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黄エビネが咲く庭で (第二十一章 五月の空) 

第二十一章 五月の空

『医療・介護DX推進会議』の発足に向けて

 吉田たち五人が『医療・介護・福祉DX推進会議』の発足に向けた話し合いをしていた頃、四大臣もこの推進会議をどのように推し進めていくかについて話し合っていた。
 ただし、彼らの論点は、いかにして『医療・介護・福祉DX推進会議』を自分たちの手柄とし、次の内閣改造や選挙で自分たちに有利になるように仕向けるかであった。
 
 厚生労働大臣の小川にしてみれば、自らの在任中にこれほど社会へのインパクトがある企画が上がってくるとは思ってもみなかった。
 しかも、中身を見てみれば、今の日本の社会課題を解決する具体的な取り組みであり、諸外国から遅れをとっている日本のDX化にも貢献できるものだった。
 さらに、厚生労働省のみならず、他の省庁にも関わる、影響範囲が非常に広い企画だ。この『医療・介護・福祉DX推進会議』にしっかりと絡んでおくことは、小川自身が他の省庁の大臣に任命されても自分にとって有利に働くだろうし、将来の総理を目指す上でも輝かしい実績になるだろう。
 このように、小川にとって『医療・介護・福祉DX推進会議』は、非常に旨みのある取り組みだった。

 それは、財務省の楠木や経済産業省の徳永にとっても同じことだった。
 この四大臣の中では、小川が次の総理候補の筆頭だが、楠木にしても徳永にしても
「(小川の次は自分だろう。ただ、今は焦ることはない。総理に就任する順番がどうあれ、いずれそのお鉢が回ってくるのだから)」
と内心思っていた。

 事実、小川、楠木、徳永は、党内での人望も政治の実力も申し分ない。彼らは今後も、丁寧に、政治家としての実績を積み上げていくだけだ。
 その実績の一つとして、『医療・介護DX推進会議』と『SHIN-KNOW』は実に魅力的な取り組みだ。おそらく、彼らにとって政治家人生における大きな成果の一つになるだろう。
 
 あとは、松坂、新垣、内野、岡本が上手くコトを進めてくれれば良い。そして仕上がった『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』で国民の理解と支持を得ることで、我が党も一層盤石になる。そうやって太田総理に花を持たせれば、太田総理も満足するだろう。その結果、我々のポストも政府内の重要なポジションを獲得できる。
 小川、楠木、徳永の目論見は、見事に目線合わせができていた。
 
 濱田は、『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』は、自身にとって起死回生の一手になりうると踏んでいた。
 デジタル庁長官任期中に生じたトラブルの影響で、自分の党内及び政府内での評価が下がってしまったが、これは元々地方自治体の末端の職員がミスしたことで起こったものだ。自分のせいではないはずだ。なぜそれを自分が責められなければならないのか。
 この忸怩たる思いを抱え続けてきた濱田にとって、この『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』に自分も絡んでおき、成功した暁には、自分のせいとされているミスを十二分に挽回できるはずだ。
 井出については、能力があることは十分に理解している。いずれ井出に頼ることも出てくるかもしれない。だから井出は井出でキープしておこう。
 そう濱田は判断した。その結果、少なくても現時点において、エスタブリッシュシステムズも井出も、デジタル庁内での居場所が非常に狭くなっていた。

『医療・介護・福祉DX推進会議』、始動

 その年の骨太の方針で、『医療・介護・福祉DX推進会議』が内閣府内の取り組みの一つとして盛り込まれた。
 第3回医療DX勉強会で合意された通り、従来の厚生労働省、財務省、経済産業省、デジタル庁、内閣府の他、法務省と総務省、文部科学省も『医療・介護・福祉DX推進会議』のメンバーに加わった。また、各省庁との連絡や調整等の役割も必要になることから、会議の事務局を内閣府に置くこととなった。
『SHIN-KNOW』については、骨太の方針の中では触れられていなかった。
 これは、骨太の方針に『医療・介護・福祉DX推進会議』が初めて登場した上に『SHIN-KNOW』の名称まで出てくると、骨太の方針に対して
「すでに解析ツールとそのベンダーまで決定しているというのは、一体どういうことだ」
という過度の批判が生じるリスクを回避するためだった。
 
 実際のところ、水面下では『SHIN-KNOW』はすでに、法務省や総務省、文部科学省の一部の関係者にも知られていた。
 松坂等が彼らと事前に打ち合わせて、『SHIN-KNOW』を紹介していたからだ。その時のデモも、吉田が実演した。
 法務省、総務省、文部科学省の関係者がSHIN-KNOWによるデータ解析結果を初めて見た時の反応も、松坂らと同様に、
「これまでに見たことがない解析結果だ」
という反応だった。

 文部科学省の関係者は、
「このSHIN-KNOWの解析結果は、国公立大学の医学部の医学研究や新たな研究のヒントをたくさん与えてくれるだろう」
と、早速自分の省内での活用を想定し始めていた。
 
 総務省の関係者は、
「世帯ごとのデータを他のデータと連携させると、ここまでさまざまな解析ができるのかということに、ただただ驚いている。
 実際にレセプトデータと弊省のデータを組み合わせるには、個人情報保護法や次世代医療基盤法などへの対応が必須になるだろう。
 SHIN-KNOWの活用のために、具体的な取り組みを講じたい」
と、SHIN-KNOWの活用に対して前向きではあったものの、同時に多方面への配慮も必要になるだろうという姿勢でもあった。 
 
