1 6 8の比較②


T6


自認6の方から直接聞いたお話。
予測できないこと・確信できないことが6にとっての不安。
集団が自分の味方になるか敵になるかわからないから(どちらに転ぶかわからないという不安要素に6は弱い)、自分の安全を確保するために同調圧力に屈したり、あえて同調したり、集団の様子を伺ったりしてしまう。そうして確信と安心を得たい。
集団(権威や公式の場合ももちろんある)が自分にとっての指標だった場合は、そこから自分がズレること、ズレたことにより排斥され拠り所を失ってしまうことを恐れる。
コントロールされることを恐れるが(自己主張はしたいが)、出る杭になってしまい、叩かれることへの不安や恐怖が絶えずつきまとう。自分の気持ちそのものがわからないのであれば9。
ここは私の考察だが、どこまで出たら許されるのか、どこまでが出る杭なのかと試し行為をするのも非常に6的ではないかと思う。
なんやかんやで社会に属していたい。そうして安心を得たい。社会的立場を脅かされたくない。
正しさより損をしないを選ぶ。
外から見た自分を気にする。
自分で大きな決断をすることを恐れるが(それにより自分に降りかかる責任を恐れる)、同時に決断権を委ねることにより舵を取られること(相手にコントロールされること)を恐れる。
一方の8は責任大歓迎。これが自分の意見であると主張することを好む。外部から何を言われようが揺らがない。1も同様だが、1は自分が正しいと思うことを相手に説く。
sxは恐怖対抗型。自分を他者に揺さぶられたくないから自立したいし、そのチャンスを阻まれるのが嫌だ。非難され除け者になってしまうことが耐えられないから、その前にどうにか自立したい。
あとから怒りに気づくか、自分の怒りをうまく自覚できない。自分の感情から価値観から切り離されていると感じるのは、369の共通点かもしれない。
社会を強く意識してしまうのは(したい・したくないにかかわらず)3-6ラインの共通かもしれない。

T8


そもそも不安という概念がない。
集団から外れた位置にいることも多いので(反社会的言われているのにも関係か)、集団にどう思われようが気にしない。周りではなく、自分はどうであるかを重視。ハブられようが何とも思わない。身内以外への仲間意識が薄いため。
社会的立場についてそこまで考えない。それより自分はどうであるか考え、自分の守りたいものを優先する。手段は選ばない。
正しさより損をしないことより行動することを選ぶ。
外から見た自分を気にしない(6持ちの場合は多少気にするかもしれない)。
コントロールされることそのものを恐れるのではなく、力でおさえつけられることにより、自分で自分を無力な存在だと感じてしまうこと(傷つけられ動けなくなってしまうこと)、それにより抗えなくなることを恐れる。鉛の法則にも関係。
‪コントロールされたくないから、他人、をコントロールしようとする。→この8の説明は私から見て表面的すぎるし、どのタイプも不健全であればそうだろうと思う。
コントロールされると思うのは力でおさえつけられそうになる瞬間。相手を上から力でおさえつけることにより、行動を封じる(意志エネルギーを外に放出して対抗)。自分とテリトリー内の人が侵害されることを防ぐ。
コントロールとパワハラという文字だけ見て、プロセスを見なければ必ず誤認する。主導権を握りたいだけでは同じガッツセンターの1(自分の思想を説き、相手を導きたい)、ハートセンターの3(そうして自分をアピールしたい)、対抗恐怖型の6(そうすることにより誰にも自分は傷つけられないんだという保証と安心感、自信がほしい)、8のウィング強めの7なども該当する。mbtiを絡めると、変に圧があったりめちゃくちゃな理論で露骨に人を傷つけたりする場合は、IFPのTeグリップの可能性もある。8の場合は意志や力関係が必ず発生し、話に絡んでくる。コントロールすることにより力を感じていたいという人も8の中にはいるかもしれない。ただしそこに囚われている8は私からするとかなり不健全である。囚われを手放し、他者を愛し、その人のために力を使いたい、心から尽くしたいと思うときが8の統合。もちろんその人の前では心を覆ういわゆる感情の鎧が消える。その時の姿がタイプ8の美徳でもある無邪気なのだろう。
健全なタイプ8はハートで相手を思いやることが自然とできているし、それが2統合でもある。だからこそ、立場の弱い人の苦しみや痛みに共感的であり(かつて自分も経験したものだから。8は敗者復活戦チャンピオンだと私は認識している)、自分が傷つこうとそういう人たちを守ろうとする。
健全な8であれば弱肉強食を現実として認めつつも、それを否定する。自分の周りだけでもそうはさせないと、抗う意志を強く見せ、保護者的な立ち回りをする。
その人たちを拠り所や大義名分にはしない。自分とその人たちを(目に見える形では)切り離されたものとして扱う。でないと、更なる不当な扱いをその人たちが受けてしまうと考えるため。
その人たちを守ろうと思い、決断と行動を選択したのはタイプ8自身であるという気持ちが強い。
自分の攻撃性や圧をアピールする8は不健全か、8の攻撃性を利用したい別タイプ。
8の美学は自己の明け渡し。信頼している相手に身を委ねることに抵抗感はない。ある意味相手の忠実なしもべとなり、その人のためなら自分自身ですらコマ扱いして捨てることも(ここはNTJの8、もしくは△852の特徴かも)。
8の自立したいというのは、社会を強く意識してしまうがゆえではないと思う。
自分のことは自分でやり、意思決定を自分自身で行う。そうして自分の責任は自分がとる。そこに価値を見出している。リスクと責任を負うことを好む。
逆に健全な8であれば、責任が持てないことはしない。自分の言葉は約束。(リソ本より)
怒りは自然な感情。怒っているその瞬間に強く感じる。あとから気づくなんてことはない。ただし、なぜ怒っていたのかという理由にあとで気がつくことはある。自分の感情そのものには自覚的。

