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さようならドングリ、いまでも好きだ。

タイトルはパクった。


私がドングリFMについて語るのはこれが最後になると思う。これからドングリに対して本気のファンレター(パロディ)を書く。

「おい、ふざけすぎだろ」と思ったらいますぐスマホを地面に叩きつけてほしい。

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ドングリを聞くようになったのはコロナ禍でのことだった。ジムに通うことをやめ、部屋に引きこもった。まじめな性格である私は一切の外出を避け、ひたすらネトフリを見て、ポッドキャストを聞き、堕落した日々を過ごした。体重はあっというまに増加した。いつからか耳鳴りがやまなくなった。

誰と会うこともなく、誰と会話するでもなく、家に閉じこもっていた私の側にいてくれたのは、君たちふたりのその声だった。ネトフリに飽きた後は、ただひたすらドングリを聞き続けた。耳に響くその高い声も低い声もどちらも同じように完璧で、私をつよく惹きつけた。お互いの欠落を埋め合うようなふたりの声をきいている時間が、私はたまらなく好きだった。

初めてそのヒゲの男に会ったのは、10月にしては暑い下北沢でのことだった。そのゆるぎないまでの存在感に私はただただ圧倒された。憧れのその人はドングリTシャツでもなければニューバランスのスニーカーですらなかったし、リスナーに配るための十分なステッカーでさえも持ち合わせてはいなかった。失望するしかなかった。

それから東中野。目の前の憧れのその人に聞きたいことは死ぬほどたくさんあったはずなのに、なにひとつとして聞くことが出来なかった。いつも聴きなれた声のはずなのに、現実世界でのヒゲの声がよりいっそういい声なのが不思議だった。

それにしても、この男は恥じらいを知らなすぎる。公開収録に平気で寝ぐせつけてくるようなこの男のことを、私は本当にずるいと思った。新入社員のくせしてピンと張りつめたミーティングでなんの躊躇いもなくサンドウィッチ食べるこの男のことを、羨ましいとも思った。

私は悔しくて、この男が心にこっそりと抱いている秘密や、誰にも見せない心の弱さみたいなものを、音声や文章にほんの一瞬覗かせる瞬間をぜったいに見逃したくなくて、聞き逃したくなくて、本気でドングリに耳を傾け続けた。

西武線沿線でライオンズと共に40年以上を生きてきたこの男は、いったいどんな人生を歩んできたのだろう。この男の見ている世界を見てみたい。どんな世界が見えているのだろう。ただ、一度でいいから、なりたいと願う。同じ高さで世界を見てみたい。そう願った。

いつのまにかライターから文筆家を名乗るようになったイキった君をちょっぴり誇らしく思った。スポンサードされている君をなんだか自分のことのように嬉しく思った。会いに行けるアイドルだった君が、気づいたら手の届かない存在になっていた。

これはもう完全に、大好きなインディーズバンドがメジャーデビューしてしまったのを眺めるのと同じ…って、全然違う、そうじゃない。ごめん、同じじゃなかった。全然フツーに東中野に行ったら会えたわ。

ドングリのことは、いまでも好きだ。

だけどもう、わたしはすっかりげんきです。

苦しかったあの頃の私を、救い出してくれてありがとう。しょーもないお便りをいつも読んでくれてありがとう。鳴海さん、コメントありがとうございました。

ちょっと距離を置くけど、いつも正座して聴いてるよ。嫌いになったわけじゃない。これからもたくさんのひとを救ってほしい。誰かの支えになってあげてほしい。いつか道に迷ってしまうことがあるかもしれない。またこころが折れてしまう時がくるかもしれない。そうしたら、その時はまた、助けてほしい。

「narumiさんのTシャツがほしい」なんてたわごと抜かしていたあの頃の自分自身を、私は遠い昔のことのように懐かしく思う。部屋に閉じこもってシミのない壁をずっと眺めていたあの頃の自分を。

私はファミマのアイスモカブレンドを飲みながら、白い壁に向かって力強く言い放った。


「さようならドングリ、いまでも好きだ。」



このとき感じたアイスコーヒーの酸味と苦味とその奥深さを、私は絶対に忘れない。