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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#現実教

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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ほとんどの人は知らないままで

 今日もSNSでは「早く◯◯しないとダメ! 勝ち組はとっくにやってるぞ!」とか、「✕✕歳になったらもう手遅れ。そうなる前に着手しておけ」とか、そんな投稿がしょっちゅう流れてきており、これは仏教もまだまだイケそうだなと思うなどした。

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「それ以外のもの」を知らない人たちは外圧でしか変われない

 昨日のエントリでふれた「もっとこういえば」の部分については、さっそく日曜夜のキャスで「追っかけ説明」をしておいた。激ヤバ「改正」の件については本当に激ヤバであるし、今後の我が国の行く末にも相当に影響を及ぼす話であると思われるので、できればこちらも多くの方々にご視聴いただきたい。 (※録画視聴パスは、5月1日のエントリより取得できます。)

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「実証主義」のように見えるけれど、それとは全く異なるもの

 数日前にツイッターを眺めていたところ、「法治国家」というワードがトレンドになっており、「合法ならば何をしてもよいというのが法治国家」といった趣旨のツイートが大量に拡散されるなどしていた。そこで私としては「形式的法治主義」という言葉を思い出してしまったのだが、ひょっとしたら同じことを考えた人も少なくはないかもしれない。

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現実を見ているつもりで、観念を信仰してしまう人たちのこと

 最近 Youtubeでよくおすすめに上がってくる、予備校世界史講師・Youtuberの茂木誠さんによる、以下の著作を読んでみたのだが、とてもよかった。  上掲の「増補版」は、2022年9月に出ているもので、元の著作は同じタイトルで2019年7月に上梓されている。3年で増補版が出ているのは、直近のウクライナ戦争の勃発を契機として、当該地域の歴史を踏まえた上で事態の背景を解説する章を加筆しているからだ。この加筆部分も非常に読みごたえがあったので、本稿をきっかけに購読される方は

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ヴィジョンも原理も失った者は、愛した「現実」にすら裏切られる

 この記事を読んで、日本のダメなところについて改めて考えてしまった。

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日本のおじさんはカッコつけすぎ

 タイトルどおりの内容であるが、本稿は「日本のおじさん」を貶めることを目的とするものではなく、究極的には、むしろそのエンカレッジメントを図る趣旨のものである。したがって、「日本のおじさん」をさらに蔑む要素を発見することで溜飲を下げ、自身の権力を確認したいという動機から以下の文章を読まれると、身体が震えて涙が止まらず、ストレスのあまりついスイーツビュッフェでドカ食いしてしまい激ヘラ病み病み丸になってしまうという可能性も否定はできない。そうなっても筆者には責任が取れないので、その

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そもそも「第一段階」が難しい

 のっけから胡乱な話で恐縮だが、たぶん私の話がややこしい(わかりにくい)のは、「瞑想的ヴィジョンの覚知を当然の前提としつつ、同時にそのヴィジョンに関する無反省な語り(態度)も批判する」という、第三者的に見ればおそらくは相当にアクロバティックなことをやっているせいだと思う。  別の述べ方をするならば、私がやりたいのは、「この世の外側の視点をもちつつ、この世のことも真剣に取り扱う」ということなのだ。

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極論と無責任体質のマリアージュ

 一昨日の夜は、しばらく前から楽しみにしていた、はむっちさんとのツイキャス対談であった。 (※録画視聴パスは、8月1日のエントリから取得できます。)  英語学習の話からはじまって、『仏教思想のゼロポイント』と現実教、いわゆる「医クラ」問題など、多岐にわたるトピックについて、140分近く語り合うことができた。はむっちさんは、いつもながらどんな話題についても打てば響く応答ぶりで、「広く深い知的バックグラウンドに基づく世間話」を久しぶりにたっぷりやれた実感があり、私としてもたい

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