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「無駄」を愛するということ

友だちがレコードプレーヤーを買ったらしい。
そりゃ聴いてみたい!と思ったもうひとりの友だちと、レコードを聞きに友だちの家に行った。

いい音だった。
微かな針のノイズのアナログ感がたまらない。
でも音がいいというのもあるけど、音楽を聴くためにレコードを買って針を落とすっていう、その時間がいいなって思った。

音楽はスマホで簡単に聴ける時代の中で、レコードを買ってきて聴くっていうのは非効率だしコスパもよくないかもしれない。
そういった近代社会の価値観からみると「無駄」ともいえる。

だけどその「無駄」を愛する時間が贅沢っいうか。
社会の時代的な価値観だけに流されてしまわないように、もうちょっと自分の感性を大事にしてみたら、そこに愛おしさが生まれる感じ。
その愛おしさが尊い。

そして今日は生駒市にある暮らしとうつわのお店「草々」さんで開催された「うつわを愛でる会」に参加した。
お気に入りのうつわとおやつを持ってきて、みんなでうつわを愛でながらおやつを食べるっていうイベント。

自分のとっておきのうつわを紹介して、みんなで愛で合う。
みんなにこにこだけど、たぶんそのときは愛でられているうつわがだれよりもにこにこ。
安いものでも、無銘のものでも、愛されるということほど、そのうつわにとって価値を、輝きを出すものはないと思った。

お気に入りのうつわが割れちゃったら悲しいけど、別れが悲しいくらいのものを使いたい。
今の時代が求める価値の中にもひとつの豊かさみたいなものはあるけど、心の底から心地いいと思えるものは少なくて、つめたい。
あたたかさはけっこう「無駄」の中にあったりする。

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