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佐藤剛さんの訃報に際して

音楽プロデューサーで作家の佐藤剛さんがお亡くなりになりました。
生前、お世話になっていた佐藤剛さん。普段、「剛さん」と呼んでいたので、この先はその呼び方で書かせて頂きます。

日本の音楽シーンにおいて、欠かすことができない人の1人であろう剛さん。最近だとNHK「星野源のおんがくこうろん」に、”ゴウかいせついん”として出演されていました。
きっと、このnoteを公開する時には、剛さんの経歴などもたくさんのところで出ていると思いますが、以下に簡単に記しておきます。

音楽業界誌「ミュージック・ラボ」を経て、シンコーミュージックに入社後、1977年から1985年の解散まで甲斐バンドのマネジメントを。THE BOOM、宮沢和史、中村一義、スーパーバタードッグ、ハナレグミなどなど、錚々たるアーティストをプロデュース。
舞台やイベントも手掛け、ノンフィクション作品の『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」天才たちはいかに出会ったのか』(文藝春秋)などなど。

佐藤剛プロフィール TAP THE POPより一部抜粋
佐藤剛さん

私が、剛さんに初めて会ったのはいまから10年ほど前。
ミュージックソムリエ協会が行っている、ミュージックソムリエ講座を受講していた時に、講師としてお話をして下さったのがきっかけでした。
初めてお目にかかった佐藤剛さんは、細身で柔和なおじさん。

剛さんの話す内容の一つ一つが好奇心をくすぐり、私はずっと「そうなんだ!へえ!おもしろい!」と食い入るように話を聞いてました。と言っても、詳しい内容は今となっては曖昧になっている、というダメさ具合が私そのものという感じですが、ワクワクした気持ちだけは覚えています。

ミュージックソムリエ講座が修了した後も、私はミュージックソムリエ協会と懇意にしてもらっていたこともあり、剛さんと顔を合わせ、話をする機会に恵まれていました。

ミュージシャンでもアーティストでもない私が、剛さんから頂いたものは、「ラジオで話す機会」と「音楽記事やコラムを書くこと」の2つ。

もちろん、この2つをするためには、さまざまな方のご尽力があり、それが奇跡的に上手く重なっているのですが、そのうちの1人は、間違いなく剛さんです。

TBSラジオで、音楽のことを話すコーナー出演のレギュラーが得られたこと。(これが私のラジオデビューでした。)
それと、音楽コラムで書いて、お金を頂く立場になっていること。
なんとも生意気な書き方をしていますが、その立場になるための機会を下さったのは、確かなことです。

何もなかった私に、剛さんはご自身が関わっているサイトで「音楽のことを書いてみない?」と声をかけてくださり、書いたものに対しても、良いものは「良いね」と言ってくれたり、書けずに腐っていたら電話を頂いたりしたこともありました。それがあったからこそ、いまも仕事としてもコラム書くことができていると思います。

剛さんに会うのは、少し緊張もしましたが、出したものに対して「良かったよ」と言って貰えることで、自分の"自信貯金"ができていたように思います。アウトプットしたものに、一定の正しさがあったと認めて貰えた感じです。
FM FUJIで朝番組のパーソナリティーになった直後、「なかなか上手くいかない…」と言ったら、剛さんから「週イチでやるということは、1年だけやるとしても52回。それだけ経験ができるわけだよ。」と言われ、少し気持ちが軽くなったのを覚えています。(お陰様で、朝番組は3年続きました。)

きっと私は、ミュージシャンや音楽業界の方たちとは、少し違った関わり方を剛さんとしてきたように思います。
剛さんは、ご自身がいま調べていることを話して下さったり、良いなと思ったアーティストのことも、たくさん話してくれました。"門前の小僧~"なんて諺がありますが、剛さんに会うことで、私はアウトプットするための準備や覚悟のようなものを知ったように思います。

剛さんの訃報は、ご遺族の意向もあり、今日(6月26日)公表されていますが、その知らせを私は少し早めに頂いていました。でも、まったく実感が沸きませんでした。コロナもあったので、物理的にも、なかなかお会いできずにいたのも、その理由かもしれません。

実は、先週の土曜日に、剛さんに最後のお別れをさせて頂きました。対面して、やっと実感が沸いたのか涙があふれてしまい、「ありがとうございました」という言葉を絞り出すだけで精一杯でした。

経歴を改めてみると、本当に凄い人だったんだなと思いますが、それを感じさせずに、気さくに話してくれる方でした。岡村靖幸さんのことを「ヤスユキ」と呼ぶなど、会話の中でポロっと出てくるワードから経歴の凄さを感じることもありました。
私がTRICERATOPSを好きな事を覚えていてくれて、「ライブ呼ばれたから一緒に行く?」と誘って下さったのに、ライブ開始1時間くらい前に、「原稿の進みが良くて、いまを逃したら書けなさそうだから、ライブは1人で行ってね。」と電話してきた剛さん。
思えば、たくさんのエピソードがあります。

台湾音楽のnoteは、文章がカジュアルすぎるから、もう少しブラッシュアップしなさいと言われていたのに、まだ直せずにいます。ごめんなさい。

もう少し、剛さんには良い報告ができるようになっていたかったし、恩返しも全くできていません。恩返しを剛さんが望んでいるとは思いませんが、もう少し活躍した自分を見て貰いたかった。

腐っている場合でも、拗ねている場合でもないですね。
とりとめのない私の感想だけを書いてしまい、剛さんの功績は、このnoteからは伝わらないと思います。もしかしたら「このnoteの記事は、まとまりが無くて良くないね。」と、剛さんから言われてしまうかもしれませんが、私はコレを書かないといけないような気がしています。

剛さん、ありがとうございました。
たくさんのことを学びました。
どうぞ、安らかに。

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