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結婚式って無駄じゃない?という人に

1月31日は「愛妻の日」であることを、皆さんご存知だろうか。
夫が仕事からの帰り道に、薔薇の花束でも買ってきてくれないだろうかという淡い期待を胸に、その事実を伝えようと試みたのだが「愛妻の日」って英語でなんて説明すればいいんだっけ?とふと思い、答えが見つからぬうちに1日が終わってしまった。
無念である。

さて、今日は愛妻に絡めて「結婚式」について。たまに物議を醸す「結婚式って必要なの?」問題についてである。

ゴッドファーザーに憧れたガーデンウェディング

私の結婚式は2016年7月。花嫁への憧れよりも、ゴッドファーザーへの憧れが勝っていた私は、都内の公園でガーデンウェディングを開催した。

ゲストは友人のみ。親族すら私の家族以外ゼロ。
ホームパーティーに来たようなラフさをコンセプトにした、カジュアルな結婚式である。

参列してくれたゲストの面々は「こんな結婚式はじめて!」「気楽で楽しかった!」と嬉しいコメントを残してくれた。

詳細は後述するが、いわゆる「結婚式の定番」にものすごく違和感があり、常識破りのプランを選択した。
そのうちの一つが「会費制」である。

北海道や沖縄など一部の地域を除いて、着席フルコースでの結婚式と言えば普通はご祝儀制。
ゲストにゆっくりしてもらいたかったので、コース料理は出したが、私はあえてご祝儀ではなく会費を頂き、会を開催することにした。

自分も何度も結婚式に参加してきたからこそだが、やはり1回3万、5万の祝儀の負担は、お祝いだとはいえ大きいし、何よりも「ご祝儀袋」「新札」「袱紗」の用意がとことん面倒臭い。

今は新札を少しばかりは自宅にストックしているが、若いときは仕事が忙しくて銀行にも行けず、結婚式当日の朝に焦りまくって、コンビニなどで両替してもらっていた。

ご祝儀袋も用意しておらず、何度披露宴会場で筆ペンを借りて書いたことか。

なぜ新札じゃないとダメなの?手渡しじゃダメなの?ボールペンじゃダメなの?旧漢字じゃなきゃダメなの?お札を入れる向きが決まってるの?水引って何?

考えても無駄なのだ。それはただただ「縁起」「慣習」という名の元に運用されゆく、ノーリーズンな文化なのだから。

ということで、自分の体験を元に私は自分の結婚式は絶対に会費でやる!と決めていたのである。

ただ、カジュアルな会とはいえ、フルコースにしたため費用の負担はご祝儀で行うよりも増えることになった。正直言って結婚式の後に「あーあのときのお金があれば!」と思わなかったこともない。
庶民には1日でこんなにお金を使うことは滅多にないものだ。
それでも私は結婚式をやってよかったなぁと心から思っている。

結婚式否定派の人々

私は1人でも多くの人に結婚式を挙げてもらいたいなと思っている。
だが、家庭の事情や経済的な事情で諦めている人もいるだろう。
さらに昨今では「結婚式を挙げようと思えば挙げられるが、あえて挙げない。挙げたくない」という人も多い。
結婚式否定派の人たちの主張は概ね以下のようなものであろう。

「結婚式に大金をかけるのがもったいない(別のことに使いたい)」
「会社の人を呼びたくない」
「晒し者にされるのが嫌」
「結婚式の慣習がバカらしい」

気持ちは…正直言ってめちゃくちゃわかる。
何故ならば私も全く同じことを思っているからだ。
ただ、上記のような理由で結婚式を辞めてしまうのには「ちょっと待った」コールをさせてもらいたい。

結婚式の常識なんてクソくらえ

クラシックな結婚式を否定するわけではない。結婚式の目的は人それぞれ。伝統的な結婚式を挙げることもいいだろう。

だが、私のようにそれが嫌だと言う人には是非「結婚式の常識なんてクソくらえ」と思ってもらいたいのである。

以前小説家の朝井リョウさんの「結婚式嫌い」の記事を読んだのだが、私はものすごく残念な気持ちになった。
朝井さんの意見に反対だったからではない。むしろ私の意見は彼にかなり近かった。
だからこそ結婚式のステレオタイプに囚われて、結婚式自体を否定してしまうことを残念に感じたのだ。

