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黄エビネが咲く庭で (第二十章 SHIN-KNOWの威力)

第二十章 SHIN-KNOWの威力

 第3回医療DX勉強会が始まった。
 井出が今回も会の進行を担当した。
「それでは皆様お揃いになりましたので、第3回医療DX勉強会を開催いたします。まずは本日のアジェンダの確認から・・・」
 井出は、アジェンダに従って粛々と勉強会を進行した。

 第3回の勉強会では、電子カルテデータやレセプトデータ、ナショナルデータベース、処方箋データ、最近のウェアラブルデバイスから得られるヘルスケアデータなどの日本の医療に関わるデータの特徴を全員で理解を深めた。
 さらに、海外の医療データの特徴も学んだ。そして、日本と海外の医療データの比較検討から、今後あるべき日本の医療データについて勉強会のメンバーから意見を出し合った。
 井出が会の進行をしながら、ホワイトボードにフレームワークを使ってデータの特徴、事実、各自の意見などを整理しながらまとめた。
 崎本は、そのホワイトボードの内容を議事録にまとめていった。時にはスマートフォンでホワイトボードの内容を撮影し、それをパソコンに転送し、生成AIを使ってスライドに落とし込み、メモなどを追記していった。
 元々パソコンの操作と情報の整理・取捨選択に優れた崎本と、彼女が駆使する生成AIによって、いつも医療DX勉強会では終了と同時に、崎本が議事録の資料と説明スライドを完成させてメンバー全員へのメールでの共有までが終わっている。
 今回の第3回医療DX勉強会でも、同様にスムーズに勉強と話し合いが進んでいた。
 
 井出が
「ここまで国内外のさまざまなデータを見てきましたが、では今後、我が国ではどのような医療を実現するために、どのようなデータの活用が望ましいか、どのようなデータが必要かを、みなさまと議論したいと存じます」
と、議題を進行させた。

 それを受けて松坂が
「それでは、医療のデータやその解析について、何か叩き台となるような事例があった方が良さそうですね」
と切り出した。
 井出は一瞬驚き、瞬時に井出が今置かれている環境が自分にとって極めて良くない状況であることを察知し、動揺した。
「(松坂は、何か企んでいる・・・)」
 そして、井出はデジタル庁長官の濱田を見たが、濱田は何も言わず、表情も変えず、松坂の顔を見ているだけだった。
 松坂は井出の表情の変化を見逃さなかったが、そのことを井出に気付かせまいと、何事もなかったように話を続けた。
「ここまで医療のデータをいろいろ学んできました。
 そこで今回、それらを組み合わせて、日本の医療の質を解析する事例を作ってみました。吉田委員、ご説明いただけますか?」
「はい、承知しました。では、こちらをご覧ください」
 吉田はパソコンを会議室のモニターに接続し、説明を始めた。

「これまで当勉強会では、さまざまな医療のデータを学びました。そして、それぞれのデータが異なる特徴を持っていることも理解しました。
 それらを踏まえ、私の会社でデータ解析ツールの試作品『SHIN-KNOW』を作成しました。
 そして、このSHIN-KNOWに、データを解析させてみました。

 解析データは、『レセプトデータ』と『総務省がお持ちの日本の全世帯に関連するあらゆるデータ』を連携させたダミーデータです。

 ですから、今回皆様には『こういうデータがあれば、こういう解析ができて、こういうことがわかるようになるから、今後の医療の質を高めるための課題やポイントが容易にわかるようになる』ということを知ってもらえたらと考えています。

 なお、今回解析したデータはダミーデータですので、実際の世帯に関連するデータを用いて解析すると、異なる結果が得られる可能性があることをご承知おきください」

 吉田はここまで話して、メンバーの顔色を伺った。ほとんどのメンバーの顔が好奇心に溢れている中、井出だけが落ち着きを失っていた。
 吉田は井出のその様子を確認しながらも、自分の心が自分でも驚くほど冷静だった。そして、井出に対して容赦ない態度で臨むことを自分自身に再度確認した。

