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雪舟えま「はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで」一首評(1)

十一月って知ってる? 一年は365日あるんだ。
それを大体12等分したうちの11番目。
ああ、「一年」っていうのは…そうだね、また今度。
今日は11月3日。文化の日と呼ばれる祝日でもある。自分の中の自分、さらに細かい自分、さらに、と無数に分化してゆくのを感じながら夜の都会へと逃げる。わたしはなにを差し出したのだろう、それは定かではないけれど気づけばこの本を手にどこかの座標上に位置していた。

ということで一首評やりまぬ。

詰め替え用を赤子のように抱きとる夜明けの西友よ永遠なれ
雪舟えま「はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで」より

〈赤子のように抱きとる〉というのは非常に愛着を感じる動作の表現だ。わたしたちは滅多なものを〈赤子のように抱きと〉ったりしない。〈詰め替え用〉のその中身はわからないが、とにかくその〈詰め替え用〉のものに対するつよい愛を感じる。想像しうるものとしてはシャンプー、リンス、洗剤、etc…といったところだろうか。
大切なのは「〈詰め替え用を〉買う=その商品を初めて買うのではない」という等式だ。つまり〈詰め替え用〉の商品自体を、その日まで継続されてきた生活として捉えることができる。はじめの地点まで戻ると、この歌は-継続されてきた生活へのいとしさ-をうたっているといえるだろう。
そして下句では〈西友〉の〈永遠〉に対する渇望が展開される。〈西友〉もやはり暮らしに関わる存在。広大なフロアに数多の生活必需品が安価にそろえられている。たったひとり裸で投げ出されれば衣服や食料さえままならないわたしたち〈赤子〉にとってはゆりかごであるとさえ言える。ゆりかごに願う〈永遠〉は同時にその内側へも語りかけられるだろう。

最後に、いとしさとははかなさである。
〈夜明けの西友〉ははかない。時が止まっている。もちろんみんな知ってる通り〈西友〉は24h営業。でもよほどの大都心でない限り〈夜明け〉の客はほとんどいない。本来の〈西友〉のにぎわう姿を知っていればこそ心細さははかり知れない。そういった習慣や法律や常識や「多くの人たちを繋ぎ止めているもの」からはなれた瞬間におとずれる不安。そしてそれはうらがえり、目の前の生活への愛着へとつながれる。

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