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「伝わる」ために考えたいこと

「伝える」が「伝わる」になるために必要なことはなんだろう。

ふと、昔のできごとを思い出した。

とあるファミレスにて。隣のお客さんが「このクーポンを使いたい」と店員さんに申し出る。店員さんは「それは使えません」と回答。「そんなはずはない」とお客さんが粘る。店員さんが上司に確認すると、使えるクーポンであることがわかったらしかった。

店員さんは戻るとすぐ「申し訳ありませんでした」と深々と謝った。お客さんは少々不満げな様子。やりとりの中でも店員さんは再度「申し訳ございませんでした」と謝る。さらにやりとりが続き最後に席を離れる際、再度「申し訳ございませんでした」と丁寧に謝っていた。


このやりとりを客の立場で聞く中で、そんなに謝らなくても…と思いつつ、ある気づきがあった。それは謝罪が重なるたび心情が変化していったということ。

1回目の後は、まだ小さな怒りがある状態。

2回目の後は、もういいよとすっきりした状態。

3回目の後は、ご丁寧に…と恐縮する状態。

もちろんこれは私が感じたことであって、そのお客さんがどう感じていたのかはわからないけど、少なくとも私が当事者だったらネガティブな感情はいっさい残らないだろうという印象をもった。

逆に考えると1回だけだと、伝える側が思っているよりも受け手側に届いていないのかもしれないな、とも感じた。

ここに「伝える」と「伝わる」の壁がある。

伝えたのに伝わってない。
言ったのに聞いてないと言われてしまう。

こういう状態が起きるのは「伝える」と「伝わる」がイコールだと思ってるから。伝えたんだから伝わってるでしょと思い込んでしまう。でもそこには思った以上に高い壁があると自覚する必要がある。

自覚してはじめて「じゃあどうしたら伝わる?」を考えられる。

先のエピソードの場合は、店員さんが意図したのかはわからないけど、「3回丁寧に謝る」が結果的にはお客さんに伝わった(と思う)。

これは完全な推測だけど、店員さんはお客さんの様子をよく見てたのではないか。1回謝ってみて、どうか。2回で、どうか。そして3回目、と。相手の様子に合わせて、どうしたら伝わるのかをその場で考える。それは回数なのかもしれないし、言葉の選び方、伝え方、仕草かもしれない。

例が例だけに「ひたすら謝ればいいのか」と誤解されるかもしれないのですがそうではなく。「伝えました」「言いました」だけでは伝わらないこともあるんだよな、と。ただそれだけです。

伝わってないかもしれないという、少しの疑いをもつこと。
ではどうしたら伝わるんだろうと、相手の様子をよく見ながら、こちらのコミュニケーションを柔軟に変えていくこと。

「伝える」が「伝わる」になるために。
いつだって、相手が受け取る矢印のほうを意識したい。


今日は一年に一度の「ことばの日」。
「伝わる」について考えてみました。




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