「まずは、ダミーデータのデータベースの構造について説明いたします。このデータベースは、レセプトデータの患者さんの氏名と世帯に関連するデータの中から患者さんの氏名を全て自動で突合させて、一つのデータレコードを作成しています。
 そのデータに、それぞれのデータベースにある各種データを取り込んで、患者さん一人ひとりのデータを整理していきます。そして・・・」
 吉田は説明しながら、再びメンバーの表情をチラッとみた。
 小川厚生労働大臣、楠木財務大臣、徳永経済産業大臣、濱田デジタル庁長官は、初めてみるSHIN-KNOWによるデータの解析結果に驚き、破顔し、SHIN-KNOWへの期待を大いに醸成させていた。
 一方の井出は、奥歯をギリッと噛み締め、腕を組み、じっとSHIN-KNOWによる解析結果のグラフを見つめていた。
 
 吉田は説明を続けた。
「今回、SHIN-KNOWで日本の医療を解析するにあたって私どもが考えたのは、『何を持って日本の医療の質が向上したと判断するか?』でした。
 流石にこれは、私どものアイディアが必ずしも正しいわけではないですし、みなさまと一緒に議論すべき論点になるだろうと思っています。
 とはいえ、何もないと議論を始めるのが難しいかとも思います。

 そこで今回、私どもとしてはこちらにお示ししていますように、『治療効果』と『患者さんの負担』を軸に、さまざまな解析ができるようにデータを扱っています。
 特に、『患者さんの負担』には、身体的な負担やご家族の付き添いや送迎等の負担、通院に伴うガソリン代等の金銭的な負担などが考えられます。
 それらを、世帯に関連するデータから抽出して、フィルターを切り替えるだけでそれぞれについて負担が少ない治療法はどれか、費用対効果が高いと考えられる治療法はどれかなどを一元管理できるようにしています。
 また、それらの解析結果をさらに深掘りできるように、レセプトデータと世帯関連データを柔軟に取り扱えるようにSHIN-KNOWを設計しています。
 例えば、同じ治療法であっても、患者さんの居住地が大都市圏と地方ですと、これくらい患者さんの負担に差が出ますので、医学的な治療効果の評価とはまた別に、患者さんやご家族への身体的・金銭的負担も踏まえて治療法を評価することができるのではないか、ということがSHIN-KNOWによって明らかになってきました。
 この解析結果に基づいて、皆様と議論を深めていければと考えています。
 松坂委員、発言の機会をありがとうございました」
 勉強会の雰囲気はにわかに活気付き、メンバーが隣のメンバーと話し出した。
 あちこちから
「SHIN-KNOW、すごいな!」
「治療とコストをここまで詳細に解析した結果を見たことがないぞ!」
といった、SHIN-KNOWを賞賛する声が上がり続けていた。

小川、そして四大臣、不穏

 その様子を見ていた松坂、新垣、内野、岡本、そして吉田は、お互いの顔をチラッと見た。それぞれが事前の打ち合わせ通りに根回しをしていたことが功を奏したことを実感していた。
 五人が予想外だったのは、小川、楠木、徳永が予想以上にSHIN-KNOWの解析結果を喜んでいたことと、濱田が思った以上におとなしかったことだった。
 濱田は、SHIN-KNOWの解析結果をじっと見つめ、時折口元が緩み、ふっと笑いを浮かべ、そしていつもの無表情に戻っていた。
 松坂は
「(小川大臣は、濱田長官にどのように根回ししたんだろう・・・)」
と少し不安になった。

 一方の小川は、楠木、徳永と
「このSHIN-KNOWの解析結果は、財務省の予算編成にどれくらい影響を与えそうだ?」
「予算をこれまで以上に高精度で編成できるだろう。無駄な予算を減らして、予算配分の最適化に使えそうだな」
「ヘルスケアのスタートアップやベンチャーも、こういう解析結果を見たら新たなウェアラブルデバイスやセンサーなどを開発するかもしれない。
 そうなれば、日本の最先端技術の開発力が高まったり、ビジネスにつながれば結果として日本の景気浮揚にもつながるんじゃないか?」
「デジタル庁も、SHIN-KNOWを利用することで、医療のインフラ整備などにも役立つんじゃないか?」
 小川が濱田に発言を促すと、濱田はおとなしく
「ああ、俺もそう思う」
とだけ言葉を返した。
 この様子を黙ってみていた松坂、新垣、内野、岡本が、濱田のいつもの勉強会を仕切りたがる言動がすっかり潜んでしまっていることに違和感を感じた。濱田に何か変化があったことを窺わせた。

