「圧倒的揺り戻し」について考える森の中
公園でコーヒー
先週に引き続き、モチベーションの低下に悩むわたし。
何か、自分で良くする方法ないかなぁ・・・
と思って実家から図書館に自転車を走らせるも、うん、やってないよね。コロナで。
諦めて本屋に寄ったころ父親から
蘆花(ろか)公園にいる。珈琲あるよ。
と、連絡が入る。
父親はよく、外で火を熾す装備を持って自転車で山の中とかに行き、そこでコーヒーを淹れて通りがかりの人にふるまったりしているのだ。
初めて、ごちそうになることにする。
美味しかった。
桜とハチとハエと名前も分からない花たち
先週に引き続き、小さいころよく遊んだ公園。裏手の山道を散歩に行くことにした。
整備されてはいるが、バリアフリーもくそもない、おへそくらいまでひざを上げないと登れない段差もある。
赤ちゃんはよくこのレベルの階段をのぼっているわけだけど、大人のわたしはすぐ息が上がる。
頂上には古墳があって、海が見える。最高だ。
色々な花も目につく。名前も忘れてしまったし、知りたいなぁと思う。
ハチの音に心臓がちょっぴりすくむ。
ハエが対になってぶんぶん飛んでると思ったら、ハエの影だった。
都心では聞こえない音、見れない光景。
桜の匂いがして、「桜の匂いなんて薄っぺらそうなのに、山の中を風が運ぶんだなぁ」と思ったら真上にちゃんとあった。
自然に戻ろう
売上も、目標も、拡大も、成長も大事だ。
だけどいつから人はそういうものを追い求めるようになったのだろう?
最近はそういうことをよく考える。
アクセサリーも、祭りも、絵も、大昔から存在している。
男は狩りに出かけ、女はコミュニティの中で子どもと一緒に帰りを待つ。
それが複雑化したのはどういう経緯なんだろう?
今していることはどこまでが本能レベルで必要なことで、社会的動物として必要なことで、遺伝子レベルで必要としている太古から守ってきた文化なんだろう?
例えば、25万年前のホモ・サピエンスは何を幸せに、何を目標に日々生きていたのか?死を理解していたのか?
江戸時代の武士は何を幸せ、目標としていたのか?
わたしが散策していた「蘆花公園」というのは、明治時代の小説家・徳富蘆花(とくとみ ろか)を記念した公園で、山道のあちこちに季節を詠んだ歌の札がある。
例えば彼は、150年くらい前の人だけど、季節の移り変わりを見て、ついつい詠んでしまうわけだ。
1,000年前の紫式部も、美しい自然を見て、人の心の動きを察知して、ついつい詠んでしまうわけだ。
どこからが、本能的・社会的な振る舞いで、どこからがつくられた人工的な営みなんだろう?
コロナに「ありがとう」とは口が裂けても言えないけれど、圧倒的な「経済の揺り戻し」に、わたしは心のどこかで安心している。
行き過ぎた世の中が、このタイミングで破裂したのも何か意味があると思う。みんなが、過剰な何かに気づき、忘れてしまった何か、優先順位の高い何かを思い出すと機会になればいい。
売上も、目標も、拡大も、成長も大事だ。
だけど、異常なほどの人工物の中で忙殺され、心身疲弊することの意味を、立ち止まって考えること。物事が複雑化し、150年前とか1,000年前とか25万年前にはなかったものから少し離れ、一度本来の人間の行動に少し戻ってみること。
そんな機会に少しでもなるといい。
150年前とか1,000年前とか25万年前には、「目標」や「生きる意味」はもっと断固としたものだったのだろうか。その日生きることそのものや、子孫繁栄すること、金銭的に豊かになること。
それとも、もっと曖昧なものだったのだろうか。死ぬときまで死の存在を知らず、毎日本能のままに食べ物を採取したり、歌を歌ったり、もしくは決められた身分の決められた役割の中で生きていたのだろうか。
成熟した社会、人の「目標」や「生きる意味」がバラバラになっている今、少しでも自然な人間、自然な自分にかえりたいなと思う。
昼に家を出たときは、こんな山道を歩く予定ではなかったのだけど、パンプスでこなくてよかった。
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