見出し画像

技術の進歩って何だろう?

「技術の進歩って何だろう?」最近よく思います。父は「草刈なんて時代遅れだ」とよく言います。「除草剤を使えば苦労しなくていいのに。」
とも。

からだが楽なことをなぜ選ばないのか、彼には不思議でならないようです。除草剤は土中で分解するから安全、ミカンの木まで除草剤の成分は吸われないから大丈夫、というメーカーの説明を父は素直に信じています。

そこを信じ切れない娘はそれに対して「一周回って最先端なの!」とよく言い合いになります(笑)。

世界中で使用禁止が進んでいるにも関わらず日本では除草剤や殺虫剤がホームセンターで気軽に買える不思議。

先日も、今年は「オオアレチノギクが枯れない」と農協やメーカー、ユーザー(農家)が一緒になって頭を悩ませているという話題が。

だーかーら、除草剤で草を枯らせて土地の活力を奪い化学肥料なしでは生きていけないようになっている、この仕組みそのものがもう立ちいかないよーっていうことでしょう?と私は思うわけです。でもこれは農家だけの話ではなくてもっと大きな話なのだろうと感じています。

 今世界的に科学肥料の価格が高騰しています。日本でも肥料原料のほとんどを輸入に頼る日本もいずれそうなっていくことでしょう。それに伴い食料価格も上昇することが予想されます。戦後、食糧生産は農村部だけで担い、都市部で商工業を発展させるという分業化の道を進みましたが、その方向性も見直す時代なのでしょうね。

自然栽培の収穫量は慣行栽培と比較すれば少なくなります。

戦後の復興から高度成長期を迎え、収穫量を飛躍的に増やし、安定的にかつ安価に食料を供給するため、農業の合理化が進みました。単一品目を同じ大きさ、同じ品質で大量に生産し、野菜1つあたりの生産コストをどこまでも引き下げる努力。同じ植物だけが同じ場所にたくさん存在する不自然さは病害虫のリスクを上げ、それらに対応するため農薬や化学肥料を用いた手法が確立されました。

望む望まないは別として、この仕組みを止めるということはそこから享受していたメリットも手放すこと。脅かすつもりは毛頭ないのですが、スーパーに行けば手軽に美味しい野菜が手に入ることがいつまでも当たり前だとは限りません。ただそれが仮に現実になったとしても、実は全く怖いことではなくて、逆に温かくて楽しい世界が待っているんじゃないかな、と呑気な農家は思うわけです。

 うふふなミカンを応援下さる皆さまは、すでにどこかでこの仕組みに違和感を感じられていることと思います。少しづつ自分の手で食べるものをつくったり前述の大きな流れから距離を置く農家さんと直接つながったり。ご自身の手を動かし人と繋がり暮らしをつくる行動は、すでに社会的なムーブメントになりつつあると思います。つまりはムーブメントになるくらい、やってみたら「楽しい~」「氣持ちがいいなぁ」「またやりたいなぁ」と心が動く体験を多くの方がされてるのではないでしょうか。

澄んだ空氣の美味しさ、土の触り心地、鳥の声を感じながら、からだを動かし汗をかく。おなかがすくから何でも美味しくてありがたい。自然の恵みとそれを生かす知恵をおしゃべりしながら分け合う関係性。かつて当たり前に合ったことが、一周回ってやっぱり最先端なのかも知れませんね。

農業技術の発展で育てられた私は一概にそれを否定するものではありませんが、その技術を誰のために、何のために使うのか、世界をつくるのは使う側の意識ひとつだなと思います。

いただいたサポートは無農薬、自然栽培の勉強に充てさせていただきます。