 とはいえ、せっかく勉強会でSHIN-KNOWが全面的に受け入れられているのだから、次のステップとして、勉強会から閣議に対して『SHIN-KNOWの活用による日本の医療の質の評価とその向上について取り組むことを提言する』という同意を得ることが優先だと松坂は判断した。

 そして、井出に対して
「ここまで吉田委員からSHIN-KNOWを紹介いただき、データの解析事例をご説明いただきました。そして、我々もこのSHIN-KNOWとその解析結果に対して、大きな自信を持つことができました。
 つきましては、このSHIN-KNOWのデータ解析の事例をもとに、日本の医療の質を高めるために、今後医療のデータと日本国民の世帯のデータを組み合わせて、政府の運営に資するように活用することを提言にまとめてはいかがでしょうか?」
と議論の進行を促した。

 SHIN-KNOWの脅威に動揺していた井出ではあったが、松坂から議論の進行を促され、司会としての威厳を保つことを思い出したかのようであった。
「松坂委員、進言ありがとうございました。確かにおっしゃる通りですね。本件を提言にまとめるには少し早急に過ぎないか気になりましたが、問題ございませんでしょうか?」

 これに対し、新垣が財務省の立場から
「おそらく、今ここで総理あるいは閣議に提言を行うことは、タイミングとしては良いと思われます。
 この提言を総理あるいは閣議に提出し、具体的な次のアクションに繋げることは、これから骨太の方針をまとめ始めるこのタイミングだからこそ、非常に有効ではないでしょうか。
 また、その後の医療や個人情報等の各関連法案の改正案の作成にも、各省庁がスムーズに着手できるでしょうから、そこから逆算しますと、今が最適な時期だと考えます。楠木大臣、いかがでしょうか?」
「ああ、新垣委員の言う通りだな。財務省としても、各省庁からの概算要求の作成の際に、SHIN-KNOWの解析結果を使ってもらうことができれば、政府の予算の最適配分も、より早期に実現できるだろう」
 楠木は、新垣の意見に同調した。まさに事前の根回しの通りだった。

 財務省の楠木に続いて、厚生労働省の小川も発言した。
「これまでの皆さんと一緒に、日本の医療のデータやシステムについて勉強してきたことで、それらに対する我々の知識は飛躍的に増えたと思う。
 これは非常に喜ばしいことで、この勉強会の当初の目的であった『日本の医療の質の向上』に則した、有意義な活動と評価できるだろう。
 このメンバーで、せっかくさまざまな知見が得られ、集約できているのだから、このまま勉強会が終わってしまうのは非常にもったいない。
 そこで我々からの提案だが、この医療DX勉強会を『医療・介護・福祉DX推進会議』と言う常設の会議体に移行し、検討範囲を医療だけでなく介護と福祉も加え、日本の医療・介護・福祉のDX化を促進するための検討、検証、評価、提言などを行うと言うのはどうだろうか?」
 小川はメンバー全員の顔を見回した。
 小川の発言に対し、楠木、徳永、濱田は意義なし、とうなづいた。彼らの表情にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

議論を破綻させずに、狙い通りに着地させるには?

 松坂は、
「(これが小川の狙いだな?そして、これに楠木、徳永、濱田が同調した、と言うことか?)」
と四大臣の真の思惑を推理した。そしてその影響がどれくらいの範囲に、どのように及ぶかを必死に考えた。

 時間にして数秒程度のはずだが、松坂にとっては1分〜2分程度考え続けていたような感触だった。
「(実際に推進会議に移行したとして、我々や吉田社長がメンバーで居続け、SHIN-KNOWを使い続けることができれば、医療の質の向上は実現可能だ。介護の質も解析できれば、さらに日本の国民に貢献できるだろう。だからこの推進会議そのものには問題はない。

 もし何か問題が生じるとしたら、その推進会議を利用しようとする者がいる時だ。少なくてもこの四大臣は、自分の票固めや党内での主導権争いなどにこの推進会議を利用するつもりだ。

