ききたい

森紀明に〇〇について聞いてみた(6)

PPP Project 「ちょっときいてみたい 音楽の話」第五弾は、作曲家でサックス奏者の森紀明さん。森さんは、日本でサックスを学んだ後、アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学でジャズを、ドイツ、ケルン音楽大学大学院で作曲、電子音楽を学び、現在は拠点を日本に移し、幅広く活動されています。創作における「欲」「オーケストラを作曲すること」「音楽の質」「A to B」、そして最終章「聞かない」です。

――この前の森くんのジャズのコンサートを聞きながら、こう思ったんです。インプロって、植物みたいな感じだなって。AからBに向かう、大きな幹はあっても、小さな枝が複数分かれて、葉っぱがあっちにもこっちにも伸びていく。作曲していると、どうしても「あそこに蒔いた種は回収しないと」って、最後取りにいってしまうんだけど、ジャズの場合は、それがない。もっと自由にそれぞれの枝を伸ばしている気がするんです。

これも面白いテーマだと思います。即興はその最中にはなかなか後ろを振り返れないから、その時その時に起こる事象に反応する結果、葉っぱがあちこち伸びるように聴こえるのかもしれないですね。とはいえ、そのような演奏をすれば良い音楽になるという保証もないんだけど。
だから良い音楽に出会った時に「なんで、これは良いんだろう」ってよく考えるんだけど、大抵わかんないんですよね、理由が。

――そうそう、わからない。

わからないんだけど「この音楽が良かった」感覚って、その場にいる多くの人に共有されている時ってありますよね。あれが何なのかってよく考えるんです。

――そういう時ありますよね。場の空気というか。例えば、インプロでうまくいくコツみたいなもあのってありますか?

これは個人的な感覚だけど、例えば即興に関しては「あまり周りを聞き過ぎないこと」。「これ上手くいったんじゃないか」っていう時の録音とか聞いて分析すると、「それぞれが自発的にやりたいことをやっていて、結果的に層になっている状態」なことが多いんですよね。

――でも「聞かない」って難しい。聞いちゃうと思うんです、普通は。

難しいです、それに紙一重。例えば、誰かに合わせて作り出した「無音」より、三人がそれぞれ演奏していて、偶々生み出された「無音」のほうが、強度が高いと思うんです。外見的には同じでも、その意味合いが大きく違ってくる。その音なり音響的なイベントに「内的必然性があるかどうか」って重要だと思うし、自分の作曲でも大事にしている要素ではあるんですよね。

ーーそれってすごく面白そう!いまは氷山の一角にいる感じで、ここから広がっていきそうなテーマですね。

何か一つ線があって、周りがそれを装飾するっていうことじゃなくて、一つ線があったら、それと同じくらい強度のある線が違う層に平行して存在してるっていうイメージというか。そして、個々のイベントの強度がそれぞれ高いことが大事で、そこから面白さが生まれてくるのかなって思います。

――うーん。なるほど。演奏する人の、意識の問題?

それぞれの音楽的イベントに対してヒエラルキーを考えるっていうよりは、どこにも中心がないっていう状態っていうのかな。

――あ~、層状になっていく感じ。

例えば良く出来た複雑なアンサンブル作品を聴いていて「何でこんなに音が沢山あるんだろう」「どうしてそれでも音楽として成立するんだろう」ってかつて思っていたんですが、「層状の音楽なんだ」って理解することで、何か腑に落ちる部分があったんです。

――その人がやっている音楽イベントが線だとしたら、それって平行して、同時に存在できるものだと思うんです。ハーモニーで全体のバランスを見ていくっていうより、対位法的思考というか。

さっき話したヴィクター・ウッテンが「リズムが良ければ、何を弾いても良い、それは間違いにはならない」とも言っていたんです。とても示唆的だと思うんですが、作曲に置き換えて言うと「それぞれの線の強度が強ければ、縦をそんなに気にしなくても成立する」って解釈することもできるかなと。

――あぁ~。

そんな当たり前のこと、って言われるかもしれないけど(笑)

――いやいや、大きいテーマだし、そこもっと掘り下げていけそうですよね。じゃあ、例えば、逆に森くんがつまらないって思うのはどういうもの?

つまらない音楽???

――もし「これはつまらない」「これは面白い」のジャッジをするとしたら。

うーん、インプロ的なもので言うと、一人でも「何をやりたいかわからない人」がいると成立しづらいというのはあると思います。「人に合わせすぎる」と面白くない。もし合わせるなら「合わせるぞ」っていう強い意志を持って合わせる、そうじゃなくて、単に流されて合ってしまってるんだったら、あまり良い結果にはならない。だから、全体を見渡してバランスを取るのも時として大事だけれど、各々が「自分はこれをやります」って貫く方が、結果として説得力のあるものになるんじゃないかと。

楽譜に定着させた作曲作品でいうと何だろう、、予測不能な方が面白くて、予見できてしまったり、ある一定の時間を埋めていたりっていうのは、、やっぱりつまらなく感じるかもしれないですね。曲中で起こる音楽的イベントに、作曲家自身の自発性が感じられるもの、に惹かれるというか。

――なるほどね~。個々人の自発性!私たちの社会のようなものかもしれませんね。自分がない人がいたり、他人に必要以上に同調する人がいると、話してても「モヤモヤ」してしまう。でも、どんな意見でも「主張」があって、「違い」を許容することができると、社会としての強度って強くなると思うんです。森くんが言っている「音楽的主体性」って、そういうことに近い気がします。

うんうん、そういうことを音楽でしようとしているっていう意識はあります。

――森くんはリングに上がらないし、音楽の中で社会を作ろうとしていて「平和的作曲家」ですよね。

平和的作曲家(笑)それを聞いて思い出したのは、宮崎駿さんが前に引退会見で「子どもたちに、この世は生きるに値するんだということを伝えたい」って答えていて、それにとても共感したんです。

それぞれの人生に意味を見出すきっかけになれれば、というか。自分自身も音楽に救われてきた部分はたくさんあったから。

そしてちょっと例としてはアレなんですが、それを実現する一つのモデルになりうると個人的に思うのは、、、、飲み会(笑)

――飲み会???

