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さようなら松屋、いまでも好きだ。

僕が松屋について語るのはこれが最後になると思う。これから松屋に対して本気のラブレターを書く。

「なにそれ気持ち悪い」と思ったらいますぐブラウザを閉じてほしい。

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松屋のことは昔から好きだった。初めて松屋に行ったのは17歳の頃だったと思う。夏休みに池袋駅南口近くのお店で牛めしを食べた。味は覚えていない。

その次の記憶は大学生のとき。当時キャンパスには本当に、誇張なしに、ただの1人も友人がいなかったので、昼は大学を出てすぐの松屋によく行っていた。トマトカレーのことを覚えている。とても酸っぱく感じたが、癖になる味だった。

社会人になってからは呼吸をするように松屋に行った。もう無意識だ。何も覚えていない。忙しい合間を縫って、カレーを食べたり、牛めしを食べたり、ただ流し込むだけの食事だった。

30歳を過ぎてから、松屋のどうもパッとしないポジションが気になってきた。次々と出る新メニューはどれも工夫に溢れているし、牛めしだって美味しいし、何よりあのカレーは最高だ。でもどこか物足りない。

なんだか垢抜けないし、都会的ではない。「ヨシギュウいこうぜ」みたいなキャッチーさもなく、僕らの間に松屋をめぐる共通認識があるわけもない。ただひっそりと行く飯屋でしかなかった。

吉野家と比べるとどうしても二番手、三番手のイメージが強い。すき家、なか卯もぐいぐいと伸びていく中、松屋は名前こそ誰もが知ってるが、なんとなく全国区になれないマイナー感が漂っていた。

「お前はもっとやれるだろ…?」そんな松屋に苛立つ自分がいた。

しかし、忘れもしない2016年4月。「ごろごろチキンカレー」を初めて食べたときは雷に打たれた気分だった。ただでさえ美味かったカレーが、ついに一線を超えた。何かが変わる予感がした。

気づいたら一心不乱にスマホに文字を打ち込んでいた。いま読み返しても相当に気持ち悪い文章が残っている。

読むとわかるが、このときの僕は明らかに取り乱しているし、何かに取り憑かれているかのようだ。そこにはこう書かれていた。

「ごろごろチキンカレーはきっと伝説になる」

その後も、タイ風グリーンカレー、麻婆カレー、創業ビーフカレーの復刻と、カレーを軸にした松屋の快進撃は止まらなかった。カレーの評価とともに松屋のプレゼンスも徐々に上がってきているのを感じた。

気づけば毎年春のごろごろチキンカレー復活を人々は心待ちにするようになった。コアなファンの間ではある意味“復活祭”とも言うべき恒例の祭りになっていた。

豚肩ロースの生姜焼きの完璧なリニューアル、うまトマハンバーグ、ごろごろバターチキンカレー、そしてうな丼。松屋の開発力はさらに研ぎ澄まされていった。いつしかすき家はもちろん、吉野家よりも、存在感は増していた。

気づけばTwitterアカウントを開設し、インスタグラムではストーリー機能を駆使して、「次の画像をスクショして壁紙に使ってね♪」なんて言っている。

SNS担当者は明らかなプロである。松屋特有の野暮ったさが消えた。いや、そんな野暮ったさすら、一周回ってネタにできるレベルの上手さが垣間見えた。プロの中のプロだ。

そして2019年11月末、松屋はTwitterでオリジナルカレーの終売を発表した。夜22時半に突然のツイート。ざわつくネット。夜のうちにネットニュースには速報が流れた。明け方にはヤフトピ入りし、朝の情報番組で取り上げられ、10時の公式発表に注目が集まった。

松屋の新メニュー発表がまるでAppleの新製品発表会のようだった。ちょっと前の松屋とは思えないほどの洗練度だった。そこに至るまでの流れが綺麗すぎた。

お前、そんなやつだったっけ?  そんなに器用に立ち振る舞えるんだっけ? 少し無理してないか。

勘違いしてほしくないのは、いわゆる大好きなインディーズバンドがメジャーデビューしてしまったのを眩しく眺めるようなのとは、違うということ。

松屋は自らのポテンシャルに見合うだけの正当な評価を得始めたし、それに合わせて周囲の期待も高まってきた。それはとても嬉しい。

ただ自分の好きな松屋はちょっと垢抜けなくて、物足りなくて、友だちのいない僕をいつものオリジナルカレーであたたかく迎え入れてくれた松屋だった。

そんな「俺たち本気出すと実はすごいんだよな」「まわりはわかってないよな」感を含めての松屋だった。みんなに評価される松屋なんて松屋じゃな…。

いや、違う。こんなことを言おうとしたんじゃなかった。

ってこれは…。あれか。

完全に、大好きなインディーズバンドがメジャーデビューしてしまったのを眩しく眺めるようなのと同じだ。ごめん、同じだった。

松屋のことは、いまでも好きだ。心の底ではそれは変わらない。だけどもうみんなに愛されている。すごく幸せそうだ。

ちょっと距離を置くけど、遠くから見ているよ。嫌いになったわけじゃない。

これからは店の前を通るたびにすこし切なくなるかもしれない。ただ、ずっと応援してる。いろんな人に愛されているのをそっと見守っている。すれ違っても、たぶん声はかけない。

5年、10年たって、落ち着いたらまたカレーを食べに行く。トマトカレーでもないのに酸っぱく感じたら、それは涙の味かもしれない。

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