 だが、四大臣が利用したいと推進会議を思ってもらえるうちは、推進会議は価値があるということだ。であれば、推進会議は存続できるし、大臣らの力を利用することもできる。
 大臣らは選挙で落選すれば縁がなくなる人たちだ。我々もそれなりの対応ができる。

 少々面倒なのは、井出さんだ。
 今回の提言をまとめ、勉強会を終了することで、吉田社長のSHIN-KNOWを日本政府の医療に関連する全ての省庁や関係組織に利用してもらうように話をまとめたかった。
 だが、推進会議として活動が継続できるとなれば、井出さんがメンバーでいる限りエスタブリッシュシステムズのITサービスを、推進会議のどこかでねじ込んでくることは間違いない。井出さんとエスタブリッシュシステムズは、少々うざいし、エスタブリッシュシステムズの不評も他の省庁から聞こえている。できれば彼らには、これ以上我々と勉強会に関わってほしくない。

 エスタブリッシュシステムズへのビジネスチャンスを潰す方法は、ないか?
 あるいは、エスタブリッシュシステムズを推進会議から外す良い理由はないか?
 もしくは、そのチャンスが出てきた時に、その案件を吉田社長に渡せるか?

 しかし、今、日本の医療データを解析してもらうにはインフィニティヴァリュー社が最適だが、将来はどうだ?
 インフィニティヴァリュー社以上の技術を持つベンダーが現れたら?

 ・・・、その時は、その時、か・・・
 我々がインフィニティヴァリュー社と癒着しているなどと誤解されても困る。我々はその時点でのベストのベンダーと仕事をしているだけだ・・・)」

 松坂が自分の考えをまとめた時、新垣と内野と岡本が松坂を見ていることに気がついた。彼らも小川の話に戸惑っていた。そして、
「(おい松坂、小川大臣のこの話は、お前は知っていたのか?)」
という問いを目で発していた。
 松坂は目で、小川大臣の話を自分は知らないと伝えた。
 
 そしておもむろに井出に対して発言を求めた。
「今回の小川大臣の御発言は、この勉強会を高く評価していただいたものと、私たちも大変嬉しいです。ありがとうございます。

 これまで各省庁が、それぞれの立場から医療について真剣に向き合って、これから日本の人口が減少する将来に備えながら、安心安全な医療を継続的に提供できる体制を構築するために何をすべきか、どのように推し進めていくべきかを多角的に話し合って参りました。

 先ほど小川大臣から、『当勉強会の私たちの議論が大変有意義で、さまざまな知見が集まって、集約されている』とご評価いただきました。
 その上で、当勉強会を推進会議に移行するということでしたら、推進会議においても当面このメンバーが会議を構成する、と言うことでよろしいでしょうか?」
 松坂は四大臣と目を合わせながら、小川に尋ねた。
 
 小川は他の三大臣を見ながら
「それがいいのではないか?さらに、今のメンバーに加え、法務省と総務省、文部科学省を追加したい」
と三大臣と目を合わせ、意向を示した。他の三大臣も小川の意向に頷き、同意した。
 小川は、勉強会の他のメンバーにも意見を求めた。
 他のメンバーからは質問も否定的なコメントも出なかった。
 
 唯一、井出が挙手し、小川や新垣、徳永、楠木を見ながら尋ねた。

臥薪嘗胆の井出

「SHIN-KNOWは非常に素晴らしいデータ解析を可能にしたと私も認識しています。
 このSHIN-KNOWは、今後政府などが利用するにあたって、契約はどのようにされるのでしょうか?」
 井出の、精一杯の反撃の狼煙だった。
 
 小川は、
「それは今後の検討だが、やり方としては入札か、随意契約か、いずれにしても従来のベンダーの選定プロセスを辿るだろうな」
と、井出の質問を全く意に介さず答えた。
 
 井出は心の中で
「(これなら、まだ入札のタイミングでエスタブリッシュシステムズが介入できるチャンスは、あるかもしれない)」
と思った瞬間、財務省の新垣が意見を述べた。
 
