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2022年12月の記事一覧

私の中で繋がってしまっていること

 というわけで、2022年最後のエントリである。光陰矢の如しという決まり文句をいいたくなるのは毎年のことだが、とはいえ今年も、実にいろいろなことがあった。

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燠火のように息の長い「好き」の気持ち

 最近は家事などの作業をしているあいだに、Youtubeで歴史や経済や自然科学等に関する講義動画や対談動画などをよく聴いている。多くは専門家が自ら出演して語っているものであって、誰が作っているのかわからない、いわゆる「ゆっくり解説」などにはあまり手が伸びない。台所仕事などをしているから画面をあまり見られないということもあるが、何より専門家の肉声による語りを聴くことで、その人が勉強や研究を通じて培ってきた人格も多少は感じ取りながら、「門前の小僧」になってみたいという気持ちがある

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嫌われまくっている「人文学」さんのためにできること

 私は「人文学の中の人」でもなんでもないのだが、因果の不可思議により、このところなぜか humanitiesに関するエントリをいくつも書くことになってしまっている。

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賢くて誠実だからこそ、「役に立つ」の杜撰な議論には乗らない人もいる

 そもそもこの話は木簡を実際に研究している人たちがはじめたわけではないらしいので、いちばんのとばっちりを受けたのは、真面目な木簡研究者の方々である。とてもかわいそう。  テクストの読解を主たる営みとするタイプの「人文学」の意義については上掲の過去エントリで詳述してあるから、そのことについてここで再説するのはやめておこう。本稿では、冒頭に引いたツイートでも少しふれている、「人文学」と「役に立つ」ということとの関係について補足してみたい。

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現実を見ているつもりで、観念を信仰してしまう人たちのこと

 最近 Youtubeでよくおすすめに上がってくる、予備校世界史講師・Youtuberの茂木誠さんによる、以下の著作を読んでみたのだが、とてもよかった。  上掲の「増補版」は、2022年9月に出ているもので、元の著作は同じタイトルで2019年7月に上梓されている。3年で増補版が出ているのは、直近のウクライナ戦争の勃発を契機として、当該地域の歴史を踏まえた上で事態の背景を解説する章を加筆しているからだ。この加筆部分も非常に読みごたえがあったので、本稿をきっかけに購読される方は

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クリスマスなので性の話をしよう

 誤解するのも無理はない。なにしろ昨今の世の中では、「性癖」という一般用語も、専ら「セクシュアルな嗜好」を意味するに違いないと、勘違いしている者が多いくらいである。しかし、私のように仏教だの儒教だのを少しばかりかじってきた人間からしてみれば、この「性」という漢字を sexの意味だけで捉えられてしまうのは、実にもったいない感じもするところだ。幸いにこの週末はクリスマス、キリスト教徒にとっては聖なる日であるということだから、それにちなんで少しばかり、「聖」と「性」にまつわる話に、

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「何かやること」を探さなくても生きられるように

 昨日のエントリでは『仏教と儒教』の読書会プランについて述べたが、こちらはひとまず定員に達したので、いったん募集停止とあいなった。とりあえず一冊やってみながら、トライ&エラーで最適な形を模索してみるつもりである。  この一週間ほど、私にしてはむやみに忙しく、ゲームを楽しみながら姉さんの言動に唖然とすることすらままならないありさまであった。ただ、この個人的な年末進行もとりあえず一段落したようなので、これから年末年始にかけては、可能なかぎり暇な時間を楽しんでゆく所存である。

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陽報のない社会において、普通の人が陰徳を積むことは期待できない

 これは要するに、私たちが(本質的に超越性を帯びざるを得ない)道徳の感覚のみならず、世間的な同胞感覚まで失ってしまったことの帰結なのである。

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epiphanyによって、根源的に規定された世界を生きる人々

 昨日のエントリでは、『さかなクンの一魚一会』のエピソードを取り上げつつ、尋常ではないルートで成功する人に関しては「全て運です」で片付けるというインターネット民の愛好する論法について、「それはちょっと違うんじゃないか」という指摘をした。  本稿では、その「ちょっと違う」の内実について書いてみようと思うのだが、その前提として、そもそも特定の人の人生について「運だ」とか「実力だ」とかいった評価を与えること自体が、事実判断というよりは「物語」に近い性質の語り(騙り)であると私は認

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宗教者は宗教をやらないとダメ

 当たり前すぎるほどに当たり前の話なのだが、「宗教者は宗教をやらないとダメなんだなあ」ということを、最近はよく考える。もちろん、私自身は宗教者ではないので、これは単なる個人の手前勝手な願望の表白にすぎないのだが。

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権利の上で眠りこけ、鎖自慢奴隷の夢を見続ける者は、保護されなくて当然だ

 朝にゆっくり坐ったりなどしていると、「私が世間の皆さんのいうことにあまり流されないのは、これをやっているおかげです」などと、もっともらしいことをいいたくなってしまうのだが、そもそも瞑想などを敢えてやる前から私はそういうタイプだった気もするので、このあたりの因果関係はよくわからない。

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他人の適法行為に難癖をつけたがる者に対して、いちいち萎縮する必要はない

 少し前まで夜に就寝しても連続では6時間くらいしか眠れないことが多かったのだが、なぜか最近は8時間ほども、ぐっすり眠れる日が続いている。おかげで体調は悪くない反面、やたらと眠れるということは冬季うつの徴候なのではないかとも思われたりして、本当に人生は何があっても心配事の種には事欠かないものだと笑ってしまう。 (※録画視聴パスは、12月1日のエントリから取得できます。)  先日のキャスでは、なんとなくnoteエントリにした「高齢独身者バーサク問題」について、思ったより皆さん

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ヴィジョンも原理も失った者は、愛した「現実」にすら裏切られる

 この記事を読んで、日本のダメなところについて改めて考えてしまった。

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原典至上主義の光と闇

 先日の Youtubeライブでは語学と思考力との関係について少し話したのだけど、これはわりと深刻な問題なんじゃないかと、昔からひっそり考えていた。

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