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これから介護を始めるあなたへ(3)

介護ブログ(猫とビターチョコレート)で「これから介護を始めるあなたへ」というテーマで、在宅介護をしている・していた人たちからメッセージを集めました。

みんな同じ

出来ない事が増えていく父を受け入れられませんでした。何でご飯こぼすの!とか、しっかりリハビリしてよ!とか…。ご飯こぼすのには理由があって、リハビリしたくない事にも理由があって。いつまでも父でなく子供と思って接しなくてはいけなかったのかなと思ってます。(女性・50代・入院中)
復職して訪問看護師になりました。介護あるあるって感じで仕事も自分の介護も楽になりました。いろんな工夫を真似っこしたり、うちではこうやっているとか伝えて、ちょっとした工夫で介護は楽になると知りました。介護が必要になっても出来れば仕事はやめて欲しくないです。出来れば、介護ネットワーク、介護友達を作った方がいいと思います。
(女性 四十代  27歳から母の在宅介護。認知症の父とのW介護も経験)
フルタイムワークでなくても、毎日実家に行って、83歳の父や母の暮らしの手伝いができて、自宅で、夫と私の2人分の食事をつくる日々を、きちんと丁寧に過ごしていこうと思えるようになりました。どれも、必要な時間で、それぞれの時間から学べることがあって、気づけることがある。フルタイムワークでばたばたしていると、見えてこない小さな丁寧な暮らし。家族と濃い時間を過ごすことが、貴重なことなんだと。置かれた状況からしか学べないこと(病気、医療、ひとの体のことなど)、見えないもの(介護対象となる人の昔の記憶、友人、思いなど、こちらが知らなかったこと)があります。
それに気づくと、とても新鮮で楽しかったりする。介護の時間も意味があるものとして、前向きに取り組めるようになったのは、そういったことがあるからだと思います。
(55歳女性。介護の手伝いをしながら、在宅パート仕事に就く。)

こんな方法も

積極的にたくさんの会合に参加して、その時その時でたくさんの知識を学び、仲間を作りました。今は、公的支援もNPO等の支援も、その気になれば自由に参加出来る機会が多いです。
介護の最初から終末期まで、一人で抱え込まずに、介護を世間にオープンにして、たくさんの方の知恵と力を借りて助け合いましょう。
20数年間の介護生活でしたが、父の時・母の時・夫の時、それぞれ症状も違い、その折その折に苦労もありましたが、あらゆる人に助けて頂きました。悲しいことですが「介護には最期がある」のです。(70代女性・介護生活20数年)
困っていることなどは、随時検索
車椅子での散歩時、道路の両端が水はけのために側溝側に傾斜しているのを知らず、車椅子の車輪が傾き危うく側溝に落ちそうになりました。
見守りカメラや、ナースコールのようなものが重宝しました。
夜間、見守りカメラをベッド付近に置いておくと、親の呼吸での身体の上下運動などで、呼吸数がわかり、発熱してないかどうかの大きな目安となりました。
「だめ」が沢山ある生活にならないようにするにはどうしたらよいか、なかなか難しいですが…
在宅介護のときはきょうだいでの交代制だったので、引き継ぎがてらノートにお互い記入していた。いろいろ発見があったように思います。
試行錯誤の連続かもしれないですが積み重ねてきた経験は必ず、大きな糧になっていけると思います
(はじめの一歩 女性 40代 在宅介護→サ高住)

徘徊対策

(徘徊した日は)警察に保護されるまで大体まる1日待つのが恒例でした。
だんだんグッズで対策がとれるようになり、よし、と思ったところで母にガンが見つかり施設の二人部屋にはいることになりましたが、最初から対策がとれていたら楽だったと思います。徘徊対策の最終形態を書いておきます。
1、gpsを父の靴とサンダル両方に仕込み、ヘルパーさんに充電をお願いする。
2、寝室と居間に見守りカメラをつける。寝室は、暗視カメラに。
靴だけにgpsをつけていた時は、よくサンダルで迷子になられていました。
母が充電を忘れるようになったため、ヘルパーさんに頼むことに。
見守りカメラで父が寝たのを確認できると、私も安心して寝られました。
私はみなさんの介護ブログにずいぶんと助けて頂きました。
グッズ情報もそうですが、気持ちの面で、みんな頑張っていて 私ひとりじゃないとか、こう考えればいいのかとか、教えられ励まされて、介護に向かうことができたと思います。
これから介護が始まる人には、気持ちわかるよ、ひとりじゃないよ、と伝えたいです。
(女性、50代、父施設、母死去

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