うまくいった飲み会。

――ああ、ありますね。うまくいった飲み会と、うまくいかなかった飲み会。

みんなが自発的に話せて、且つ、話したことによって本人に「気付き」があったりする、そういう飲み会はうまくいったな、って思うんですよね。それってある種幹事的な観点かもしれないけど、そういう場を提供したいっていう。

――あぁ、それもなんか森くんらしい。

さっきの即興についても、同じような感覚はあります。ベースは即興でも、それぞれの参加者から自発的な何かを引き出せるような仕掛けを作りたいというか。その結果、それぞれにとって今までとは違うものが出てくれば、それはとても嬉しい。

――よっぱらいの会話って、もはやキャッチボールではないんですよね。言いたいこと言い合うだけ。聞いてなかったりもするんだけど、本人は満足してる。でも、その中で輪を乱す発言をする酔っ払いが出てきたら?いや、音楽上の話で。

キャッチボールは大事だとは思うんだけど、言いたいことを好き勝手に言い合う事で成立するコミュニケーションもあると思うんです。それに、そういう和を乱すものも許容できる場を作りたいという気持ちもある。ほら、コンサートとかでずっと咳出ちゃうことだってあるじゃないですか。そういうこととか、、、お客さんが大きな音で席を立ったり、赤ちゃん泣いたりしても、それさえも作品の一部になるような音楽。

――懐深い。

なんか、そういうほうが面白いなって単純に思うんです。作曲でも即興でも。外のノイズもパフォーマンスの一部になってしまうようなもの。

――俯瞰してる!

いつも残念だなって思うのは、身体的な関係でその場にいられない、子どもが騒ぐからってコンサート会場にいられないケース。曲によっては難しいかもしれないけど、それも許容できる音楽があって良いよなって。

――それって、森くんが社会をどう見てるかっていうこととダイレクトに結びついているんだろうなぁ。具体的に今後社会の中でどうしていきたいか、こんな活動をしていきたい、とかアイディアがあったら、教えてもらえますか。

個人的に自分の音楽活動を通して実現したいと思っていることは、シーンを作るということ。

もっと正確にいうと、作るというよりはそのシーンの一部になること。

何でこんなことを言うかというと、例えば東京ってあれだけたくさんの音楽家がいて、現代音楽やジャズ、クラシックを問わず、物凄くたくさんのコンサートが日々行われているにも関わらず、シーンとしての顔があまり見えない気がするんです。

例えばニューヨークだったら、オーセンティックなジャズ・シーン、アングラなインプロシーン、現代音楽シーンとかって結構イメージが浮かぶんだけど、東京ってそれがあまりない。ベルリンも浮かぶしノルウェーとかも浮かぶ、パリもあまりよく知らないけど現代音楽シーンについてはイメージは結構しっかりある。けれども東京には総体としてどういうシーンが存在しているのかっていうのがあまり感じられない気がするんですよね。だから、東京でしか聴けないユニークな何か、そういうものの一部になりたいなと思って活動しています。

――森くんが作る、新たな音楽シーン楽しみです。今日はお忙しいところ、時間を取ってくれてありがとうございました。

こちらこそありがとう。なんか今日はわたなべさんのレッスンを受けているような感じもあって楽しかったです(笑)

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ー森紀明イベント情報ー

2019年12月6日と7日に、作曲家の東俊介氏と立ち上げたプロジェクト”Crossings”の記念すべき第一回公演がトーキョーコンサーツ・ラボで、また関連公演が12月11日に韓国、ソウルで行われます。

このプロジェクトは、芸術における地域の枠組みの拡大と、ジャンルに捉われない新たな表現の可能性の追求を目的として立ち上げられました。第一回は、ダンサー、振付家の青木尚哉氏率いる”青木尚哉グループワークプロジェクト”とのコラボレーションで、東、森の新作の他、ケルン時代の同僚でもある韓国人作曲家、Seunghyuk Lim, Myunghoon Park両氏に新作を委嘱し、”Tokyo x Seoul, Dance x Music”と題して、動きと音の新しい関係性を探ります。東京ではPhidias Trioが、ソウルではEnsemble Einsが演奏家として参加します。関連して、6月21日に秋葉原の海老原商店にて、青木氏主催で、動きと音の関係性について考える、エビラボ Vol.3 勉強会「音楽とダンス」。マッチング・パフォーマンス「square」が行われます。

また、2019年8月3日には、12月の本公演の前のプレイベントとして、東、森の他に、作曲家の黒田崇宏氏、ダンサー、振付家の木原萌花氏、美術家、ダンサー、振付家の敷地理氏を交えて、”Crossings ~ Showcase Vol.1~”が水道橋Ftarriで開催予定です。ぜひご来場ください。

ちょっときいてみたい 音楽の話、7月は、指揮者で作曲家の宗像礼さんです。お楽しみに。

若手作曲家のプラットフォームになるような場の提供を目指しています。一緒にシーンを盛り上げていきましょう。活動を応援したい方、ぜひサポートお願いします!