個人的にどこかに(ウィング込エニアかトライタイプ)6があるのではないかと思う人

類型を学び始めて3ヶ月程度であれば、まだわからなくても当然である。ただし、何ヶ月、何年と学び続けていても中々決まらない場合、特に以下の特徴が当てはまる場合は、1度ちゃんと6検討した方がいいかもしれないと私は考える(勿論全タイプについて学び、検討する前提)。ワンチャン369の統合・分裂にも関係していると思うので、同時に3と9も考えてみるのがいいかもしれない。

①自分以外が正しい

類型に関する記事を見るたび、ここが自分に当てはまる!(これもそう、あれもそう、で中々決まらず自認がコロコロ変わる)と、複数のタイプが該当する気がしたり、なぜ当てはまるのか、どうしてそうなのかを恐れと根源に絡めて追求したり言語化したりするのが難しい場合(タイプ6の自分の考えが信用できないから、外部に頼るが発生している。自分以外が正しいの状態)。ネットの記事や本を引用して、こことここが特に自分だと、そのまま引用する傾向がある場合。恐れや根源と密に関係していない特定のエピソードだけを絡め、自分がそのタイプなのではないかと思ってしまう場合。

②公式だけが正しい

自分が信じる公式(リソでもチェスナットでも)だけが絶対と思ってしまい、それ以外を認められない。公式のタイプの定義から外れた特徴を少しでも見かけると、過剰反応してしまう。公式がそう言っているからそうなんだと思ってしまい、自分の内側にきちんと情報を通せていない(タイプ6の忠実、忠誠由来。自分の外側に自分の思考を託し、それ以外には反抗的になる。公式以外の意見を見掛けると、自分の拠り所が揺らぐような気がして、無意識のうちに不安を覚える。同じく公式のみ正しいとみなす人を仲間とし、安心を得ようとする)。

③不安から逃れようとする

タイプ6は絶対に違うなと思う場合(そう思うことにより、不安から目をそらそうとしている可能性がある)。

④信頼と不信

外部を頼ると決めたのは自分の選択肢だが、6は自分の選択に自信がない(無自覚)。何より自分を信用できていないから客観的な情報に頼ろうとする。だが、外部が絶対と言いつつも、本当にその外部の情報は正しいのだろうか? 間違っていた場合は? と思わず考えて、どうしようと思ってしまう。それが6の不安の正体だ。

どれも情報を内側に通せていないゆえに起こっている事象だろうと私は考えている。

拠り所は言葉のままの意味ではない。自分で考えることが難しいから(情報の取捨選択がうまくできていない状態)、外部の情報を信頼し、それを正解とすることにより、安心を得るという意味だ。

だから「自分以外全て正しい」や「公式以外の情報を信頼しない」が発生する。

補足:タイプ6は、特定の信念や権威者に共感し、それらの指導者から学んだ価値観を内面化します。一旦、世界についての信頼できる情報源とみなされたものは、それがタイプ6にとっての価値観になります。そしてタイプ6は、自分と同じ価値観を受け入れない人に対して攻撃的になることがあります。 特に、不安な気持ちが強いほど、自分が信じている立場や忠誠心にしがみつこうとします。自分の信念に対する他人の無関心は、自分の信念を真っ向から否定されるのと同じくらい、タイプ6を激怒させることがあります。

https://casual-typology.blogspot.com/2021/06/difference-type1-type6.html?m=1

1の場合は事実の誤りがただ嫌というだけで、そこに理由はない。6の場合はある可能性の方が高い。

自分自身の行動を決定したり、自分自身の見解を発言する際には時間が掛かるが、一方でタイプ6から見て間違った見解や誤情報(学術的な見解を含めて自分が信じている権威的存在の見解や記述とは異なる情報)を無責任に吹聴する人を目にした時には、発言者、聞き手ともに自分とは直接関係のない人だったとしても、反射的に誤りを正したくなる。反射的に誤りを正したくなるのは、タイプ6以外にも、タイプ1や、タイプ5(自分の理論や見解を否定するような他人の見解を聞いた時)にもありうるが、第三者が客観的に見る場合はともかく、本人の主観的には皆「誤りが許せない」「正しさを追求したい」が動機になるため、この「反射的に誤りを正したくなる」部分にばかり着目するのは避けたほうが無難。

上記URL

同意。6がなぜ誤りを正したくなるのかと私なりに考えたが、不安由来ではないか、と思う。自分が信じるもの・世間で正しいとされるものを揺らがされると、6は不安に襲われる。しかも無意識のうちに(エニアは無意識の囚われなので、6自身は不安を自覚していないことも。実際の感覚がわからないため想像の範疇にはなるが、なんだか焦燥感が込み上げてくるなあという風に思うのかもしれない)。

例えばの話、6の場合は公式に決めてもらうことにより安心を得ようとするだろう。あなたはこのタイプだと公式という拠り所により言われることにより、それ以上は考えずに済むからだ。それが答えを外に求める、答えが外にあるという状態。

5の場合はタイピング後も考え続けることを好むだろう(タイピングを受ける目的も、本当に自分が5なのか知りたい、相手がどう考えているのか知りたい、公式ではどう考えるか知りたいといったものだろう)。答えは5自身の頭の中にあるからだ。

「なぜ」を深堀りしすぎて迷路に迷い込んでしまう場合は、5の可能性がある(公式は言っていたが、それは本当だろうか。私はAという記述を前提にBという答えを導き出したが、それはCからKまで当てはまるのではないか、など。本当にそうなのか、またなぜそうであると言えるのかを疑うような姿勢)。だが、そういう人は薄々自分が5であったりどこかに5があることを気づいてると思う。
タイプ7は自分と向き合うことに痛みを覚えることがあるので、痛みにより自認を決めるのが難しい場合は7を検討。

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