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「ぜいたく」はだれの言葉か

「葉山で朝ごはんを食べる」を決行するため、昨日は朝から早起きして地元に帰った。

「おなかすいた~」と言いながら、朝ごはんに向かって自転車を走らせる。

「朝ごはん」は、こんな裏路地にあった。

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古民家を改造したmikan屋というお店。

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庭に梅の木や井戸が残り、外の椅子にはさんさんと太陽が降り注ぐ。お店の中にはアーティストの陶器が並び、コーヒーの香りが立ちこめている。

数グループのお客さんが入れ代わり立ち代わりやってくるが、隣の部屋や外の席もあるので、この一部屋の空間を二人占めで楽しむことができた。

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トースト2切れとディッシュ、コーヒーでなんと500円のモーニング

「親に感謝だねぇ、週末にこんな雑誌に載ってるような生活ができるなんて」

と、たまたま誘ってくれた同行者の小中学校の同級生に話しかける。

そこで、ふと「ぜいたく」という言葉が浮かんだ。

だけどそこにざりっとした違和感を感じ、はたと打ち消す。

週末に葉山のカフェまで自転車を走らせ、朝ごはんを食べる。

隣町に住んでいた子どものときに同じことをしたとして、「ぜいたく」と思うのだろうか?いや思わないだろう。

葉山という場所がそう思わせるのかもしれないが、「雑誌に載っているような」という形容詞がつい浮かんでしまうのは、相対的かつ良くない意味での客観的な表現だ。

自分の心に安らぎを与える、ごきげんな一日の始まりにする、それだけで良いんじゃないか。


帰りは海沿いに寄って、潮を含む春風に吹かれながら、自転車をこいだ。

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前日の波で余計なものが打ち上げられたためか、海が空よりも青くきれいな日だった。


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