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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#瞑想

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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本当は「言挙げ」などしないほうが幸福なのかもしれないけれど

 先日のエントリで述べたとおり、最近は瞑想を楽しんでいるのだが、瞑想が楽しければ楽しいで、困ってしまうことというのもないわけではない。

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「やめてしまえ」というのは簡単だけど

 私は昔から、「宗教者はまず何よりも宗教をやるべきだし、彼岸や来世や死後の救済のことも、それが信仰や教理の核心なのであれば正面から説くことが望ましい」といった話を何度となく述べてきた。たとえば、本noteでも下掲の過去エントリなどでそういった趣旨を(理由とともに)記してきている。  ただ、「そうはいっても自分の立場でそれを実行するのは難しいよ」と、ひそかに思うであろう方々はたくさんいるだろうということも、私なりに一定の理解はしているつもりだ。

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どこに行ってもエトランジェ

 先日のキャスでは某読書会で扱われている著作について軽くコメントするつもりでいたところ、なぜか長々とサーンキヤ哲学にまつわる私見を述べることになってしまった。以前のエントリで述べたとおり、最近は個人的に瞑想を楽しんでいるので、関連する話題について話せる機会があると、つい早口オタクになってしまうのである。 (※録画視聴パスは、9月1日のエントリより取得できます。)

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世界の自由の総量を増やしたいという話

 8月の後半は何度となく、「これから私は何をやりたいと思っているのか」について話すことになった。「これから私がやろうとしていることは、これまで私がやってきたことと同質であり、その延長線上にあるものである」ということがいいたかったのだが、いまいち伝えきれていない感じが自分でも拭えなかったからである。  そんな隔靴掻痒の感を抱えているうちに8月は終わってしまったのだが、今月に入ってから、「なるほど私のやりたいことは、世界における自由の総量の増大ではなかったか」ということに気がつ

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本にも読まれるべき「旬の時期」というものがある

 哲学についてのエントリを長々と書いておいてからいうのもアレなのだが、このところ私は狭義の哲学というか、いわゆる形而上学の分野に属するテクストの多くについて、さほど興味をそそられないようになっている。もちろん、形而上学が問題とする領域そのものについて無関心になってしまったわけではないのだが、とりわけ西洋哲学がそれを取り扱う仕方というのが、いまの私にはあまり魅力的なものとは感じられなくなっているということだ。

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かつての自分が「実はけっこう不自由な状態にあったのだ」と気づくこと

 ご存知の方はご存知のとおり、私は “ A Map of the Journey” を自分の知るかぎり世界最高の瞑想実践のテキスト(教科書)だと思っているのだが、これの邦題を『自由への旅』としたことは実に適切であったなあと、最近は改めて感じている。人間が自由になるための方法には色々あるが、瞑想はその中でもまさに「アルファでありオメガ」の地位を占めるべきものであると実感する機会が、このところますます増えているからだ。

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そもそも「第一段階」が難しい

 のっけから胡乱な話で恐縮だが、たぶん私の話がややこしい(わかりにくい)のは、「瞑想的ヴィジョンの覚知を当然の前提としつつ、同時にそのヴィジョンに関する無反省な語り(態度)も批判する」という、第三者的に見ればおそらくは相当にアクロバティックなことをやっているせいだと思う。  別の述べ方をするならば、私がやりたいのは、「この世の外側の視点をもちつつ、この世のことも真剣に取り扱う」ということなのだ。

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瞑想が開くヴィジョンの射程は、「心の問題」だけに留まるのか

「社会を変えるより自分を変えろ、といった自己啓発セミナー的思考回路を内面化してしまっているがゆえに、日本の人たちは社会や政治の問題をストレートに問うことができなくなっている」といった話を見かけて、これはたしかにそのとおりかもしれないと思うなどした。

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少数派が選択するオルタナティヴ

 仔細あって、世の中的には「ジェンダー小説」とも評価されているらしい著作を読んだのだが、なんというか久しぶりに、人間の気持ちをひたすら直接的に書き綴っている文章を読んだなあという感懐をもった。そしてさらに、自身も被害を受ける立場でありながら女性の苦しみに心を痛める登場人物の男の子について、「加害者属性の人間のくせに苦しみを語るな」などと罵倒するレビューをいくつか見かけて、その信じがたいほどの傲慢さに呆れるとともに、生理的な気持ち悪さを覚えてリアルに吐き気を催したりもした。思う

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瞑想者が鬱々とすることはあるか(下)

 昨日の記事では、瞑想者が実践のプロセスの中で、一時的に「鬱々と」したり、「虚しい気持ち」になったりすることが、どんな場合に起こり得るのかについて検討した。本稿はその続きとして、こうした時期を無事に乗り越えた実践者が、それ以後は「虚しい気持ち」になったりすることがないのかどうかについて、いささか私見を披瀝してみることにする。

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