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藤を見に行き自撮りを知る

藤の花が見事な亀戸天神へ今年4月ようやくお参りに。綺麗な映像を見て、「行ってみたいなぁ」と何年も思っていたのだ。

行ってみて知ったのは、人、人、人、とにかく人。あまりの人に、お参りのシーンを思い出せない。祈るというか、ようやく来れました、嬉しいですと手を合わせていたと思う。そのあと子どもが屋台のかき氷を食べたいとせがんだことはよく覚えている。夫に却下されていた。高いので、出てからにしようと。そして帰りの商店街で、夫と子どもは変わり種かつ中々のお値段のソフトクリームを食べていた。私は別のお店でバニラのソフトクリームを食べた。美味しかった。広々とした駅へと向かう道路の商店街は歩行者天国になっていて、そこかしこで大道芸人さんが何かをしていた。良かった。特に印象的だったのは、ロボットのような動きをする女性。ゴスロリっぽい服装で、手袋をした手が優雅に動く。信じられないほど均等なスピードで、空中に線が引いてあるかのようにまっすぐに動く。人の動きではない。高性能なアンドロイド、と感じた。

藤の花を見ていて印象深かったこと。
とても房が長い、綺麗に咲いた藤の花が参道沿いにいくつかあった。肩にかかるくらい長い。その、1番いい場所で花をいくつも肩にかけて自撮り写真を撮っている女性がいた。子どもが自分も肩に掛けてみたいと言うので順番を待つことにしたのだが、いくら待っても順番は来ない。その人はベストショットを撮るためにずっと同じポーズで同じ笑顔なのだ。これは無理だなとしばらくして私は思い、他に長めの藤の花の房を探してそこで順番を待って子どもの写真を撮った。子どもは花に囲まれ嬉しそうないい顔で写っている。おかげでいい写真を撮ることができた。

その後も自撮りの女性はずっと同じ場所にいた。世の良く撮れた写真はここまでしているのだなぁとしみじみした。その女性はほっそりして、実像でありながらフィルターをかけているみたいなメイクだった。軽くぼかせばそれでネットで見かける顔になりそうな。白い服でずっと微笑んでいるプリクラのような人。彼女が満足するタイミングはどんなものなのか知りたいと思った。背景の問題だと思うのだけど、日曜日の神社は人がいなくなるタイミングは無さそう。それとも人波が途切れる奇跡の瞬間を待っているのだろうか。もしくは、ちょうど良い人数の、いい感じの色の服を来た人たちが通るタイミングを狙っているのかな。

ついつい違うところに心が行ってしまったりもしたが、念願叶い嬉しい日であった。

そして、夫は亀に注目していた。「スッポンがいる!」と撮影したり。

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