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うつわのスタイリストが、美術や社会問題について学ぶ理由

最近勉強してます。インスタなど突然美術とか社会問題について喋り出してどうしたんだと思われてるかもしれないのでどういうことか書こうと思います。

政治が変わると美術も変わる

占星術では「風の時代」と言われたり、現実世界でも新型コロナウィルスによって世界中が変化を強いられている。SDGsの目標へ向けて大企業まで変わろうとしてる。確実に転換期にあるのを肌で感じてます。私は今37歳で、バブル崩壊とか東日本大震災とかそれなりに大きな出来事が世の中であったはずなんですが、圧倒的に今「世界が変化してる」と感じてます。

歴史上政治が変わるときは美術や工芸も影響を受けて劇的に変化します。コロンブスが海を渡ったから磁器がヨーロッパに届き、清王朝によってヨーロッパへの磁器の出荷が途絶えたからこそ有田焼の輸出が盛んになります。フランス革命があるからこそ王宮のきらびやかなロココから新古典主義に「美」のブームは変わるし、室町幕府が倒れて戦国武将が台頭するからこそ力強い狩野派が「かっこいい」ものになる。

政治や社会の変化とともに何が素晴らしいか、美しいかは変わる。

では、転換期にある今の時代は何が美に問われているか。それは倫理ではないでしょうか。(※ゆきこ調べによる仮説)

美=倫理の時代

この2〜3年くらいSNSで燃えまくる炎上案件を見ていてちょっとしんどくなったり、そんなに燃えることなのかな?と思うこともあったり自分の中の倫理観が問われることが多発しました。ジェンダー、ルッキズム、著作権、さまざまな差別意識…個別についてどう思うかは今は問題にしません。それよりもっと大きな流れとして、なんにせよ倫理的なことが話題になる。倫理的なことがホットな時代なんだということを感じました。

そしてもっと大きな流れとして、2030年へ向けてSDGsという目標が定められ大変注目を集めています。サスティナビリティという言葉がちょっとしたバズワードのように誌面を飾るくらい地球環境へ配慮することが一般化しつつあります。

たとえば、美の極み!みたいなジュエリーだってエシカルなブランドが人気になったり、ファーやレザーといった高級品ですらエコレザーやエコファーのほうが素敵という空気もあります。美の権化のようなメイクだって、ジェンダーレスになったり様々な人種や体型の方がモデルに。今後こういった美意識の影響が、もっとささいな日用雑貨にまで浸透するはず。

今後は美しいものを作ることにおいて、いやむしろ美しさとは?という定義そのものに倫理がベースにならざるをえない時代に突入しそうです。

うつわの美も変化していく?

私は食器が専門のスタイリストなので、うつわのことは何より一番関心があります。うつわは実用品であると同時に美術品としての側面もあります。日本では茶の湯の文化とともに発展した美術品であり工芸品で、時代とともに「どんな茶碗(や食器)がかっこいいか?」は変化していきました。

うつわも美と無縁ではなく社会や政治と無縁ではないのです。もとい歴史的にも密接に関係して発展してきました。

ただ食べ物が乗ればそれでいい、という実用だけ突き詰めれば話はおしまいなのですが、オシャレな食器の良さってそういうことではないですよね。私はおしゃれな食器、かわいい食器、かっこいい食器っていいなあと感じてそういうことを書いたり仕事にしたりしているので食器の美は大問題です。

”生活を彩るアイテム”としての食器とはすなわち、日常の中に美を見出すことだと思います。私が千利休でなくとも「何が美か?」ということを考えずに生きてくわけにはいかないと思うわけです。

かつて貿易や戦争、権力者の交代によって日本美術の美が変化していったように、この時代の大きな波の中で政治が変わり社会が変わり「美」が変わると、日常における美もまた変わっていくのではないでしょうか。

なんだかすごく大きな話をしましたが、その大きな話と日常の小さな話はつながっています。この私の部屋のテーブルに置かれた一枚の皿。これを買って手にしていいなあと感じることと、世の中の大きな流れはつながっている。世の中が変わって「素敵」が一新されたら、これから手にするお皿一枚の価値も変わっていく。

そして美に倫理が紐づく世界になるなら、倫理を考えざるを得ないと思います。というわけで歴史や美術史はもちろん、SDGsについてとかもね、勉強しているわけですね。

学びの良さとは、自分の体験以上のことを経験できること。

美術史や歴史を調べ直し本を読みしていると、自分の中で足りなかった部分が補完されていくのを感じます。

これまで仕事や主だった食器のこととかのメインは自分の体験から来るものがほとんどでした。実際に使ってみて感じたこと、見て触って知ったこと。ただ、自分の経験だけで何かを考えようとすると限界がある。だって自分の人生で体験することってすっごく少ないじゃないですか。たった一人の体験なんだから。それに対して本で読んだり歴史を学んで知ることって、当たり前ですけど自分の何百倍いや何千倍、とにかく数え切れないたくさんの人の経験を知ることですよね。

なんとなく自分の中で限界を感じるなあと思ってたことを、今学んで蓄えている感じがします。すぐ使えるスキルじゃなくて、知的な厚みを埋めていくというか。

これまでの人生経験で感じたことから得られる何かだけではなくて、これからの世の中にチューニングを合わせて生きていくために、歴史や社会からの学びを通して自分の仕事とか生活とかを考え直したい。今そんな気分です。

Twitter:@yukiko130
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