はじめまして。
はじめまして。
ユキヒロに興味を持って頂き、
本当にありがとうございます。
ツイッターを通して、読むだけで前向きになれるスイッチのようなアイディアをお伝えしております。
通称:前向きスイッチを読まれると、ちょこっとだけ
・人との距離感の掴み方が上手になる
・周りの人が助けてくれるようになる
・何かワクワクする瞬間が増え
・何かツイてるなぁ、と思う瞬間が増える
ということが実際に起こり始めます。
この前向きスイッチな考え方が、なぜ出来上がったのか、それは僕自身が体験した出来事に由来します。
ユキヒロってどんなやつ?
20代の頃は仕事が出来て負けなし。
出来ない人の気持ちも分からない、正直イヤなやつでした。そんな僕が迎えた人生の大きな転機。自信もプライドもボコボコにされ、考え方が180度変わり、物語の流れを変えた出来事とは一体。
自己紹介を通してお話をいたしますので、軽ーい気持ちでお読みください。(読了 約1分間)
〜プロフィール〜
🇯🇵ニッポン編🇯🇵
1.新卒なのに転職コンサルタント
大学院卒業後、
夢だった出版社に内定をもらうも、グループ採用のため「中途採用を対象とした転職」会社へ配属。30代〜40代の働き盛りを相手に20代新卒が転職のアドバイスをするコンサルタントに。
転職経験のない中、独自のやり方で月に100人の方々をカウンセリング、コンサルティング。仕事が段々と楽しくなり、年間個人売上1億を超えてきました。
転職は、人生の大きな分岐。多くの方のそんな分岐に携わり、転職の相談を山ほど受けているうちに、様々な方々の影響を受け始め、自分の人生を見直し始めました。
本当にやりたかったこと。
転職の仕事を通して感じられた、人の可能性。
今度はモノを通して、人の可能性や人生のお手伝いをして行きたい。
そう思った僕は、転職を決意しました。
2.順調過ぎて不安?
東京ディズニーリゾートの施設へ転職。前任の功績を鑑みてか、物販の経験は全くなかったのですが、知育玩具と文具雑貨店の2店舗店長を兼任。前年売上を毎月150%で2年間更新し続けました。
有名な企業で働いて、それなりに結果を出し、
結婚もして、とても順調。
しかし、これから先の未来があまりにも見え過ぎていたこと。自分の人生がこのまま終わってしまうことを不意に不安と焦燥感に駆られ、30になる年に退職。
一気に環境を変えるべく、以前から興味のあった海外に、いっそのこと飛び出してみようかと思いました。
結婚して、半年。
話せる英語はサンキューとイエス。
周りからは無謀だと言われましたが、英語力ゼロなのに、変な自信を持ち、妻にはVISAを取るまでは、日本で待っていてくれと告げ、片道切符でニュージーランドへ。
日本で仕事も生活も全てうまくいっていたため、何とかなるよね♪と軽い気持ちでいた僕は、自分がどんなに調子に乗っていたか、心から思い知らされることになります。
しかしこの時、そんなことを知る由もありませんでした。
🇳🇿ニュージーランド編🇳🇿
1.カネもコネも語学力もないスタート
コネも何もなかった僕がまずしたこと。
それはガイドブックを片手に宿探し。
住むところを見つけないといけないし、そこまでお金もかけられない。
そこで見つけたのが、8人部屋で窓もなく、
陽も当たらない地下室の宿泊所。日本円で7000円で、ダニに噛まれて滞在すること1週間。
1週間のうちにカタコトの英語で、フラットと呼ばれるシェアハウスをやっと見つけることができました。
「なんか海外っぽい✨」
ダニとの生活からも脱出!
(でも窓ない!)
夢の個室部屋獲得!