 法務省もSHIN-KNOWや『医療・介護・福祉DX推進会議』に前向きながら、
「日本の医療の質の向上という目的には賛成するし、推進会議でも協力するが、個人情報保護は国民が敏感にネガティブに反応する可能性が高いから、ここは慎重に進める必要があるな」
と、他の省庁や『医療・介護・福祉DX推進会議』が拙速に動くことを牽制した。

 これらを踏まえ、その年の骨太の方針には『医療・介護・福祉DX推進会議』の名称と設置の目的、目指す方向、取り組む内容、国民への影響、医療や介護業界への影響などがまとめられた。
 
 この骨太の方針の公表直後、『医療・介護・福祉DX推進会議』は早速マスメディアから取り上げられた。
 特に、個人情報保護に関わる『世帯の所得等の情報』と『レセプトデータ』を活用することは、マスメディアの格好の非難の的となった。
 それらの論調は基本的に、いくら公のためであっても、個人情報を個人の責任の範囲を超えて活用することはまかりならん、ということだった。
 個人情報の活用に反感を持っている多くの個人も、そのマスメディアの論調に賛同し、連日『医療・介護・福祉DX推進会議』への反論を訴えた。
 
 このような反応は、松坂等から見れば当初から想定内だった。
 元々、次世代医療基盤法では『健康・医療データを広く利活用することで、医療分野の研究開発や新産業の創出を促進』することを謳っていた。
 それはまさに松坂らが目指していたものそのものであった。

 今後一層国民の健康増進に資するために、患者さんが『自分が受けたい最善・最適な治療を受けられる」べく日本の医療の質を向上させるために、『医療・介護・福祉DX推進会議』がそれらの取り組みをリードするということである。
 これは、日本に貢献する『大義』そのものと言っていい。この大義の前では、個人情報の活用への反感といった個人的な感情から生じる批判なんぞ、何するものぞ。
 松坂らの志は、揺らぐものではなかった。

 マスメディアが『医療・介護・福祉DX推進会議』を取り上げて以来、会議のメンバーもマスメディア対応に追われた。
 特に、医療DX勉強会から所属していたメンバーは、テレビや雑誌などに頻繁に登場せざるを得なかった。
 だが、『日本の医療の質を向上させる』という大義のもと、松坂たちは真摯にマスメディアに対応し、患者さんが不利益を被らないように配慮しつつ、日本の医療の質が高まることが公益に資するのだということを繰り返し訴え続けた。
 このような取り組みのおかげもあって、マスメディアからの『医療・介護・福祉DX推進会議』への追及は日に日に弱まっていった。
 その結果、骨太の方針の公表から2ヶ月ほど経過したら、マスメディアは『医療・介護・福祉DX推進会議』に対して「亡国の陰謀の象徴」と吹聴したり、その存在意義を問いただすような報道は息を潜めた。

『SHIN-KNOW』の導入のために

 厚生労働省内の『医療・介護・福祉DX推進会議』に対する反応は、さまざまだった。厚生労働省の中では『SHIN-KNOW』に先行して、医療、介護、福祉に関するさまざまな公的データベースを作成、管理運営していたためだ。
 それらの担当者等の中には、これまで投入してきた税金や自分達の労力が、『医療・介護・福祉DX推進会議』が掲げるDX化によってどのような影響を受けるのか、場合によっては無駄になってしまうのかといった不安を持つ者も存在した。
 彼らの不安を払拭するために、小川大臣と松坂は一緒になって省内への情報共有や各会議体での説明と質疑応答、社内報での継続的な情報発信などに取り組んだ。
 小川大臣と松坂が省内からの全ての質問や疑問に対して、迅速かつ理解が得られるまで説明を尽くしたことから、省内でも『医療・介護・福祉DX推進会議』に対して抵抗する声はどんどん減っていった。
 特に、社会保険庁でのレセプトデータの分析のPOC(Proof 
of Concept:概念実証)で、レセプトデータをうまく活用すればさまざまな分析ができることがわかったこと、そしてその話題が厚生労働省内に広まっていたことも、『医療・介護・福祉DX推進会議』の理解を厚生労働省内で得るために追い風になっていた。
 そのPOCの技術を駆使すれば、レセプトデータ以外の厚生労働省内にある各種データもさまざまな分析できるということを、小川大臣と松坂はデータの担当者達に伝えていった。これは小川大臣と松坂が、将来『SHIN-KNOW』を使って省内にある各種データも解析することを想定してのことだった。
 担当者たちから見ても、自分達のこれまでの努力が無駄にならないことが理解できたため、皆安心した。
 このようにして、厚生労働省内で『医療・介護・福祉DX推進会議』に反発する声は徐々に雲散霧消していった。
 
 松坂は、厚生労働省内と各省庁が『SHIN-KNOW』の導入に前向きになった頃を見計らって、レセプトデータに電子カルテ内の各種検査のデータなどを取り込むための打ち手を進めていた。
 兼ねてからのアイディア通り、各医療機関がレセプトデータを提出して審査支払機関から医療の収入を得る際、レセプトデータに各種検査のデータなども必ず取り込んで提出することを診療報酬で義務付け、データを提出した医療機関には報酬を増額し、データを提出しない医療機関には報酬を減額するように厚生労働省と中央社会保険医療協議会に働き掛けた。

 これによって、レセプトデータにたくさんのデータが追加されることで、より多面的・多角的な解析が『SHIN-KNOW』で行えるようになる。そのことは、提供された治療が本当に有効だったか、どれくらい有効だったかを明らかにするだろう。
 だから『SHIN-KNOW』によるデータ解析の結果は、その後の患者さんの治療にも、その患者さんの主治医にも有益な情報となることは容易に想像がつく。
 