例えば「ファーストバイト」これを「男性が女性を食べさせる(養う)という意味が込められていて嫌だ」という意見。完全に同意である。
でもそれはやらなくてはいけないことでも何でもないのだ。
人の結婚式に呼ばれて、それを見るのが嫌だ…というのはどうしようもないが、自分の結婚式に取り入れる必要はない。

私も自身の結婚式で「ファーストバイトだけは絶対にやりたくない」とプランナーに伝え、よって新郎がスイカ割りを行い、割れたスイカに2人で齧り付く「スイカバイト」を行った。

他にも自分たちの結婚式を例にして説明すると、
キリスト教でもないのに、結婚の誓いをしたくない」→厳密にいうと私はキリスト教の洗礼を受けたことがあるので、キリスト教徒でないこともないのだが、特に自分の意思で信仰しているわけではないので、結婚式では人前式を選択した。
夫も無宗教で、且つアルバイト牧師に誓うのだけは絶対に嫌だという強い意志を持っていたため、2人で話して決めた。
無論、賛美歌も歌わない。

ブーケトスは独身が晒されるようで嫌」→そもそも女性だけのイベントにするの何故?という疑問があり、私たちは「ブロッコリートス」にして、夫が男性ゲストに、私が女性ゲストにそれぞれトスを行うことにした。もちろん既婚者もok。ブロッコリーを受け取った方には後日野菜の詰め合わせギフトをプレゼントさせてもらった。

男性優位のプログラムが嫌」→最初の挨拶から、最後の挨拶まで基本は男性が行うことが多い。私たちは英語と日本語という言語の問題もあったが、全てのスピーチを2人で行った。順番は夫→私としたが、もちろん逆でも構わなかった。

花嫁の手紙は恥ずかしい」→私も嫌だったので、手紙の演出は行わなかった。

忌み言葉とか言っちゃいけないことが多い」→別れる、割れるなど結婚式にはそぐわないとされる言葉。スピーチを頼まれた人も大変である。私は最後のスピーチで夫の元カノの話を出すなど、自らNGワードをぶっこんだ。そんなの別に誰を傷つけるわけでもないのだ。

スピーチばかりで退屈」→乾杯の挨拶だけ友人にお願いしたが、主賓のスピーチはなし。乾杯のシャンパンもなしで、最初から飲みたいもので乾杯してもらった。

アイテムに法外なお金を払いたくない」→これは結婚式場の規制で全部希望通りには行かなかったのだが、こだわりのないところはとことん抑えることにした。結果、夫のスーツはZARA。インナーなんてUNIQLOのTシャツである。靴も普段履いてるadidas。私のドレスはネットで買った5万円のインポート。GUで買ったスニーカーを履いて登場した。お金を掛けたい人はかければいいし、掛けたくない人はかけなければいいだけなのだ。

ゲストに負担かけるのが嫌」→私たちの披露宴は余興はゼロ。当日のドレスコードもカジュアルと指定して、Tシャツok、サンダルokと明記して招待させて頂いた。もちろんタブーとされる白い服でも全然気にしない。

どうだろうか?え?そんなんでいいの?と思われた方もいると思う。本当はもっとラフにしたかったのだが、会場の規定でできないこともあり後悔しているくらいだ。(三次会なんて、そのまま公園にブルーシートを敷いて行った)

私は主に「結婚式の意味不明な常識に囚われるのが嫌」という気持ちを持っていたので、それを打ち破る計画にしたが、他にも会社の人を呼びたくないなら、親族だけで海外挙式にするとか国内リゾートでやるとかそんな選択肢もある。
スポットライトを浴びて高砂に座る必要もない。本当に招待したい人だけで、小さな食事会を開いてもいいのである。

そんなの結婚式と言えるのか?そもそも結婚式の定義とは何なのか?と思う方もいるだろうが、わたしは2人以外の誰かを招待して結婚を誓う場なのであれば、それはどこであろうが、どんな内容だろうが結婚式だと思っている。

ホテルや式場じゃなくてもいいのだ。川でも海でも山でも居酒屋でもいい。
確かに盛大な結婚式をあげようとすると、ありえないようなお金がかかるが、こじんまりとパーティーを開くのであれば、正直飲み会に毛が生えたくらいの予算でだって十分に実現できる。

結婚式を上記の理由で否定している人は、その人自身が一番古い考え方に囚われてしまっているような気がして非常に残念だ。

結婚式することにそもそも意味あるの?