(鍵のかからないフリーダム)
と最初は喜んで外国人5人と暮らし始めたわけですが…
ここから夢に描いたような海外生活とかけ離れた想像を絶するような日々がスタート。そして正直、負けなしだった自分が自信もプライドもボコボコにやられる日々が始まっていくわけですが、それぞれのエピソードはまた少しずつ。
ちなみにニュージーランドのイメージは
こんな感じだと思います。よく誤解されるのですが、こちらは相当な郊外のお話で、
でも僕がいたのは中心部
オークランドという普通の100万人都市。
しっかりとシティで、地上200メートルのスカイタワーという観光スポットも、アメリカンカップで有名ヨットハーバーもあります。
さてさて。。
英語が話せない中、
週7で皿洗いから始めて、労働ビザを取得。
シェフから料理長になり、滞在約10年で永住権を取得。転職し、国内五つ星のホテルで日本人初、パスタ場の責任者に就任。人並みの生活基盤も整い始めてこのまま永住かと思いきや…
2.訪れた転機は突然に
久しぶりに休みがもらえたため、リフレッシュも兼ねて数年ぶりに日本に旅行に行くことにしました。
そこで、衝撃的だった食事、雑貨、何から何まで整った質の高さ。
数年前では当たり前だった景色も、全てが素晴らしいクオリティに感じられ、とても感動しました。
しかしながら、
人々は元気がなく、
誰もが疲れた顔をしている。
これは海外ではあまり見られなかった光景。
仕事は我慢しながらするもの、
疲れた身体を引きずってでも行くもの。
そういう概念的な重さを朝のラッシュで、
久しぶりに思い出しました。
そんな中で、自分の中に生まれた感情はなぜか「日本に帰ろう」という気持ちでした。
3.日本を出てから実感したニッポンプライド
海外に出てから、
日本人であるということだけで評価され、守られ、信頼されたこと。日本製品の質の高さ、
日本人の仕事のきめ細かさ、日本にいるときには、当たり前過ぎて感じられなかったことばかりでした。
しかし外に出て、
日本という国のブランド力の強さを
痛いほど感じさせられました
その日本が非常に元気がない。
僕はその現状を見て、そして、少しでも日本を元気にしたい。ブランド力に守られた10年の、
お返しを少しでもしていきたい。「日本に帰ろう」と決意をしました。
もちろん、一個人に何かが出来る
わけではありません。
大河の一滴どころではなく、
地球に降り注ぐ雨の一滴ほどしかありません。
しかし、海外で働いていたときの
ワクワクと働くということの考え方や仕事を通しての価値観を伝えていくことはできる。
今度は日本でもう一度チャレンジをする。様々なことを経験した今なら、きっとできることがある。20代の頃、負けなしで人の気持ちが分からなかったろくでなしのあの頃とは違う価値観を伝えることができる。
そう思い、決意しました。
こうして住み慣れた環境、友人、景色に別れを告げ、日本へ。
飛行機の窓から見えるニュージーランドの景色は、かつてないほど美しく、離れなくては見えないことの多さを改めて痛感し、10年間の様々なことを走馬灯のように思い出し、深い感慨に包まれながら帰路に着きました。
🇯🇵日本編〜第二部〜🇯🇵
1.40歳 住所不定無職・既婚の再スタート
帰国後はまたイチからの出発。住まい、仕事探しです。40歳・住所不定・無職・既婚。社会的に見たらヤバいステータスの中、見つけたベンチャー企業から第三のリスタートが始まりました。
この後に海外生活より過酷な日々
・2000万円の会社負債の冤罪
・経歴詐称疑惑をかけられ糾弾
・残業時間300時間 等々
また始まるのですが、これはまた別の機会に。
現在は大手企業に転職をし、レストランコンサルティング・企画職として健全に勤務をしております。
まとめ:周りに助けられる法則
言葉も通じない中、料理長を務め、永住権まで取得した背景には周りに助けられた要素がたくさんあります。
そんな異経験の中で学んだ、どんな環境でも前向きに進むという、人に仕事に幸運がツイてくる考え方を少しでも共有したくて、ツイッターを始めることにしました。そして、読むだけでスイッチを入れるように手軽に前向きになるアイディアを共有したいと思うようになりました。
前向き前向きスイッチを読み始めると
・人との距離感の掴み方が上手になる
・周りの人が助けてくれるようになる
・何かワクワクする瞬間が増え
・何かツイてるなぁ、と思う瞬間が増える
その小さな秘密をツイッターで毎日書いております。始めて半年で4000人を超え、今でも幸運なことにフォロワーさんは毎日増え続けています。
ツイッターでは、これからもそんな僕の前向きスイッチの秘密、フォロワーさんがどんどん増える方法など、余すことなくお話をしたいと思います。
軽い読み物のようなつもりで読んで頂き、
1mmでも「お。取り入れてみようかな?」なんて思って頂けたら、それだけで嬉しいです。
楽しんでいってくださいね。
そして、あなたの人生の物語が彩りに満ち始め、ワクワクっとし始めますように!
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あなたの毎日が素晴らしく鮮やかに
なりますように✨
ユキヒロ
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