「はい、小川大臣のおっしゃる通り、ベンダー選定は丁寧に行うべきです。その上で、今後の骨太の方針の策定、各省庁の概算要求の編成時期といった諸々のスケジュールを鑑みますと、ベンダー選定はできる限り早い方が望ましいです。
 我々財務省も、医療や介護の無駄な予算の洗い出しを、今すぐにでもやりたいくらいですし、医療と介護に関連する他の省庁も同様でしょう。
 従いまして、ベンダー選定は随意契約が最も早くベンダー選定ができる方法ではないかと考えます」
 
 内閣府の岡本も、
「入札によるベンダー選定は結構時間がかかりますし、各省庁が取り扱うベンダー選定も年間でかなりの数に登ります。
 そのような状況ですので、入札が省庁の業務の負担にならないようにしたいですね」
と、新垣に賛同した。
 
 ここにきて、井出は
「(現時点では、日本の医療のデータ解析においてはインフィニティヴァリューに勝てないな・・・。我々が勝機を見出すには電子カルテのデータを統合した時、か・・・)」
と観念し、自分の中で結論づけた。
 
 そこまでを見届けた井出は、
「では、せっかくの小川大臣のお申し出ですので、当勉強会を推進会議に移行する、と言うことで皆様合意されますでしょうか?」
と勉強会全体に投げかけた。
 メンバー全員が合意し、医療DX勉強会は今後『医療・介護・福祉DX推進会議』として再スタートを切ることとなった。
 メンバー全員が立ち上がり、拍手をした。

 拍手をしながら、吉田は
「(ここまで頑張ってやってきて、本当に良かった。すぐにでも帰社して、全員にこの成果を伝えたい)」
と心底思っていた。
 
 吉田の隣で、蒼生は
「(吉田社長が『蒼生のお母さんのお話から、勉強会の議論の潮目が一気に変わった』って言ってくれたけど、自分の話の後、こんなに早くいろんなことが進むとは、官僚の人たちの思考や意思決定、取り組みってめちゃくちゃ早いな。すごく勉強になる)」
と松坂たちを尊敬の眼差しで見ていた。
 
 崎本は、この話し合いの議事録を作成しながら、
「(今日の勉強会は、井出さんの一人負けの勉強会だったな)」
と感じていた。
「(あと一息で議事録が完成する。最近忙しくて美容室に行けていないからこの長い髪の毛がちょっと邪魔だな)」
 そう思いながら崎本は髪の毛を一つにまとめ、パソコンに向かって座り直した。今回の勉強会の議事録の完成まで、あと一息だ。
 その崎本の隣で井出は、力無く、心がこもっていない拍手をしていた。

 目に光が宿っていない井出と、冷たい目の崎本が対照的で、二人の人間関係を表しているなと、蒼生は思った。

迸る吉田のアイディア

 勉強会の終了後、四大臣や井出たちが退出したのを見計らって、松坂、新垣、岡本、内野、そして吉田の五人で振り返りを行った。
「吉田社長、今回のSHIN-KNOWの開発とダミーデータの作成、この勉強会でめちゃくちゃインパクトがありましたね!
 先日の事前打ち合わせの時に『SHIN-KNOWは勉強会でメンバーを驚かせるだろう』とみんなで話してましたが、それを上回るメンバーの反応でした!」
 松坂が興奮気味に早口で感想を吉田に伝えた。
 新垣も
「吉田社長に実利をきちんと得ていただけそうで、我々もこれまでの吉田社長の勉強会へのご尽力に、少しは恩を返せたかなと思います」
と、礼を述べた。
 
 吉田は
「これもひとえに皆様からのお力添えによるものです。私の方こそ心より感謝申し上げます」
と、上体を90度以上曲げて頭を下げた。
 岡本は
「これから随意契約のさまざまな準備が必要ですね。書類作成等、一緒にやっていきましょう」
と吉田に握手を求めた。

 内野は
「小川大臣が勉強会を推進会議に移行するアイディアを議論に放り込んできた時には、ひやっとしたな。松坂、よくあの小川大臣の発言をうまく捌いたな」
と松坂を褒めた。