 松坂は医療機関の意向なども鑑みつつ、配慮はしながらも、個別の医療機関の思惑よりも日本全体の医療の質の向上に寄与できるアクションを優先し、徹底することにこだわり、計画を実行することを選んだ。
 レセプトデータに電子カルテデータを取り込むのも、そうしないのも、医療機関の判断に委ねる。そうした方が医療機関からの反発も、少しは減るだろう。
 この松坂の発案に対して、厚生労働省と中央社会保険医療協議会は『検査データのレセプトデータへの出力』を促すべく診療報酬を改定することに合意した。
 
 この時、厚生労働省と中央社会保険医療協議会はやはり、レセプトデータへの検査結果等の電子カルテデータを出力することに対して『医師の反発』と『病院の反発』が出る可能性を指摘した。
 従来から全国の医師の一部には、他の医師に自分の診療を見られたくないと思う医師が一定数いることが想像されていた。
 同様に、全国の医療機関の一部には、自院の電子カルテデータを外部の第三者に利用されたくない、自院の電子カルテデータは自院のものであるとする病院も一定数いた。

 彼らには彼らの言い分があり、それは無視出来るものではない。
 しかし、海外では『患者さんのデータは患者さんのもの』という考え方がスタンダードであり、そのデータの分析と有効活用によって最終的に患者さんの治療が最適化される。それは患者さんにとっても国にとってもメリットがある。
 そして、それを支えるインフラとしてITがあり、そのようなデジタルによるデータ化、データ活用を現実にしているのがDXである。
 これは日本や厚生労働省らの関連省庁が目指している将来の姿でもある。
それを妨げるような考え方は看過できない。
 
 そのために松坂は、電子カルテデータの出力に消極的な医療機関や医師らに対して、
・『SHIN-KNOW』で解析したいことは、医師ごとの治療成績の比較や優劣をつけることではないこと
・電子カルテの各種検査データをレセプトデータに出力することが、解析結果を参照したい医師や患者さんにとってメリットであること
・電子カルテのデータをレセプトデータに出力したくない医療機関は、その意図を明確にして、厚生労働省の関係各所に必ず申し出ること
を義務付けてはどうかと、厚生労働省内に諮った。
 この考え方も厚生労働省と中央社会保険医療協議会のいずれにも取り入れられた。
 
 厚生労働省内での電子カルテのデータとレセプトデータの活用は、着々と現実化に向かって進んでいた。
 他の省庁でも、厚生労働省同様に、それぞれの省内での反発の声はほぼ聞かれなくなっていた。
 ただ、法務省だけは、反発というよりも、不安が少々根強く残っていた。

個人情報を公的に活用することへの一部の国民の反感

 松坂も予想していた通り一部の国民が、『医療・介護・福祉DX推進会議』が患者さんの電子カルテデータやレセプトデータ、世帯に関連する各種データを扱うことに反対して、個人情報の保護をネットなどでも継続的に訴えていた。
 とは言っても、それらの声の中には、自分の腹を探られたくないという意図も見え隠れしていた。
 彼らは、収入などの個人情報を活用されることで、
「(追加で税金を支払わなければならなくなるなどの不利益が自分に生じるかもしれない)」
ということを自覚しているようにも見えた。

 松坂らは、そのような彼らの個人的な事情を詮索するつもりはなかった。
 一方で日本が置かれている近い将来に起こる急激な人口減少・人口動態・医療の提供体制などのさまざまな環境変化によって生じる、日本国民全体への危機や不利益を回避する必要性は十分に感じていた。そのための対策も必要だ。これらは早急に解決しなければならない喫緊の課題だ。
 そのための解決策の一つが『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』だ。それを法務省も理解し、納得もしている。

 だからこれらはなんとしても実現し、日本の将来の危機や不利益に対していち早く対策を講じなければならない。そのための法律の整備も急がなければならない。我々に残された時間は多くない。
 松坂たちには、些細なクレームにかまっている暇はなかった。 

『医療・介護・福祉DX推進会議』の成立と『SHIN-KNOW』の導入準備

 そう考える松坂たちと法務省は連携を密にして、『医療・介護・福祉DX推進会議』への拒否を唱える人たちの声を聞きながら、個人情報保護法と次世代医療基盤法の本来の趣旨を踏まえつつ、日本の社会課題である日本の人口の減少などの将来の危機や不利益に対処できる法案の作成を推し進めた。
 これらの努力の甲斐があって、『医療・介護・福祉DX推進会議』の各種関連法案は、無事に国会で成立した。
 この成立には、小川や楠木、徳永、濱田らの各大臣が、他の国会議員らに対して粘り強く説明と根回しを続けたことも大きく効いたのだった。
 
 国会での『医療・介護・福祉DX推進会議』に関連する各種法案の成立を受けて、レセプトデータと世帯に関連するデータの連携作業と、そのデータ解析ツールの導入の検討が始まった。
 こちらは、内閣府と厚生労働省と総務省が連携して検討を進めた。
 第3回医療DX勉強会で『SHIN-KNOW』を導入することは、メンバーから合意を得ていた。
 とはいえ、将来何が起こるか分からない。生き馬の目を抜くIT業界に生きる者として、吉田はさらに念には念を入れていた。

 吉田は、『SHIN-KNOW』でなければ実現できない、一層高度なデータ解析を実現するための新機能やデータ連携の技術に更に磨きをかけた。
 このことにより、エスタブリッシュシステムズを含めたITの競合他社がレセプトデータの解析の事業に参入しようとしても、もはやインフィニティヴァリュー社には到底追いつけない状況を作り出した。

