波と石と鳥と桜と道
ひとりで海を歩く。
はだしになって、貝を拾う。
海岸の誰よりもはじっこで、30~40分ぼーっとする。ときどき、誰かがぶん投げてきたような勢いのある水しぶきが飛んでくる。波にもまれてわかめや石ころが水間を転がっている。
近くの道から山に登る。
ひとりでこんなことをしたのは・・・初めてだなと思う。
家も人も何も見えず、自分と鳥しかいない。
子どものころ、何度も何度も来た山の頂上の公園。
缶ジュースがおいしい。もう、自販機のジュースを自分のお金で買えるようになったのだ。
自分が大人になった以外は、何も変わらない。さるがいて、くじゃくがいて、モルモットがうじゃうじゃいるのは・・・初めて見た。
さっきまで足元にあった海が、遥か眼下に見える。
すっかり春でしたね。
最後に、レストラン&バーでピザとコーヒー。
何十回もこの公園に来ていたけれど、ここでご飯を食べるのは初めてだなぁと思う。
前にも後にも予定に縛られず、どこへ行くとも行かないとも決めず、一人で歩く。
誰が決めるでも、おすすめされるでもなく、自分がいいと思ったところに行く。
誰のペースでもなく、自分のペースで波と戯れ、考え事をし、飽きるころに別のところに行く。
*
生まれ育った町なのに、中学生か、遅くとも高校生になってからは、用事がある場所に、最速で着く手段でしか通っていなかったから。
歩いた街並みはもうすっかりどこに出るのか、誰の家の近くだったのか、さっぱり忘れてしまっていた。それが、悲しくも鈍い衝撃として心に残る散歩だった。
どこにも着かない、でもふと手作り看板の美容院が現れたりする、垣根を超えた枝が目の前まで伸びているそんな道を、「いいな」と思って、初めて「自分をもつってこういうことかもしれない」と、気づく。
自分の意見があるとか、好きなこに向かっているとかじゃなくて、誰にも何も言われないのに「いい」と一人で思うこと。インスタやTwitterには切り取れない、何もないあの瞬間。
こうしてわたしはこびりついた何かをゆっくりはがしていく。
*
見慣れた道に帰ってきたときには、時間にして4時間ほど。
この10年間、そんな4時間すらなかったんだなと思う。
目的もなく、用事もなく、誰に見せるためでもなく、誰に報告するでもないひとりの時間。
途中から写真を撮るのもやめた。
自分を確立する、道半ばにいるなと思う。
ときどき、「お、もう自分できてきたんじゃないか」と思う。目指している次のステージに。でも、「あ、まだまだだ」と認識する。
大事なことは、時間がかかる。それを、身をもって学んでいる。
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