陰のモノの日記

 暇だ。出社義務はあれど、特にこれといった仕事が少ない。所謂景気が悪いというやつで、業績も良い感じでダメな模様だ。その影響もあり、いつもいつも腰の重過ぎる上司も漸く本気で余剰人員への怒りのリストラ準備(いろいろと問題がある方々)を淡々とすすめている。私はその様子を見聞きしながら、概ね珈琲を飲んでいる優雅な毎日で、冬のボーナスもあると良いな程度の感想しかない。皆大変そうだ。

 個人があれこれと嘆いたところで、特に意味も無いし破壊や破滅があってこその再生もある。それに巻き込まれることが自分だけは嫌であるというのは確かに我儘だけど、自然災害のようなものでそれはそれで仕方がないという覚悟はいつも持っておきたいものだと思う。うまく人生を歩むといったことができないと潔さのようなものだけは身についてくるのだろうか。

 事柄に対する興味の喪失とは少し異なるが、感情が渦巻く社会と関係なく隠居をしてひっそりと生きたいという本音や欲望があり、細かいことは「正直どうでもいいなぁ」と放言しつつも、口で言うほどどうでもよいことだけではないし、諸事情もあるためになかなかそうはいかない。少なくとも朝に起床をせねばならぬ生活サイクルという極悪極まりない仕様だけでも、消え去って欲しいのだが難しい。

 本日も風呂で虚無面をしながら頭などを泡立てていて、「やはり常に世界が混沌としているような終末感が好みだよなぁ」などと暗さ満点なことを考えたりしていた。私の頭(内部的に)は大丈夫なんだろうか。

 例えば、いろいろな困難や極限状態に直面したときに、この人は何を選択して何を思うのか。建前を嫌う人が、余裕がない状況でどう振る舞うのか。諸々の「そうはいっても実際のところはどうなのか」といったところを考えてみたい、剥き出したい、そんな興味がある。実際これは私自身にとっては恐らく自傷行為みたいなもので、困難を乗り越え、理想の楽しい世界を想像しては純粋に楽しみ癒やしとなる自慰的な行動とは全くの正反対の行動なんだろうとは思う。

 どうせ何かを妄想したり想定をするならば、頭ハッピーな方が良いだろうと言いたいところだが、最も効果的なのは身体を動かすなどの筋トレや散歩であって考えこむことではない。どちらも方向性が異なるだけで、同じことでもあり、そもそも不必要なまでに考えや現象に囚われ続けること自体が、全体的に調子が悪い現れであるから、そういった場合は「今すぐ筋肉に相談」といったことを最近覚えた。友達と有意義な会話などでも良いが、状況次第では陰の者にとってより手厳しい要求になることがあるから容易にそんなことを言ってはいけない。わかるね?わかれ。

 こんな文章を書き殴っている時点でツッコミどころしかないのだが、時々出力しないとならぬ性分なので何卒そこは不問としていただければ、幸いである。とにかく気温も下がり、雨も十分に降った今、人類が生きることを許容されたところで外出に力を入れようと思う初秋である。なにかおもしろいことを探しにいこう。