 その上、吉田は『SHIN-KNOW』を、データ解析に不慣れな人でも音声で「こういう解析をしたい」と話すだけで瞬時にその解析結果を提供できるようにした。
 これによって、たとえ新人でも、初めてレセプトデータを見る人でも、『SHIN-KNOW』を使えば最も容易く、瞬時にデータを解析でき、医療のさまざまな課題を探索し、医療の質を向上させるヒントを続々と得ることができた。

 第3回医療DX勉強会で、吉田のインフィニティヴァリュー社と政府間で随意契約を取り交わすことに合意していたが、吉田はそれを盤石にすべく、国との協業の実績、『SHIN-KNOW』の安定稼働の実績、『SHIN-KNOW』による高度な解析と有益な解析結果の提供の実績を積み重ねていった。
 
 このような、吉田による地道ながら着実な取り組みについて、蒼生もメンバーの一員として加わり、精力的に活動していた。
 蒼生は、社会保険庁の職員へのサポートに加わっていた。蒼生は、彼らからさまざまな要望を聞き取り、それを『SHIN-KNOW』の開発チームに伝達し、『SHIN-KNOW』の操作を初心者でも迷わず、思った通りに操作でき、簡単に解析結果を出せるように取り組み続けた。

ビジネスで成功するために大切なこと

 蒼生らの丁寧な顧客対応は、各省庁の中でも次第に評判が高まっていった。
 それによって、エスタブリッシュシステムズをはじめとした他のIT企業に対する不満も噴出し始めた。
 最高の顧客体験をした顧客とは、このような動きをするものだ。商品やサービスが多様化するにつれて、顧客の気持ちの中には『支持するものへの賞賛』と『支持しないものとの絶縁』が同時に存在するようになる。
 吉田たちは皆、自分たちの取り組みが正しかったことを改めて実感した。と同時に、自分たちが提供する価値が最高であればあるほど、競合との差別化になり、ひいては自社のブランド化、独自化につながることも学んだ。
 
 ビジネスは奥が深いが、絶対に外してはならないことを愚直に守り続けることで、その後を如何様にも展開できるし、そのビジネスの主導権は常に自分が持ち続けることができる。そのことを吉田はメンバーに学ばせた。
 この考えが、吉田を長年日本のIT業界で一目置かれる存在にしてきた理由であり、吉田がメンバーに学んでほしいことでもあった。

 吉田は、自分のメンバーは良いビジネスの事例を学べば、彼らが自発的に成長できる人材たちだと信じていた。このメンバーへの信頼と自信が、メンバー自身のやり甲斐や
「吉田と一緒に仕事をしたい」
と思わせる理由でもあった。

医学界でも価値を発揮し始めた『SHIN-KNOW』 

 松坂は、『SHIN-KNOW』を用いてレセプトデータを解析することで、医学的な見地から医師の診療の役立つデータを基に論文化することを、医師と検討していた。
 医師の中には、リアルワールドデータと呼ばれる電子カルテデータやレセプトデータ、健診データなどを解析することで、医学に有益な示唆を論文として発表している医師が増えてきていた。
 松坂は、そのような取り組みをしている医師らにコンタクトをし、『SHIN-KNOW』によるデータ解析と論文化について相談した。
 その結果、何人かの医師が論文化を引き受けてくれた。
  
 その医師の中に、国立大学医学部の教授で島という男がいた。年齢は50歳だが、論文の執筆数やその評価は日本国内でもトップクラスだった。
 島の専門は、外科のがん全般である。
 彼は日常診療はもとより、若手医師の育成や臨床研究にも熱心で、患者さんのデータを独自にデータベースに蓄積し、臨床のデータから医学に役立つリアルワールドデ―タの解析も自ら行っている。
 その解析結果から、他の医師が日頃から感じている疑問に対する新たなヒントをたくさん提供していて、それらの論文発表にも関わっている。
 これに松坂は注目していて、今回の『SHIN-KNOW』を用いた論文執筆を相談した。
 
 島は、リアルワールドデータの特性を熟知しているがゆえに、データ上および統計学上の限界も理解していた。だから、リアルワールドデータを統計解析した時に、統計的にこういうことまでは言えるが、それ以上のことは臨床試験をすべきだ、とフェアな視点で論文を公表していた。その上で実際の臨床試験も手掛けていた。
 このように、島は医師としての側面だけでなく、科学者、研究者としての側面も持っていた。
 
 松坂から見れば、『SHIN-KNOW』が提供する価値を論文化するには、これほどの適任者もいなかった。
 島にしても、
「これまでの医療のデータだけでなく、世帯に関連するデータも組み合わせて費用対効果を詳細に解析できるなら、医療経済の観点から治療法を見直すことができる上、その論文が医療政策にも役立てられるだろう。
 そのことは、医療者冥利に尽きる」
とも考えていた。
 
 松坂の人選は見事に成功した。島は指導している研修医などに『SHIN-KNOW』を目一杯活用させ、解析し、論文を何報も書き上げさせた。それらの論文は皆、さまざまな医学会から注目された。
 そして、『SHIN-KNOW』から得られた診療の課題や疑問を解決するために、いくつもの新たな臨床研究がにわかに検討され始めた。『SHIN-KNOW』をきっかけに、日本の医学会から世界に向けて、さまざまな研究成果が発信されるようになり、日本の医療の急速な発展は世界から注目されるようになった。
 このようにして、『SHIN-KNOW』の名とその卓越したデータ解析の能力は、各省庁内だけでなく、国内外の医学会にも広く知られることとなった。
 
 島以外の医師でも、『SHIN-KNOW』を使ってデータを解析し、その研究結果を論文化したいという医師が増え、松坂とインフィニティヴァリュー社への問い合わせも増加した。
 この事実は各省庁にもよく知れわたっていった。そのことで、『SHIN-KNOW』とインフィニティヴァリュー社の信頼度は大いに高まり、内閣府とインフィニティヴァリュー社の随意契約について異を唱える人はいなくなった。

