バレエ鑑賞に「アーカイブ動画」なんてないんだな
初めて、プロのバレエを観た。
友人がチケットをとって、一緒に行く人がいなくて困っていそうだったことがきっかけで。
バレエの鑑賞なんて、中学生のときに友人の発表会を観に行ったぶりだった。
クラシック音楽は好きだし、踊りは好きだし、その子と仲良くなりたかったし、その日特に予定はなかったし、というふわふわした理由がいくつか重なっていた。日曜日に新宿のあたりに出なくてはいけないということは考えないようにした。
白鳥の湖を、初めて観た。
人が、人のために体を動かして何かを表現しようとしている。
ベストを尽くしている。
二度と同じ瞬間はない。
写真も撮っちゃいけない。「アーカイブ動画」なんてもちろんない。そういうのに慣れきってしまったオンライン生活で、そんなの久しぶりだった。
そのときその瞬間に目の前で起きていることだけを味わう。
心が震える。
そんな瞬間を提供できる、バレリーナたち。オーケストラの演奏家たち。
わたしは何してるんだろう?
プロのアスリート。演奏家。
努力すればなれるものではない。
「好き」と「周りからの評価」が必要だ。
たぶん、好きを通り超えて嫌いになりそうなくらい好きなことをするのは、きつい。
でも目の前を舞う人たちは、誰に頼まれてやるわけでもなく、自分がしたい方法で、世の中を表現する。
昔々の人は、白鳥に扮したり、背景の幕を描いたり、音楽を作ったりして、バレエというものを生み出した。
芸術として。娯楽として。
自然の美しさを、人の心の移り変わりを、ストーリーにして表した。
あるいは日本の平安時代であれば、暮れていく日や、夜が明けて山の輪郭が浮かび上がっていく様子を言葉にのせて歌った。春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際。
わたしは何してるんだろう?
多くの「商品」や「サービス」は、既に作られたものをどれだけ多くの人に使ってもらえるか、読んでもらえるか、見てもらえるかを試行錯誤する。マーケティングも必要だ。
「期待」にお金を払うのは一緒だが、バレエは、そして他の舞台芸術は、お客がいて初めて完成になる。
本番の1秒1秒が完成へのプロセスで、客はそれを完成と同時に受け取る。というか、客が受け取って初めて「完成」になる。
短調とオーボエで表される音楽の物悲しさ。
白と黒の白鳥や、文化を表す衣装の色づかい。
シンクロした踊りと、それでも隠しきれない個性。
そういったものを見ながら、無心になるのはなかなか難しかった。没頭して観るには、芸術から離れすぎてしまったのか、ビジネスの世界に既にいすぎてしまったのか。
前にバレエを観たのが10年以上前だったからか、「それが大人になるということだったら、それはちょっと嫌だな」とふと思った。
ここのところ、何か心が動かされたときに、「何か」について、あるいは「何を感じたか」について深く考えることなく、その瞬間を切り取って写真を撮って満足していた。それ以上の「感動」「気持ち」について考えるのを怠っていた。
だから今日は、1000文字書いてみた。バレエを観て受け取ったことについて。
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