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漢字で読み解く古事記 稲羽の素兎

古事記の漢字表記から古代史を読み解く試みをしています。

稲羽の素兎

大国主が大穴牟遅(おおあなむち)の頃、兄達が美しいと評判の八上比売に求婚するのに荷物持ちとして同行します。気多之前で裸(あかはだ)の兎を見つけます。兄達は兎に海水を浴びて風に当たれば治ると教えます。言われた通りにした兎は、塩が乾くに連れて肌が痛み、痛くて泣いている所に大穴牟遅が来て、訳を聞く。

兎は淤岐島(おきのしま)からこの地に渡ろうとして方法が無く、海の和邇を騙して渡り、嘘がバレて、衣服を丸剥ぎにされた。さらに兄達に、騙されて肌が痛んだ。大穴牟遅は兎に水で身体を洗って、ガマの花を身体中につければ、治ると教えた。その通りにして傷が癒えた兎は八上比売は君のモノになると予言した。

稲羽之素兎

素 ソ しろぎぬ もと もとより 糸を染める時の形白い生地のまま残った部分

兎 ト うさぎ ウサギの形

しろぎぬのウサギは身ぐるみ剥がされて赤肌     赤色の須恵器(弥生土器)、装飾のない素焼きの土器。 この土器は、製塩に用いられ、海水を入れ、天日干して塩を取った。熱効率を上げるため、もともと薄く作ってありヒビ割れて破損する事が多かった。

気多大社は、能登國一之宮、ウサギはこのルートから、太平洋側の蒲郡に抜けて、塩の道を作った。気多大社の祭神は大穴牟遅である。

蒲郡には、縄文早期の形原遺跡、弥生土器が多く出土する赤日子遺跡があり、古代から人々が生活していたのがわかる。この集落でこの製塩土器が多数発掘されている。

海の和邇(わに)氏は海神綿津見の一族と推測されます。蒲郡にある赤日子神社は、綿津見、海神を祀る神社であり、またお皿様と呼ばれる磐座があり、古来から祭祀の盛んな場所でありました。だから塩は必須アイテムでもありました。

また雨乞いに霊験あらかたな神社であり、水田農耕との深い結び付きを感じさせます。

稲羽と言うのは、稲作の伝来でしょう。つまり、狩猟採集社会とは敵対するものです。和邇を騙して入ってきたとは、海で狩猟をしていた生活から、稲作への転換を意味しているのではないでしょうか。

また、沿岸部は、塩害により、稲作には適しておらず、米がヒビ割れる様を、掛けていると思われます。

八上比売とは、神を左右に分断する比売と言う意味が含まれている。白山を意味していると考えられます。白山信仰がもたらされ、従来の信仰が変化したと考えられます。それは稲作文化由来の信仰であった。

もう一つ、この三河の地域は古来養蚕が盛んで赤引き糸の産地であった。伊勢との深い関わりが指摘されている。三河を通して、日本海側と伊勢が結びつく。

さらに枕詞の赤ら引くは、皮膚にかかる。蒲郡でウサギの皮膚の赤ら引くにも掛けています。

ウサギは宇佐にも通じています。ウサギは月の使徒。白は新羅にも掛けられています。白いウサギは何者でしょう?

ウサギが入ってくるずっと以前から、海人は日本海側に交易ルートを持ち、その文化は常に河を通じて太平洋側とも往来していた。

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