みじかい襟足
今日は、とある事情があって、髪を結ばなくてはならなかった。
それは分かっていたし、頭の中で髪を結ぶタイミングまで考えていた。が、肝心のヘアゴムを忘れたことに気づいたのは、出勤途中の車の中だった。
あー、やってしまった。けれど、わたしはこういうとき、心のどこかでどうにかなると思っているものである。脳内で、ヘアゴムの代わりになりそうなもの…と考えるとすぐ、「輪ゴム」が思い浮かんだ。きっと、黒い輪ゴムがあったはず。希望的観測でしかないのに、妙な安心感を得る。もし、あの何色なのかわからない、「輪ゴム色」のゴムで髪を結んでいたとしても、人はきっと何も思わないはずなのだ。この襟足をもってすれば。「あれ、輪ゴム…?いや、そんなはずないか…。それより、襟足の髪出てるなあ。こんなに襟足短いんだ〜。」という方向に思考が向くに違いない、という確信があった。それくらいどうしようもないほど短い襟足が、わたしの首の後ろに身を隠しているのだ。
一応ヘアピンだけは持っていた。
結局、あの「輪ゴム色」の輪ゴムで髪を結ぶ。その後に、唯一のヘアピンで襟足をおさえる。広範囲にわたる開放された襟足を、一本のヘアピンではどうすることもできず、わたしは無言で鏡から離れることにした。輪ゴムのカモフラージュになるなら、まあいいだろう。
同僚のアメリカ人は、毎日何のギターを買うかの悩み相談をしてくる。自分の欲しいギターが隣県の店にあると分かったそうなのだが、彼は浮かない顔をしていた。
「奥さんにバレずに、どうやって取りに行って帰ってくるか、作戦を立てなきゃ。」
どこの国に生まれても、そういう構図は一緒なのだろうか。アメリカの輪ゴムも、同じ色をしているのかな。
輪ゴムに収まらなかった短い襟足を撫でながら、9000000という数字の桁を数えていた。ボーナス何回分かな?(笑)
アメリカ人の楽観性には敵わない。