エニアを考えるにあたって

既にいくつかの記事でも書いたように、エニアを考えるにあたって大切なのは、限界まで動機づけを掘り下げることである(私周りでは動機をそれ以上掘れなくなったら答え=恐れに接触してる説を唱えている。たとえば、知識を大事にする→いつから大事にしているか、なぜ大事にするかなどを延々と掘り下げ、答えられなくなったところに恐れが隠れている=タイプ自認のヒントに繋がる)。

見るべきは説明されている概念で、具体例ではない(文字に起こすにあたり、具体例を通さなければそのタイプの概念を説明できないから、そうしている状態である)。タイプの説明で書かれている言葉を言葉の通り受け取るのではなく、その言葉を用いることによって著者は何を説明しようとしているのかを捉えること。

幼い頃の習慣がそのまま現在に持ち越されているのがエニア。自分にとっては当たり前の積み重ねなので、それを外から指摘され、初めて歪んでいたことに気づく。その指摘が的確かつ鋭いものだから、深く突き刺さる。

大人になってからこのタイプになった、この行動をするようになったからこのタイプに変わったと考えることはほぼ不可能である(ただし大人の定義を10歳とするなら、エニアの囚われ形成の時期に関係してくるので、その限りではない)。

どの恐れや囚われからどの行動がなぜ出力されているかを特定できない限り、その人の自認を真に決めることはできない。

以下の二点は性格のタイプを参考に考えた。

タイプ6であれば、父親的存在(実父、教師、兄など様々)と肯定的に一体化してきたという過去の習慣が、現在まで続いている状態だ。だから、外部に頼る(そうしておけば安心だ)が発生する。

タイプ2の場合、父親的存在に愛憎半ばであった過去がそのまま現在の習慣にも影響している。だから彼らは、善良でなければ愛されないと思い込み、今も他者に尽くし続ける。

それが過去から現在まで続く習慣だ。

過去の自分はどうで、今の自分はどうなのか。共通点は何か。過去から今に続く習慣はあるか。客観と主観を交互に確認するのが望ましい。日記や過去のツイートなどにタイプが滲んでいることもあるから、それを確認すること。真に自分がそのタイプであるのなら、本に書いてある内容を自分視点で解説することもできるはずだ。刺さるということは、自分のどの行動がその説明に該当していて、なぜそうだと言えるのかがわかっている状態だとも言えるからだ。

このタイプだけは嫌だ、生理的嫌悪を覚えるなどといったタイプがあれば注意だ。重点的に理由を掘り下げる必要がある。自分にも当てはまる部分があるから嫌なのか(そういう自分を認めたくない、見て見ぬふりをしているのか)、ただ単にそのタイプの説明にあるような人物像が苦手なのか。

前者の場合は、そのタイプが自認である可能性が高い。

私は心理学の専門家ではないので、以下は参考程度に留めていただきたい。掘り下げる際のヒントになるかもしれない。エニアグラムを掘るにあたって、ある程度の苦痛が伴うからだ。そして、エニアグラムの信憑性が疑わしいことも私は理解している。

Q.「生理的に無理」と感じたとき、その理由や原因を“うまく説明できない”人も少なくないようですが、これはなぜだと思われますか。

小日向さん「『生理的に無理』という感覚を掘り下げていくと、自身が抱えているトラウマに向き合ったり、対人許容度などを認識する、変化させることに心理的苦痛を伴ったりする場合があるからではないかと考えます。例えば、性嫌悪を感じている人がその原因を突き詰めていくと、幼少期の傷つき体験と向き合うことになる、といったことがあります。全てがそうではありませんが、『理由を説明できない』ケースには、『誰かに説明するほど自身の内面を掘り下げたくない』という心理が働いている場合があると思います」

上記URL

心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう[1][2][3]。

Wikipediaより


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