寒の雨とあんみつ
1月の雨が降る中、あんみつを食べに行きました。この歳になるまであんみつを意識したことなかったのですが、フルーツや寒天やみつ豆や白玉、和三盆のアイスクリームなどにキラキラしてときめいてます。外が寒くて雨が降る午後に、後数日で自分の住む国に帰っていく友達とおしゃべりしながらあんみつを食べました。
冬が苦手で寒いのが嫌いだったのですが、引っ越して環境が変わったせいなのかわかりませんがこの冬はあまりエアコンをつけていません。窓が大きく日当たりの良いせいなのかデジタルの湿度計を見たら目を疑う30%代だったり、数回 lowと言う表示になっていて乾燥してるーと焦りました。なのに加湿器を持ってなくて、アロマディフューザーで申し訳程度に加湿したり、洗濯物を数枚部屋干しにしたり、お風呂に入るときにリビングへの空気の誘導をしたりで凌いでます。
去年までは朝起きたらエアコンに加え、ガスファンヒーター結構高温に設定をしガンガンに部屋を温めてました。ガスの警報器がピーピー鳴って、外に出て復旧ボタンを押したりすることも。それが今年は末端の冷えを感じなくなって、今年の冬は例年に比べて暖かいのか寒いのかもよくわかりません。
考えられることは1つは車に乗るのをやめたこと。歩き、自転車、公共の交通機関を使う生活になりました。自転車を持っていたのですが、乗ることはほとんどなく、家を出たら車に乗って目的地に行くのでほとんど歩かない。電車も1年に数回程度の利用頻度でした。今の家の前が坂になっているのですが引っ越してきた時はその坂を越えることができなくて、途中で降りて押していたのが今ではなんとか超えることができるようになりました。大したことではないですが、お!登れた〜!と毎回ちょっと嬉しいです。車を使っていた毎日の買い物が徒歩と自転車にシフトして生活習慣を変えたことで全身の筋力がアップしたのかも知れません。
もう一つ考えられるのはリフトアップセラピーで気持ちが前向きに変わったこと。この15年くらい自分の心か魂を玉ねぎの皮やキャベツの層みたいな薄い皮が自分を覆っているようなイメージがありました。それは臆病な自分を外側から守っている、そして同時に余計な物を身につけて重たくなってる私の心の状態そのものです。その中心へ向かう作業をしたくても、何をどうすればいいのかうまくできない感じでした。
だんだんと歳を重ねると求められる役割が増えていきます。妻として、母として、嫁として、娘として、姉として、妹としてなど。自分の中で折り合いがついていたらいいのですが、自己犠牲の上に役割を演じてしまったり、本当の自分の望みがそのうちわからなくなってしまったり。そして自分の軸がグラグラになって反転してしまうとやること成すこと納得はいかない悪循環を繰り返す。
私はリフトアップセラピーを受けて、また毎日自分の顔と向き合っている中でだんだんと自分の顔を好きになって来ました。歳をとるとシミだったり、シワだったり、たるみだったり、若い時の顔から離れて言って毎日の自分の顔を見るたびに老化を目の当たりにしてだんだんと自信をなくしていくことってよくあることだと思います。毎日の生活の中でうまくいかないことに心を砕かれて、1年半くらいお化粧をする気持ちにならなかったこともありました。最近ふと思い出したのは幼稚園くらいの時のことでした。留守番をしていた時に母の鏡台にむかって自分の顔を眺めているうちに、お化粧がしたくなって頬紅をつけてみたことがありました。その時ほんとに少しだけ顔色が明るくなって楽しい気分になっているところに家族が帰ってきました。するとみんなが、今日はいつもよりも可愛い可愛いと褒めてくれたのを覚えています。違和感のない程度にうまくチークを乗せたのでしょう。その時のことを思い出して、確かに私は幼いときは自分の顔が好きだったと思います。いつからか自分の顔を否定的に見るようになって、それがリフトアップセラピーで日々解消されています。また先日デパートにファンデーションのリフィルを買いに行きました。その時に肌の水分量や皮脂バランスを数値で測ってもらったのですが、三角形の大きさとバランスが良くて褒められました。ファンデだけはデパコスですが、基礎などは普段はシンプルケアなのですが。この冬は部屋のデジタル湿度計が30%台になったり、初めて見た判定不可能のLoが出たりで11月ごろはかなり乾燥も気になっていたのですが、そういえば最近はあまり気にならなくなってきたところでした。体や細胞の持つ知性のチカラは脳よりも賢いということが少しづづ実感を伴いながら理解しつつあります。
数日続いた雨で空気が冷たい湿り気を帯びた1月にハワイから来た友達とあんみつを食べたことはもしかしたらずっと覚えているかもな。忘れないかもしれないなーと思いました。
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