『SHIN-KNOW』の随意契約、締結 

 このようにして、万難を廃すことに成功した吉田のインフィニティヴァリュー社は、見事に内閣府との随意契約を交わした。
 この随意契約の締結に際し、当初はインフィニティヴァリュー社と『SHIN-KNOW』に懐疑的な声もあったが、吉田がPOCで積み重ねた各種の実績やデータ解析の結果を目の当たりにすると、懐疑的な声はあっという間になくなっていった。
 人は、本当に素晴らしいもの、優れているもの、欲しいもの、必要なものには懐疑的な声を挙げないものだ。
 そして『SHIN-KNOW』の実績は、他のIT企業にとって、レセプトデータの解析事業に参入したくても簡単に参入できない障壁となって彼らに立ちはだかった。井出のエスタブリッシュシステムズも同様だった。

 井出は、『SHIN-KNOW』が第3回医療DX勉強会以降に、機能や使いやすさなどを一気に、大幅に高めていたことに感嘆した。
 これを踏まえ、井出は会社に対して
「今はレセプトデータの事業への参入はエスタブリッシュシステムズにとって非常に難易度が高いこと、参入からコストがかかりすぎること」
を同社の経営陣に上申した。
 そして、その代案として電子カルテのシステムのビジネスに集中することも併せて上申した。エスタブリッシュシステムズの経営陣は、厚生労働省の電子カルテのシステムの事業への本格参入を決めた。
 日本政府が電子カルテを導入していない医療機関に対して電子カルテを提供することにしたため、そこに同社のビジネスを集中させる方が現時点では得策だとエスタブリッシュシステムズは判断したのだった。

『SHIN-KNOW』の本稼働後の日本の医療

『SHIN-KNOW』が本稼働を開始してから、レセプトデータには、診療報酬改定と相まって、一気に電子カルテ内の検査データが入ってくるようになった。
 そのことは、それらの検査結果を解析軸とした、更なるデータ解析を可能にするものであった。 

 そして『SHIN-KNOW』の本格稼働の数年後、『SHIN-KNOW』の能力を一層劇的に高める後押しもあった。
 それは、日本政府による量子コンピュータの導入であった。

 日本政府は、DX化が諸外国から遅れていることに危機感を感じていた。そのため、政府が率先してITの最先端技術を試験的に導入し、運用しながらその成果を検証することを始めた。その試験導入の対象に厚生労働省によるレセプトデータの解析が採択された。
『SHIN-KNOW』は、厚生労働省が扱う量子コンピュータに実装された。
 
 量子コンピュータの計算処理速度は、従来のコンピュータの比ではなかった。
『SHIN-KNOW』稼働開始直後、『レセプトデータに各種データが連結されているビッグデータ』は、レセプトデータと世帯の関連データ、厚生労働省がすでに持っていたデータベースであった。

 しかしその後、他の省庁のデータも連携するようになり、『SHIN-KNOW』が扱うデータは、非常にデータ量が大きくなっていった。
 そのため『SHIN-KNOW』は、そのデータの解析速度が稼働開始当初よりも遅くなっていた。そのことを指摘する声も出始めていた。
 そのタイミングで、『SHIN-KNOW』が量子コンピュータに実装されたことは、『SHIN-KNOW』にとっても、そのユーザーにとっても福音だった。

 量子コンピュータの圧倒的なハイスペックは、『SHIN-KNOW』の動作の遅れを解消し、むしろ解析処理速度が爆発的に向上したため、ユーザーの満足度は爆上がりした。『SHIN-KNOW』もデータの解析処理時のコンピュータの負担が大幅に軽減され、システム全体が一層安定して稼働するようになった。
 
 このことは、厚生労働省などの各省庁が『SHIN-KNOW』を使う時だけでなく、日本全国の医師が『SHIN-KNOW』にアクセスしてデータ解析を行うときでも威力を発揮した。
 一気に多数の医師が『SHIN-KNOW』にアクセスしても、『SHIN-KNOW』のシステムは完璧に安定したままだった。
 そして何の異常も示すことがなく、医師たちに詳細なデータ解析の結果を提供し続けた。
 
 この頃、政府によるレセプトデータと世帯に関連するデータを扱うことに反対だった人たちはかなり少なくなっていた。
 彼らは『SHIN-KNOW』稼働当初、熱心に個人情報保護を掲げ、反『SHIN-KNOW』、反政府を唱えていた。
 だが時間が経つにつれて、『SHIN-KNOW』によってもたらされた様々なデータの解析結果により、多くの人たちの日常生活や医療を受ける際の利便性が向上し、『SHIN-KNOW』の恩恵を受ける人たちが急増した。
 そのため、反『SHIN-KNOW』を唱えていた人たちの活動は、徐々に沈静化していった。
  
『SHIN-KNOW』による解析結果の活用は、次のように多方面に渡った。
・医師の診察時、医師が『SHIN-KNOW』にアクセスし、診察中の患者さんと同様の患者さんとその治療法、そしてその結果を検索できるようにした。その結果、医師は最適な治療法を容易に検索できるようになった

・患者さんも自分の保険証番号や本人確認によって自分の診療とその治療結果を見ることが出来るようになり、医師と自分の治療について話し合うことが容易になった

・『SHIN-KNOW』の解析結果を見た患者さんが、治療から脱落することなく、治療を継続して受ける動機づけになった

・疾患によっては『SHIN-KNOW』によって患者さん自身の余命の予測がある程度予測できてしまうことから、そのことへの批判も増えたが、一方で余命が想像できることからそれまでにさまざまな準備を行うことができ、結果として患者さんやご家族が後々さまざまな手続きや金銭の支払いなどで負担を強いられることが減った

