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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#教養

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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「正しい答え」を集めた先に、「教養」があるわけではない

(※録画視聴パスは、10月1日のエントリより取得できます。)  そんなわけで宣言どおり、ハート『法の概念』の(ひとり)読書会を順調に(?)進めているのである。  このような「読書会」をやっているのは、これまでも何度か述べてきたとおり、テクストを読むという営みのいわば「深み」と、そこにおいてこそ涵養される「文系」の知的能力という、現代日本においては顧みられることの少なくなったように思われるものについて、少しでも人々の関心が向かうための一助になれば、という動機があったからであ

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仏典の基礎知識が、「一般教養」から外れたことの影響について

 4月中の仕事をなんとかやっつけ終わって放心状態である。もちろん、インターネッツには私などより万倍忙しい方々が大勢いるので、この程度で放心している場合ではないのだが、私は1日の半分くらいはできればボーッとしていたいタイプなので、そういう余裕のない生活がしばらく続くと、なんだか精神の integrityが失われてしまうような気がするわけだ。  ところで、そんな仕事のうちの1つに、ある寺院でお話をするというものが(ありがたいことに)あったのだが、そこで個人的にちょっと衝撃を受け

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虚栄心を動機とした勉強も、決してバカにはできないことだ

 昨日のエントリで、「難しい言葉を敢えて使うことのカッコよさ、といった感覚は、もはや死に絶えて久しい」ということを書いたが、これは将来的にはわりと深刻な問題に繋がりかねない話なのではないかと、個人的には思っている。

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この世は仮の宿だからこそ

 とうとう12月、2022年も最後の月になってしまいました。2020年はあっという間に過ぎて行ったし、2021年もあっという間。たぶん今年も同じようにあっという間に終わってゆきます。きっとこのまま私の生も、長い一夜の夢のように、ごくあっさりと途切れるでしょう。「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」とは、まことによくいったものです。  先月は中旬ごろからやっとスケジュールも落ち着いてきまして、noteやキャスなどの更新も、安定的に続けられるようになってきました。今月