見出し画像

波と石と鳥と桜と道

ひとりで海を歩く。

画像2

はだしになって、貝を拾う。

画像1

海岸の誰よりもはじっこで、30~40分ぼーっとする。ときどき、誰かがぶん投げてきたような勢いのある水しぶきが飛んでくる。波にもまれてわかめや石ころが水間を転がっている。

画像5

近くの道から山に登る。

ひとりでこんなことをしたのは・・・初めてだなと思う。

家も人も何も見えず、自分と鳥しかいない。

画像7

子どものころ、何度も何度も来た山の頂上の公園。

缶ジュースがおいしい。もう、自販機のジュースを自分のお金で買えるようになったのだ。

自分が大人になった以外は、何も変わらない。さるがいて、くじゃくがいて、モルモットがうじゃうじゃいるのは・・・初めて見た。

画像4

さっきまで足元にあった海が、遥か眼下に見える。

画像3

すっかり春でしたね。

画像9

最後に、レストラン&バーでピザとコーヒー。

何十回もこの公園に来ていたけれど、ここでご飯を食べるのは初めてだなぁと思う。

画像7

前にも後にも予定に縛られず、どこへ行くとも行かないとも決めず、一人で歩く。

誰が決めるでも、おすすめされるでもなく、自分がいいと思ったところに行く。

誰のペースでもなく、自分のペースで波と戯れ、考え事をし、飽きるころに別のところに行く。

生まれ育った町なのに、中学生か、遅くとも高校生になってからは、用事がある場所に、最速で着く手段でしか通っていなかったから。

歩いた街並みはもうすっかりどこに出るのか、誰の家の近くだったのか、さっぱり忘れてしまっていた。それが、悲しくも鈍い衝撃として心に残る散歩だった。

どこにも着かない、でもふと手作り看板の美容院が現れたりする、垣根を超えた枝が目の前まで伸びているそんな道を、「いいな」と思って、初めて「自分をもつってこういうことかもしれない」と、気づく。

自分の意見があるとか、好きなこに向かっているとかじゃなくて、誰にも何も言われないのに「いい」と一人で思うこと。インスタやTwitterには切り取れない、何もないあの瞬間。

こうしてわたしはこびりついた何かをゆっくりはがしていく。

見慣れた道に帰ってきたときには、時間にして4時間ほど。

この10年間、そんな4時間すらなかったんだなと思う。

目的もなく、用事もなく、誰に見せるためでもなく、誰に報告するでもないひとりの時間。

途中から写真を撮るのもやめた。

自分を確立する、道半ばにいるなと思う。

ときどき、「お、もう自分できてきたんじゃないか」と思う。目指している次のステージに。でも、「あ、まだまだだ」と認識する。

大事なことは、時間がかかる。それを、身をもって学んでいる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?