・患者さんがどこの医療機関を受診しても、それまでに受けていた治療の情報が閲覧できるため、医師も初めて診察する患者さんに最適な治療を提供できるようになった

・災害時に医療機関が罹災しても、他の医療機関で患者さんの治療を継続できるようになった

・これらのことによって、日本に住む全ての国民の寿命が伸びた

・『SHIN-KNOW』による病気の解析結果と予後の予測データを国民保険、国民健康保険の保険料率の算定に用いることができた。そのことで、国民が負担する保険料を、国民の年収に応じた一律の金額ではなく、国民が罹患している病気や罹患する可能性がある病気のリスク、喫煙歴、食生活などの状況に応じて保険料の金額が変動し、国民の保険料の負担が最適化された

・地方の患者さんで、医療機関から離れた場所に住んでいる患者さんには、患者さんの症状が安定している場合は、患者さんが通院するのではなく、医療者が患者さんの自宅を訪問し、オンラインで医師が診察することで、患者さんの通院の身体的・時間的負担を軽減できるようになった

・患者さんの治療効果が見える化できるようになり、その治療薬がどれくらい効果があるか、費用対効果がどれくらい優れているかもわかるようになり、その価値を薬価に反映させることが出来るようになった。このことで、価値ある治療薬は高薬価になり、そうではない治療薬は低薬価になったことで、製薬企業の業績にも影響が出た
 
・製薬企業は、『新薬の開発力がある企業』『特殊な治療薬の開発と供給に強みがある企業』『ジェネリック医薬品を安定供給出来る企業』などに自ずと分類されていった
 
・治療薬が適切な期間、適切な分量を処方されるようになり、無駄な医薬品費が削減され、日本政府の毎年の予算に占める医療費が減った

・介護や福祉を必要としている患者さんの介護の内容や時間、患者さんにかかる医療、介護、福祉の費用がそれぞれ明確にわかるようになり、実際の介護の状況を踏まえた最適な介護必要度を認定でき、日本全国の介護費用全体が最適化された。ケアマネージャーやヘルパーが提供するサービスも、必要度に応じて提供可能になった

・医療、介護、福祉に関わる様々な申請手続き等が劇的に簡素化され、本人確認さえ取れれば初回の手続きのみで、以降の手続きは不要となった

『SHIN-KNOW』が医療以外にもたらしたもの

『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』からは、たくさんの価値がもたらされた。
 そして、ここに関わった小川厚生労働大臣、楠木財務大臣、徳永経済産業大臣、浜田デジタル庁長官が、『医療・介護・福祉DX推進会議』と『SHIN-KNOW』を主導したとして大々的に報じられた。
 この成果は、内閣及び党への支持率の上昇として現れた。まさに兼ねてからの四大臣の思惑通りになった。

 その裏方としての松坂、新垣、内野、岡本、井出、崎本らの名前は、流石にマスメディアに取り上げられることはなかった。だが、『SHIN-KNOW』がもたらした日本の生活・医療の利便性の向上は、彼らの目論見通りであった。
 例えば従来、医療機関に受診した際に、希少疾患と診断された患者さんは、その後さまざまな申請書を市町村役場などに都度提出しなければならなかったが、医療のDXが実現した後はそのような申請書は不要となった。
 患者さんが本人であることを確認できれば、データ上で全ての処理が行われるようになり、患者さんの身体的、時間的、その他のさまざまな負担は大幅に軽減された。医療の高額療養費制度の還付金も自動的に手続きされるようになった。
 このメリットは、希少疾患に限らず全ての疾患でも同様に、大都市圏でも地方でも同様に、全ての患者さんが享受できた。
 地方自治体内での事務処理も大幅に削減された。
 公務員の業務内容とその時間が、書類の処理よりも住民の生活の利便性向上に関わるさまざまな行政の企画立案と実行、評価、改善に使われるようになった。そのおかげで、住民も住み慣れた土地で、さらに快適に過ごせるようになった。
 医療DXを通じたこれらの大きな功績が高く評価され、官僚の松坂、新垣、内野、岡本はそれぞれの省内で昇格し、局長などの要職に任命された。
 
 一方、インフィニティヴァリュー社と吉田の名前は、テレビや新聞、雑誌などに何度も取り上げられた。
 その結果、インフィニティヴァリュー社の時価総額は大きく上昇した。同社への新卒、中途の応募者も大幅に増加した。
  
 吉田は、マスメディアからの取材時に、『医療の質の評価の必要性を訴えるテーマ』で取材を受けるときは、蒼生を連れて行った。そして、蒼生に母が亡くなった時の話と、そこで蒼生が感じた医療の質の評価の重要性を蒼生自身の言葉で話させた。その方が圧倒的に臨場感があり、説得力も高まると吉田が判断したからだった。
 その判断は見事に当たり、吉田と蒼生はインフィニティヴァリュー社の看板になった。
 特に蒼生は27歳と若く、身長185cm、体重68㎏と細身であり、顔は面長で細め、目は切れ長であり、髭は全くなく、顔の作りはあっさりとしていて、髪はやや長め、溢れんばかりの清潔感を併せ持っていた。
 蒼生のモテないわけがないそのルックスから、葵は世の裏若き女性たちからの人気が急上昇した。
 
 吉田と蒼生は、ある取材を受けた後、二人で飲みに出かけた。
 1時間の取材予定が、話の盛り上がりから大幅に時間が伸びてしまい、取材が終わった頃には19時を過ぎていた。
 すっかりお腹を空かせた二人は、取材場所からほど近い、駅の近くの居酒屋に向かった。
 