とはいえ、結婚式をすること自体に意味を見いだせない人。そしてそこに少なからずお金をかけることに抵抗がある人もいるだろう。

私も節約したとは言え、会費制、そしてこだわるところにはとことんお金をかけたこともあり、150万円くらいは自己負担して結婚式を行った。

そのお金を、後々生活のために使えばよかったかな?と家計が苦しいときに思ったこともある。
だけど、結婚式にお金を使うという行為は、人生の中でも1位2位を争う「粋なお金の使い方」だと思うのである。

お金とは、あくまでも手段である。ものすごく端的にいうと「幸せを得るために存在する物質」でしかない。
人はお金を使わずには生きていけない。日々の食糧を買うために。どこかへ向かうために。自分をよく見せるために…自分の目的を果たすため、幸せを得るためにお金を使って生活をしていく。

お金持ちと貧乏がいるように、お金の使い方が上手い人と下手な人がいる。
(何の根拠もないが、お金の使い方が上手い人は結果お金持ちになるという相関性もあるような気がしている)

お金の使い方が上手い人というのは「金額の絶対値に関わらず、その対価の幸せの価値を見出せる人。もしくは作り出せる人」だと思う。

例えば一晩で100万円分パーっと飲んで散財するとする。見る人から見たらものすごくもったいなくて、アホな行為に見えるだろう。

だがそれを「こんな金額を一晩で使うことなんて人生に一回だけ!自分の人生数万日の中で、今夜がその唯一の日なんだ!」と思えたなら、それはその分の価値があるのではないだろうか。
その日のことは死ぬまで話のネタになるだろうし、一緒に時間を過ごした人たち全員の記憶に残り続けるだろうから。

大金を使ったほうがいいということではなく、お金の使い方が上手い人は、いわゆる気風がよく、自分が払うお金に対しての幸福度が高いので、生き方が「粋」になるのである。

「結婚式」というのは、ベタな言い方をすると夫婦の門出。これから夫婦として生きていくという宣言の場だ。そこに自分たちが人生で大事にしている人が集うということに最も意味がある

人は1人では生きてはいけないし、夫婦2人きりでも生きていけない。家族や友人、同僚…たくさんの愛すべき人たちと関わり合いながら生きていくのである。
日常の延長では、その繋がりに改めて感謝をしたり、想いを伝えられる機会はなかなかない。
自分たちの覚悟を見せる場もない。

それがある唯一の場が「結婚式」だとわたしは思う。だからこそ、そこに1円でもお金をかける価値があるのだ。

しつこいが、大金をかけることが正義ではない。いつもの飲み会と同じくらいの金額でもいい。ただそれを「結婚式」と命名して、自分たちも、そしてそこに集まってくれるゲストにもその意識を持ってもらう。
そしてそれを特別な1日にする。それが私は大事だと思っている。

余談だが、結婚式から何年も経って知り合ったママ友たちとふと結婚式について話す場があった。皆、それぞれ当時の写真を送り合って「きれいー!」「すてきー!」と称賛し合いながら、ほっこりとしたやり取りを交わした。

そこでとある友人が言った一言が、私はまさに結婚式の価値だと感じたのである。
「久々にあの日の幸せな気持ちを思い出せた。この話ができてよかった」

モノより思い出…コト消費の価値は年々上がっている時代だが、幸せをとことん感じた思い出というのは、本当に何年経っても色あせないのである。

息子たちが大きくなった時に、当日の写真や動画を一緒に見るのもまた私の「未来の幸せ」の一つである。

#結婚式 #ウェディング

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