 松坂は一口お茶を飲んで、一呼吸置いてから
「う〜ん、あの小川大臣の発言は少々驚いた。
 あれは全て、SHIN-KNOWを高く評価してくれたことや、勉強会での取り組み、議論、諸々を鑑みてということだと思う。
 でも、他の三大臣が何の反論もせずに合意したことを見て、小川大臣が中心となって、四大臣が何らかの根回しを企んでいる可能性が十分あるんじゃないかって思ったよ」
と、小川大臣のアイディアを振り返った。
 
「それなんだがな」
と内閣府の岡本が話し始めた。
「まだ十分な確認が取れていない状況だけど、年内中に大きな内閣改造を太田総理が考えているらしい」
「そうか、やはりそういう動きがあったか」
 新垣が、さもありなんといった表情で岡本の話に相槌を打った。

 岡本も頷きながら、話を続けた。 
「もしかしたら、太田総理の構想次第では、今回の四大臣も異動になったり、誰かがポストから外れる可能性が大いにありそうだ。
 そう考えると、濱田長官が元気なかったことや、小川大臣と楠木大臣、徳永大臣らの反応が、次期の彼らのポストに関連しているのかもしれない。
 そして、SHIN-KNOWの解析結果を手放しで高評価していたことも、彼ら自身次のポストを得る際の彼らの実績として評価されると考えている、ということにつながるんじゃないかと思っている。
 
 例えば、小川大臣、楠木大臣、徳永大臣らが次回の内閣改造でも医療関連の何らかの大臣や役職に任命されるとしたら、この超高性能のSHIN-KNOWを政府が活用できるように計画を推し進めたのは俺たちだ、俺たちが日本の医療の質を高めるんだと、SHIN-KNOWの導入を自分たちの手柄にできるかもしれない」

「それは容易に想像できるな」
 松坂がそういうと、新垣も内野もうなづいた。
 それを踏まえ、徳永が
「まあ、手柄を三大臣に挙げさせてもいいんじゃないか?最後は、日本に住む人たちが受ける医療の質が効果的・効率的に向上すればいいわけだし。我々ができること、提供できることに集中しよう」
と話した。そして吉田の方を見た。吉田は徳永の話に笑みを浮かべていた。
 新垣も
「やはり、実利を確実に得ることが大事だ、ということですよね」
とニコニコしながら吉田に話した。
 吉田も
「はい、そうです。実利を得てこそナンボ、です」
と言った。
 
 五人全員の笑いが一通り収まってから、吉田はおもむろに話し合いの口火を切った。
「SHIN-KNOWで解析するデータについてなのですが、ちょっと懸念があります」
「それは、何でしょうか?」
「はい、世帯に関連するさまざまなデータを使って医療の質を評価する際に、所得などの個人情報を使われたくないという方々が一定数いらっしゃるのではないでしょうか?
 そういう方々の声が高まり、私たちの当初の目標である『日本の医療の質を向上させる』という取り組みが滞るのではないか、ということを私は懸念しています」
「はい、おっしゃる通りですね。個人情報を盾に、国に自分の情報を使われたくないという人たちは、確実に存在します。以前マイナンバーカードでトラブルがあった時も、かなり強烈に批判した人たちがいましたね」
「濱田長官が『頭が痛い』と言っていたね」
「こういう声に対して、最適な対応が必要だな」

 少し沈黙が流れたあと、吉田が
「だとしますと、世帯に関連するデータとレセプトデータを使ってさまざまな解析を行うと、日本に住んでいる人たちにこれだけメリットがあるよ、ということを日本国内に広く知らしめることが必須なのではないでしょうか?」
と、少々恐る恐る切り出した。
「具体的にはどう言ったことをイメージしておられますか?」
 岡本が尋ねた。

 吉田はちょっと考えるそぶりを見せて、話し始めた。
「例えば、日本在住の方々がより費用対効果に優れる治療を受けられて長生きできるようになったとか、介護を受ける時にさまざまな手続きをいちいちしなくても済むといった『医療・介護の本質的な部分が良くなる』、ということは絶対に外せないでしょうね。
 
