドイツ色が強い大学でした。今でこそ、色々な国で勉強した作曲家が講師になっているけれど、私が習っていた時代は、教授や周りの先生の多くがドイツ留学経験者でした。

そういった環境の中で、私は珍しくその当時から、どちらかというとドイツよりフランス系の音楽が好きで、その響きが私にはとても新鮮に聞こえて、それでフランスに勉強に行くことにしたんです。今はフランスでも韓国人作曲家を見ますが、当時は超少数派でしたね。ブロニュー音楽院入学当初も、唯一の韓国人作曲家でした。

――パリには何年くらいいたんですか?

5年くらい。

――その後、ソウルに戻ってらしたと。パリに留まろう、とは思わなかったんですか?

留まれるなら留まりたかったんだけど…難しかったんですよね。学生が終わって働こうと思っても、EU以外の人間がそこで職を得るのは、簡単ではなかったんです。学生終わったら即帰国しなきゃいけない、みたいなところがありました。学生が終わると、ビザの更新が難しくなってしまうんです。

――ドイツだと、例えば学生が終わったら、一年間猶予があるんですよね。就職準備のためのビザが出る。

私がフランスにいたのは、十数年前のことですけれど、その当時フランスにはそういうのもなかったんです、今はまた制度が変わってるらしいんですが。

――なかなか過酷ですよね。学生終わってすぐに、食べていけるほどの仕事がある、なんてケース稀でしょうしね。作曲家としての仕事がね。

そうなんです。だから、学生中から仕事を探しなさい、って言われていたんだけど、私には難しかったですね。あとはもう「欧州の人と結婚するしかない」みたいな冗談もよく言われました。

――そういうこと、よく言われますよね。パクさんがフランスから韓国に帰ってきたのはいつ頃ですか?

2009年頃だったと思います。

――ちょうど、2019年、今年で帰国されてから10年目なんですね。現在はソウルを中心に教育活動に携わりながら創作活動を続けてらっしゃる。

そうですね。ただ最初、本帰国してから3年間くらいは何もしてなかったんですよ。

――それは、なんで?

韓国の音大で働こうと思ったら、普通は実績が必要なんです。ここで言う実績っていうのは、主に卒業後に行ったコンサート活動。韓国では自作を演奏してもらうのに、自分で全て負担して、コンサートをオーガナイズしなければいけない。演奏家への謝礼、コンサート場所のレンタル料、チラシ、全て賄わなければなりません。もしくは、学会などの公募で選出されることもあるけれど、数としては少ない。とにかくそうやって活動を重ねないと、仕事に応募することもできないんです。

――職を得るためには演奏会をしなければいけない、でも演奏会をするのにお金がかかる。それって、にわとりと卵、どっちが先かっていう話ですよね。周りからの経済的補助がないと成り立たない。

そうなんですよね。だからまずスタートラインに立つことが難しいんです。

――日本ではどうだろう。私は経験がないけれど、少なくとも絶対条件ではないんじゃないかなぁ(この辺り読者さんたちにお聞きしたいです)。

韓国でも大学によって違うと思うんですが、例えば、ソウル大学では教員になってからも、少なくとも二年に2回以上コンサートをしなきゃいけない、そういう決まりになってるんです。実際は平均的に一年に2回くらいやっているんじゃないかな。

――なるほど。半年に一回、コンサートもしくは作品発表の機会を得なければならない。教員をしながら、毎年そのペースを保ち続けるのは、場合によっては難しいかもしれませんね。

パク・ウンギョンに〇〇についてきいてみた(2)につづきます。

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