 二人は十四代を飲みながら、国が長く続くために必要な三つについて話し合った。
 蒼生と吉田たちのアイディアから生まれた『従来ありそうでなかったアプローチ』で、社会課題を解決する。
 そのための具体的で効果的で、安価に実行可能な方法を具現化し、サービスとして提供し、しかるべき対価を得る。
 さらには、ITによって日本国民の生活の質と利便性を劇的に向上させ、必要不可欠な社会インフラとして整える。
 そういうことにチャレンジできたこと自体が、蒼生の人生に幸福感と充実感と生きている意味を実感させた。

 蒼生は吉田に
「今回、『SHIN-KNOW』で僕もいろいろとチャレンジさせてもらえて本当に勉強になりました。僕も成長できた実感があります。ありがとうございました」
と礼を言った。
 吉田も
「俺も楽しいよ。お前と一緒に『SHIN-KNOW』に携わることができて」
と笑顔で話した。

蒼生の転機

 すると蒼生は、ちょっと照れくさそうに、恥ずかしそうに吉田に打ち明けた。
「あの・・・、僕、今度結婚します」

 吉田は心底驚いた。蒼生に彼女がいるような雰囲気を全く感じられなかったからだ。
「えっ!そうなの?おめでとう!そうか、それはめでたいな。もしよかったら、相手のことを聞かせてくれないか?」
 吉田は自分自身の質問を
「(ゲスな質問だなぁ)」
と思いながらも、一方で、自分が高く評価している部下の一人の蒼生が、どのような女性と結婚を決めたのかが、気になって仕方なかった。

 蒼生は
「吉田社長も知っている人です」
と、すぐに結婚相手が誰かを明かさなかった。
 国に必要なことの三つを当てられなかった蒼生からの、ジョークまじりの軽い反撃だった。
「う〜ん、誰だろう?ウチの社員か?」
「いえ、違います」
「じゃあ、もうだめだ、さっぱり想像がつかない。同級生とかか?」
「いえ、それも違います」
「まいった、降参だ。教えてくれ」
 吉田がテーブルに両手をついて、頭を下げた。
 蒼生は吉田が自分の結婚相手を当てられなかったことに少し満足して、笑顔で相手を明かした。
「『医療・介護・福祉DX推進会議』のメンバーの崎本さんです」
 吉田は、椅子から転げ落ちそうになるほどびっくりした。
「えっ!!!!いつの間に付き合ってたの?!」
「第3回医療DX勉強会の後からです。」
「じゃあ、結構前から付き合ってたんだな」
「そうですね、2年くらい付き合ってましたかね」
「いやぁ、蒼生に彼女がいることが、全く気付かなかった。蒼生はそういうそぶりを見せなかったしな」
 蒼生は照れてニヤニヤしながら
「そうでしたか、わからなかったですか」
と笑った。蒼生にしてみれば、してやったりと言った心境だった。 
 
 吉田は腕組みをして考え込みながら
「蒼生、どこで崎本さんと距離が縮まったんだ?」
と尋ねた。
 蒼生は、十四代を一口飲みながら、
「第3回医療DX勉強会の後、崎本さんと僕はたまたま地下鉄の入り口が同じだったんです。で、地下鉄に向かう途中で、二人ともお腹が鳴っちゃって。二人で笑いながら『お腹空きましたね』と話して、一緒に晩御飯を食べました」
「なるほど、それで?」
「社長、グイグイ来ますね」
と蒼生は笑いながら、また一口、十四代を飲んだ。
「その時に、崎本さんが少し酔ったのか、井出さんのデジタル庁での仕事振りやら崎本さんへの仕事の無茶振りやら、不満をいろいろ明かしてくれたんです。
 どうも、井出さんは崎本さんを高く評価しているようで、そのせいか、いろんな仕事を崎本さんに振ってきていたそうです。しかも、仕事を振る時にほぼ丸投げで、井出さん自身は何もしていないらしいんです。
 また、崎本さんからは、井出さんは腹黒い人と見えていたみたいで。
 崎本さんは、そういう裏表のある人は大嫌いらしく、デジタル庁内ではかなり人付き合いを限定しているそうです」
「そりゃあストレスが溜まるなぁ」
「はい、崎本さんは、仕事は一生懸命にやるし、仕事の成果物は非常にクオリティが高いですよね」
「うん、勉強会や推進会議の議事録は、いつも見事だったよな」
「はい。なので、井出さんが原因で崎本さんが仕事で嫌な思いをしているのはなんとかしてあげたいなぁ、崎本さんの能力がすごい高いだけに勿体無いなぁと思ったんです。
 それで僕が、崎本さんのガス抜きの相手になろうと、プライベートの連絡先を交換したんです」
「なるほどね」
「そこから、ちょっとずつ仲良くなっていったって感じですね」
「そうか。うん、それは良かった。本当に良かった」
 吉田は、あまりの嬉しさに思わず涙が一筋こぼれた。
 吉田は、自分が目をかけているメンバーが幸せになることが何よりも嬉しかった。
 それを見た蒼生も
「(崎本さんと結婚できて、吉田社長にも喜んでもらえて、本当に良かったな)」
と嬉しくなり、目頭が熱くなった。

「蒼生、もう一度乾杯しよう。乾杯!」
「乾杯!」
「よし、今日はやっぱり俺が奢る!好きなものを頼め!」
「えっ、国に必要な三つのことを当てられなかったのに、良いんですか?」
「ああ、もちろん構わん!こんなに嬉しいことはないぞ!」
「ありがとうございます!」
 吉田と蒼生の嬉しいひとときは、深夜まで続いた。

