試すの違いー8と6

タイプ8

8の場合は「できるか」と聞いたときに「はい」と言えるかどうかを見ている(相手の意志を見ている。信用に値するかどうかではなく、相手の意志そのものを試している。不健全8が圧をかけるとしたらここか)。

(例 ブラックジャックは患者の生きる覚悟を見るためにあえて高い治療費を請求している。自分が気に入った善良な患者が生きる意志を見せれば、金は1円も取らない。2統合8)

信用するしないを見極めるのは自分。8は自分を疑わない。なので6のように一度信用した相手を疑ったり、信用できるかどうか試したりすることはない(だからこそ裏切りを嫌うとも言える)。

だが、不健全な8はこの限りではない。名探偵コナンのジンを見てもらえばわかると思うが、誰も信用せず、自分の力のみを信用している。だが、ウォッカ相手にセキュリティポイントの2が出ているので(主観的にだが、なぜか少しウォッカにだけ甘く見える)、そこで8と6の区別はつくか。

タイプ6

用心深く心配症で、他人が信頼に値するかを確かめるために時に攻撃をして人を試す。

上記URL

こちらを見ればわかると思うが、攻撃的になるときはどのタイプもなる。だからこそ「なぜ攻撃的になるのか」という動機を見る必要がある。攻撃するから8、激しく怒るから8とは言えないのを、上記を見ればわかるだろう。不安を抱えている=ヘッドセンターと断定できないように、怒りが強いというだけでは、ガッツセンターの判断を下すことはできない。

8が相手の意志を試すのに対し、6は相手が信頼できるかどうかを試す。

安全を感じるために規則に則った行動を好む。根底にある不安感のために自らの決定を恐れて、優柔不断になる。

上記URL

ここは誤解を招きかねないので補足しておくが、自分が信じられると思うものが規則だったら、それに従うことにより安心を得ようとするという意味だ。規則に従うことに対して不安を覚えれば、従わないだろう。タイプ6全員が規則に従順なのであれば、東京リベンジャーズの九井一のようなキャラクターは存在しないことになる。

不安症なタイプ6もついつい最悪のケースなんかを考えてしまうみたいで、時々ものすごい疑念を信仰の対象にぶつけることがあります。

「本当に守ってくれるの?」

「実は裏切ったりしてないよね?」

みたいな。

もし試し行為で「信用に足るかどうか」の基準点を下回った場合、タイプ6は即座に信仰対象から逃げ出します。何なら凄まじい憎しみを向けて敵対することもあるでしょう。

上記URL

タイプ8は相手の意志という主観をベースに自分の主観で判断を下すが(自分の言葉は約束だというタイプ8の価値観に則って、やると言った以上やることが前提。有言実行なのかどうかを見る。成果が伴わずとも、意志が本物であれば多少は大目に見る。おそらくここがタイプ8の面倒見のよさと言われている部分だろう。なお不健全の場合この限りではない)、タイプ6は相手の行動という客観的な基準により信頼できるかできないかの判断を下す(言葉だけでは何とも言えるから、相手の行動という客観的な基準でで判断するしかないと考える。しかし、健全度が上がるにつれ煉獄さんのように仲間を信頼できるようになる)。

客観に関する話をもう一つ。
多くの6は客観>主観なので、客観的な立場からついあれこれ身内にアドバイスしてしまう。6w5に多そうなイメージ。
一方の8は相手の意志を見ているので、選択に口出ししない。その意志こそが何より大切だと考えているからだ。たとえば漫画家になりたいと言うジャイ子に対して、お前は公務員になるべきだぜとジャイアンは言わないだろう。

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