T1


そもそも不安という概念がない。
自分が正しいと思うことのためには、集団から外れることもいとわない。公式、権威、法律などの外部の基準を前提に、正しいことが大切なのが6、自分の内側の正しさを求めるのが1。外部からあなたは間違っていると非難されようとも、自分が正しいと思えば、黙れと一喝する。8はそもそも正しい・間違っているを気にすることがなく、自分はどう考えるかを元に意思決定することに重きを置く。
社会的立場についてあまり考えない。それより自分が正しいと思うことを優先する。
損をしないことより正しさを選ぶ。
外から見た自分を気にしない(6持ちの場合は多少気にするかもしれない)。
統合先、分裂先を考えても、トライタイプに2や6を持たない1が誰かに対して仲間意識を持つとは考えにくい(その2つを持つ場合は別)。私から見た1は集団を導く(自分の正しさを元に導きたがる)時には独善的な牧師。
集団や権威が間違っていたら、臆せず立ち向かい、自分の正義を相手にぶつける。1は自分で自分を正しい存在であると認識し続けられることが大切。なので他者からどう思われようとあまり気にならず、その姿が独善的だと言われてしまう場合も。恐れるのは自分で自分を間違った存在、堕落している、善くなれないのだと自覚してしまうこと。基準も指標もあくまで自分。
力関係という概念がないため、それに基づくコントロールするしないにはピンときていない様子。第三者として全員を公平な目で見ることを好む。贔屓はしない(Te)。相手を裁くいわば裁判官的な立ち位置にいる。天から見守るような感じで、視点のブレはない。
8は露骨に贔屓することもあれば、それぞれの立場に立ち、何が1番相手にとっていいかを考える(Ne)。複数の視点から可能性を模索する。
6は決断を下すことを恐れるが、1と8は恐れない。下した決断について延々と述べるのが1、一言で終わらせて行動に移すのが8。1は自分の考えを説き、広めたい。8はとにかく行動したい。
常に怒っていると言われるのがこのタイプ。内に渦巻く怒りを自覚し、強く意識せざるを得ない。

1は6を検討し、ある程度感覚もわかるけれどやっぱり違うとなる。8は6を検討するも何もわからない。6は1や8を検討し、自分はこれだと誤認する可能性が高い。1や8が自分の内側を通し情報を消化できるのに対し、6はそれが難しい(おそらく全タイプ中最も不得意である)ため。

1は8を検討し、自分は8かもしれないと考えるが、その逆はない。私にとって1は細かすぎるし、正しい正しくないにそもそもそこまで目を向けていないため。何がその人の成長に繋がるかを自分事のように考える姿が、外から見たら正義に見えているだけだろう。正義はそれぞれの中にあるし、またそんなものはないとも言える。

1と8は自分視点から自分の話をする。外部の基準や客観的指標・第三者からの見え方は特に意識しない。社会や周りがどうであるかより、自分がどうであるかの方が大切。判断軸が社会ではなく、自分の内側。1は信念、8は意志。


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