蒼生と崎本の帰省

 5月の連休に、蒼生は崎本を連れて蒼生の実家に帰省した。父に崎本を会わせるのは、今回が初めてだ。
 崎本は、蒼生から父がどういう人かを聞いていたが、やはりとても緊張していた。
 蒼生の実家に到着すると、蒼生の父が庭の雑草をむしっていた。
「ただいま、父さん」
蒼生が声をかけた。蒼生の父は振り返って、にっこりと笑った。蒼生の父なりに、崎本に緊張させまいと気を遣っていた。
 崎本は
「初めまして、崎本優香と申します」
と自己紹介して、ぺこりと頭を下げた。
 蒼生の父は
「よくこんな遠くまで来てくれたな。まあ、家に上がって」
とタオルで顔を伝う汗を拭いながら言った。
 
 蒼生の実家の庭には、色とりどりの花が植えられていた。チューリップ、睡蓮、ガーベラ、ペチュニア、クレマチス、鈴蘭、マーガレットなど、今が旬の花やこれから咲く花が綺麗に整理されて植えられていた。
 蒼生の実家の庭の花を愛でている崎本を見て、蒼生の父は崎本に
「花が好きなの?」
と尋ねた。崎本は
「はい、私も私の両親も花が大好きです」
と明るく朗らかに答えた。
 それを聞いて崎本の人柄を伺い知った蒼生の父は、崎本に良い印象を持った。

 蒼生の父は、崎本に
「この庭の花は、亡くなった蒼生のお母さんが生きている間に大事に植えて育てていた花なんだ。今は俺がお母さんの代わりに手入れしているんだ。庭が汚くなったら、お母さんに怒られそうで」
と少し笑いながら説明した。そのおかげで、庭は今でも雑草一つ生えていない、綺麗なままを保たれていた。

 崎本はその中に、あまり見たことがない、黄色い花を見つけた。
 1本の茎に、黄色く尖った花びらをいくつもつけた花が、何輪も咲いていた。
「この黄色い花は、なんていう花ですか?」
 崎本は、蒼生の父に教わった。蒼生の父は、
「この黄色い花は、黄エビネっていう花だよ」
と答えた。崎本は聞いたことがない花の名前だった。
「黄エビネ、ですか。あまり聞いたことがない名前ですけど、綺麗な花ですね。黄色の感じが、色が濃すぎなくて、爽やかな黄色で・・・。すごく素敵だと思います」
 崎本は、思ったままに黄エビネの印象を言葉にした。
 
 蒼生の父は、それを聞いて思いっきり笑顔になった。蒼生の父は、ニコニコしながら
「これは、亡くなった蒼生のお母さんが、何年か前に、どこからかもらってきたか、買ってきた黄エビネなんだ。最初は1本庭に植えていたんだけど、お母さんが大事に育てていたらすくすく育ってね。それをお母さんは株分けして、少しずつ増やしていったんだ。そうしたら、ここまで黄エビネが増えたんだよね。近くに来て、よく見てみて」
と、黄エビネについて説明し、崎本を手招きして呼び寄せ、黄エビネを見せた。
 
 崎本は蒼生の父に近寄って、一緒に黄エビネをじっくりと見て、その綺麗な黄色とその花びらの形を心ゆくまで味わった。
 父と崎本の様子を見ていた蒼生は、黄エビネを通じて、母が崎本と父の間を取り持って、距離を縮めてくれたと思った。
 崎本も、この黄エビネをはじめ、庭の全ての花が優しく崎本を迎えてくれたように感じた。それはまさに、蒼生の母の優しさのように感じた。
 崎本と蒼生は、自然と黄エビネのそばにしゃがみ込んで、二人並んで黄エビネに向かって手を合わせた。その様子を見ていた蒼生の父は涙が出てきた。
 そして心の中で
「(蒼生、最高のお嫁さんを連れてきてくれたな。お母さんが生きているうちに、崎本さんをお母さんに会わせたかったな)」
と思った。
 亡くなったお母さんが、崎本さんを蒼生に引き合わせてくれたのかもしれない、とも思った。
 新しい家族が誕生した瞬間だった。
 
 人生は、思い通りにいかないことの方が多いかもしれない。
 人間は、必ずしも最適な意思決定ができるわけでもない。
 人間には、損失を回避したいというバイアスが存在しているから、時と場合によっては不適切な決定を下すこともある。
 自分の仕事と家族を守ることに一生懸命で、時として会社や社会の要望よりも、自分の考えや意思を重視することもある。
 そしてそのことによって失敗することも、よくあることだ。

 でも、そこから何を思い、何を感じ、何を次の世代に繋いでいくのかは、自分が思い通りにできる。
 その積み重ねが、自分の人生を紡ぎ出す。そして、自分の人生に潤いと満足感を与えてくれる。
 「何をやっても世の中は無慈悲だ、無意味だ」
と思う必要はない。
 自分の人生に意味を与えるのは、自分だ。

 自分の考えや取り組みが社会全体の大義に至るなら、それは自分の人生に対して、大いに意味とやり甲斐、生き甲斐を与えてくれる。
 このことを考えることができて、実行できて、偉業を成し遂げた人を、世界は英雄と呼ぶ。
 であるが故に、英雄は全身全霊で仕事をやり遂げるから、満足感と開放感に包まれるのだ。
 吉田や蒼生、崎本たちが英雄と呼ぶに相応しいかは後世の判断に任せるとして、今、吉田と蒼生と崎本は、その満足感と解放感に包まれていた。 
 
 5月の連休の空は、穏やかな風が吹いていて、柔らかな暖かさで、天高くどこまでも晴れていた。

(完)

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