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呪咀合戦 伊邪那岐と伊邪那美の夫婦喧嘩

伊邪那岐と伊邪那美の夫婦喧嘩は、飛騨山脈帯を介して行われた。
伊邪那美は、東側長野を
伊邪那岐は、西側富山を
千引石(ちびきいわ)にて黄泉比良坂を塞ぐ。
伊邪那美は「人草1日に千頭(ちかしら)くびり殺さむ」
と呪うと
伊邪那岐は「1日に千五百の産屋立てむ」と返した。

道反之大神(ちがえし)は、地変えしで天体観測の地を変更した。
また糸魚川静岡構造線が通るため、フォッサマグナと大断層があるわけだが、ここで地質が変わっている事も引っ掛けている。

そして禊ぎ祓え(3削ぎ、33切し、8良う)を行う。

東側は戸隠の鬼、九頭竜権現の地
9なし(鬼無里)の地、9進法の地、であり、33(3曽)の地。(曽は重ねるという意味がある)、3の乗数の地。
頸城は9引き


西側は、9を含む10進法(十拳剣)で数字を扱った。
穢れは9枯れで、
禊ぎはミソぎ(33(9)切る(=6)、3削ぎ)
浄めたは9(季)読めた。


9のない世界を祓い、6を活用し、9を作り、日を区切り、節目を作った。
そして禍(まが)ー曲りを正した。直線の世界になった。

伊邪那美の呪咀
千頭くびり殺さむは、1000の頭1を9で括り算する
つまり729
また1000の頭を殺して999つまり33=9の3乗で729
伊邪那美の呪いは3の乗数
729は3の6乗
3の2乗、3乗の繰り返しの世界
区切り(9切り)がない


呪咀返しは
千五百の産屋立てる
1005日夜来る産屋(暦)
1005は9進法では734

ややこしいが
おそらく月のカウントの仕方。
朔望月は29日だが
1〜2日間は太陽に隠れて見えない。
この期間は月の死と再生の期間。
伊邪那美が見られたくなかった姿。
そこを見ようとした伊邪那岐。

月の周期を27日にするか29日とするか。
そして9を作るか作らないか。
季節を区切るか
この問題が歴史に残る夫婦喧嘩となったのである。
そして折衷案が、8。
祓いー8良い。月の周期を28日とした。

千引きは、立山連峰により、東西の境界線が引かれた事と山脈を物差しとし、三角点を設けたこと。
また西24に直線の世界、区切りの世界、節(24)=8の世界を作った。

伊邪那岐の禊ぎにより生まれたのは
右の御目から月読命(夜の食国)
左目の御目から天照大御神(高天原)
御鼻から建速須佐之男命(海原)

これらは、天の北極周囲と黄道12宮と白道(28宿)の概念が生まれたことを示す。

太陰暦では、特定の月日の季節は、年により変動し、約8年で四季1つぶん(約88日)早くなり、約33年で季節を一周する。
季節を分かるようにするために、特定の星を季節の指標にした。
季節と月のサイクルとが合致する星が選別された。
古代バビロニアでは、ぎょしゃ座カペラと新月が西の空に並びかかる日を元日とした。
カペラは星の中の星、バビロンの護り星と呼ばれた。
カペラは一年の区切りを知らせる大事な護り星であった。

ちなみに、カペラが昇るのと、ほぼ同時にスバルが昇る。
スバルはミクロネシア伝説では蠍座の天敵で、スバルが東に昇れば、アンタレスは急いで西に沈むという。
暦をもたない南洋の島々では部族の天文家が父子相伝の秘法として月々のスバルの高度から農耕の時を知らせていた。
農耕とスバルとの関係は非常に深く、伊邪那岐の投げた桃子(意富加牟豆美命)はスバルを指しており、
対する蠍(萬)アンタレスが伊邪那美の住む世界の象徴だと推測している。
桃は木に兆す、木に刻み目(年輪)、鬼(9)に傷さし、邪気を祓う。
33を分けて3月3日が節句となった。





















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