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手編みのカーディガンは父の宝物だった

「ゆきこ、これ覚えてる?」父がそう言って見せてくれたカーディガンは、私が中学1年の時に編んだものだった。かれこれ30年以上も前だ。大切にしまわれていたらしいそのカーディガンは、かすかに防虫剤の匂いがした。

父は、夏に母が亡くなると、付き添いに病院へ行く必要がなくなり、家に帰ってくるようになった。それまであまり行けなかった仕事上の接待や職場の飲み会などにも行けるようになった。

初めは仕事で忙しくしているのが嬉しそうだった。今まではできるだけたくさん母のそばにいる時間を作るために、職場では肩身が狭い思いをすることもあったのだろう。母が亡くなったのはもちろん悲しいのだが、その反面ようやく本来の日常に戻ったという感覚もあったのかもしれない。

けれど、母が亡くなった本当の悲しみは2、3か月経ってから迫ってきたようだった。父は次第に口数が少なくなり、笑わなくなり、夜はお酒をたくさん飲むようになった。

父にもう少し元気になって笑ってほしい、そのために自分にできることはないか。ちょうど季節は秋で、これから寒くなるぞという時期。その少し前に父が私に家庭教師をつけてくれたのだが、その人は編み物が上手だった。そうだ、父には内緒で、勉強と一緒に編み物も教えてもらって、何か手作りのものをプレゼントしよう。

初めて自分で編み物の本を買い、縄模様のあるカーディガンを編むことにした。とりあえずは本の指定どおりに毛糸と道具を購入した。この時、私の棒針編み経験は、ガーター編みで15㎝角程度の大きさを試し編みしたことがあるだけ。マフラーすら編んだことがない。それなのに、目の増減やらはぎ・とじやらのあるカーディガンなんて、今思えば無謀な挑戦だ。

それからしばらく、夢中で編んだ。家庭教師の先生に目の作り方から始まり、表目・裏目など基本的なことを教えてもらったが、一度編み図の読み方と手の動かし方が分かれば、あとは単純作業の繰り返し。編み物は性に合っていたようで、寝る時間を惜しんでひたすら編み、意外と早く一通りのパーツが編み終わった。

さてこれらをつなげてカーディガンの形にすれば完成だ。というところで全部の編み地を並べてみて大きさが違うことに気づいた。初めの方に編んだ編み地は目がゆるく全体的に大きめだが、終わりの方になるにしたがって目がきつくなり、きゅっと縮こまった編み地になっている。

編み直すのは嫌だ。今編み直していたら春になってしまう。もう冬に入ってずいぶん寒くなってしまったし、完成を急ぎたい。なるようになれ、と強引につなげてみたものの、そのカーディガンは後ろと前の丈が違い、右より左袖の方が短めで窮屈、という代物になった。

そんな出来の悪いカーディガンでも父はとても喜んでくれた。絶対に着心地が悪いと思うのだが、時々ちゃんと着てくれて「すごく暖かいよ」と言ってくれた。父が喜んでくれたことが嬉しかったし、カーディガンを完成させたことがとても誇らしかった。

カーディガンは父の心痛を少し和らげることができたかもしれないが、完全に癒せるものではない。父はやはり沈んでいることが多かったし、私は私で反抗期へと突入し、父とは距離をおくようになった。けれど未だに父がカーディガンを大切にしてくれているのは、ただ物持ちがいいということではなく、少しは私にも父を支えることができたからなのだと思いたい。


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