 それ以外であれば、医療費控除などの確定申告時の事務作業が不要になるとか、受診後の会計時にお金やカードなどを持ち合わせていなくても患者さんの口座から自動的に費用が引き落とされるとか、匿名加工処理済みの患者さんの治療効果を主治医以外の医師が参照して他の患者さんの治療に役立てる、なども考えられるのではないでしょうか」
 
「なるほど、要は、個人情報を最適に活用したことで国民にとって利便性が高まった、国民一人一人が得られるベネフィットが最大化できた、ということを国民一人一人に実感してもらうということですね」
 新垣らしい、正確だが少々言い回しが難しい口ぶりだった。

「はい、おっしゃる通りです。利用者がメリットよりもデメリットの方を実感している間は、どんなサービスも製品も利用者には使ってもらえません。
 
 データの他にも、DXの展開と浸透によってもたらされるベネフィットもたくさんあります。
 医療機関にとって重要な収益であるレセプトでも、レセプトチェックをできる限り完全自動化できれば、診療報酬の請求翌月に医療機関に支払うことも可能です。

 このレセプトチェックによって、社保と国保での審査結果の違いや、都道府県ごとの審査結果の違いなども解消できるでしょう。医療機関も支払ったコストをすぐに回収できれば、医療機関の経営の健全化にもつながります。
 レセプトチェックには、どうしてもレセプト審査を担当する医師による判断が必要な場合もありますので、医師を介さない完全自動のレセプトチェックは難しいでしょうけれども、レセプトの審査の先生方のご負担は大幅に削減できます」

「医療者の業務負担の軽減も、重要な視点ですね」
 松坂がしみじみと言った。
 それを受けて、吉田はさらに別の事例も紹介した。
「はい、他にも、日本の医療のDX化に伴ってオンライン診療がすれば、経過観察や薬の処方だけであればオンライン診療で患者さんを十分フォローアップできそうです。患者さんもわざわざ通院する必要がなくなり、貴重なお時間を有意義に使えます。

 救急車で搬送される患者さんがたらい回しにされる事例も報道等で見聞きしますが、全ての病院の空きベッド数などをリアルタイムで知り得れば、救急車が患者さんを待たせることなく病院に搬送できるでしょう。
 この医療の環境のイメージは、『日本全体のベッドコントロールを行い、どのような患者さんでもすぐに受診でき、最適な治療を受けられる』、と言ったところでしょうか」

 松坂は
「今後高齢者数が増加する中、高齢者の患者さんの救急搬送を受け入れてもらう急性期病院のベッドの確保も問題になるから、吉田社長の話は実に理にかなっていますね」
と感嘆しながら言った。

 吉田は
「そうおっしゃっていただけて大変恐縮です。その上で、ですが・・・」
と話を自らもったいぶった。
 松坂は
「ご遠慮なく、おっしゃってください、吉田社長」
と、吉田の話を促した。
「あまりに当たり前のことかと思いますが、SHIN-KNOWによる解析結果を医療者の厳しい目でチェックしていただいて、実際に診療に活用してもらい、その結果をご評価の上、SHIN-KNOWによって医療の質が上がったことを証明する論文をたくさん発表することも、重要かと考えます。
 医療の世界はアートであり、科学でもあると聞きます。であれば尚のこと、SHIN-KNOWが提供できる価値を医療者の目で厳しく吟味してもらい、SHIN-KNOWが科学的にも信頼できる解析結果を出していることを、国民の皆様に知っていただくことも必要です。そのことが、国民の幸せにつながるかと」
 
 それを聞いた松坂は
「それならうってつけの医師が何人もいます。SHIN-KNOWの契約が完了したら、直ちにその医師らにコンタクトしますね」
と反応した。

 岡本は、
「ここまで吉田社長から、たくさんのご提案やアイディアをいただいた。
せっかくの吉田社長のアイディアだ、俺たちがやれることはその素晴らしいアイディアを実現することだな。
 そのためには、SHIN-KNOWを政府が利用できるようにすること。そのためにも、スムーズに随意契約を成立させよう」
 五人は改めて、一つの関門を突破して次の関門に向かう思いを一つにした。

 その頃、四大臣は厚生労働省の小川の部屋に集まって、四大臣だけの話し合いを行なっていた。
 
(第二十一章に続く)

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