【オリジナル短編小説】輪廻

白い蛍光灯が照らすアパートの前。

赤いワンピースを着た女が立っていた。

彼女はもうずっとそこに佇んでいる。行く場所がないからだ。

何時間とか何日とか、そんな時間ではなく、もう1年近くそこにいるのだ。

彼女の眼窩は落ち窪んで、眼球は闇に沈み、肌は土気色なのに唇だけは異様に赤かった。

彼女は幽霊というやつになっていた。

1年前、このアパートで自殺した。

最早何の未練もなく死んだはずだった。成仏出来ると信じていた。

なのに、もうずっとこの姿のままだった。

しかし、不思議と彼女は納得していた。彼女には一つ気掛かりなことが残っていたからだ。


それは、3ヶ月程前にこのアパートに越してきた女の子のことである。自分とそう年の変わらない彼女はとても可愛らしく、気配りも出来て本当に良い子だった。

ところが最近になって、良く彼氏を連れて帰ることが多くなっていた。

その男というのが、真っ赤な彼女を自殺に追い込んだ男だったのだ。


男の仕打ちはそれは酷いものだった。

最初の内はとても優しく接してくれていた。困り事があれば飛んできてくれ、彼女を守ってくれる頼もしい男だと思っていた。

しかし、ある日突然殴る蹴るの暴行が始まり、知らない女の名前まで出す始末。その後はすぐ謝罪をしてくれるのだが、少しするとまた繰り返される。

そんな妙な関係に疲れて、彼女は自ら命を絶ったのである。


なんとかしなければ。

そう彼女は思った。

早くなんとかしなければあの子まで同じ目に合うかもしれない、と。

そこで今日は意を決し、アパートの階段を上がる二人の後にそっと忍び寄ったのである。


健次は加奈子との交際が順調に進んでいることに喜びを隠せなかった。最近は良く加奈子の家に寄り、手料理を振る舞ってもらっていた。外見も可愛らしく、愛想も良い。このような女性が健次の理想だった。

それだけ、他の男にとられてはいけないと必死だった。そこに、一抹の不安が隠れていたのは誰も知る由は無いのだが。

時刻は夜8時を回り、加奈子の美味しい手料理をご馳走になった後、健次は加奈子の後片付けを手伝っていた。

互いに肩が触れる度に微笑み合い、これからに想いを馳せる。


しばらくして良い雰囲気に包まれた健次は彼女に優しく口づけをする。


不意に、彼女の手が強く健次の背中を捉えた。


嬉しさに開いた健次の目には、眼球の無い相貌が映った。


健次は手を振りほどいて加奈子だったものから逃れる。


美幸…。彼は荒い呼吸の中でそう呟く。


美幸は真っ赤な唇で微笑み、彼の名前を呼んだ。


健次は叫んだ。

恐怖でひたすら美幸を殴り続けた。

なんで?と叫びながら。

大きな拳を美幸に振るい続けた。

どうして?と咽びながら。

強靭な脚を美幸の腹に食らわせた。

殴った。

蹴った。

殴った。


それが加奈子に変わるまで。


健次…どうして?

加奈子が掠れた声で呟き、暫くして息を引き取った。


後には呆然と涙を流す健次と、輪廻を断ち切った喜びに微笑む美幸が、静かに存在していた。

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