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黄エビネが咲く庭で(第十九章 分水嶺の第3回医療DX勉強会)

第十九章 分水嶺の第3回医療DX勉強会

SHIN-KNOW、誕生

 インフィニティヴァリューのメンバーは全員、第3回医療DX勉強会に向けて作業を急ピッチで進めていた。

 第3回の勉強会に向けて、吉田たちインフィニティヴァリューのメンバーは、松坂からの提案に応えるべく、インフィニティヴァリューのBIツールにさらに分析・統計解析・将来の予測などの新機能を開発し、テストし、実装した。
 新しいこのツールは、従来のBIツールよりもはるかに高性能だった。そのため吉田は、インフィニティヴァリューの新サービスとして社名を社内公募した。
 多数の候補名称が寄せられた中で、吉田や蒼生、鈴木らのチームメンバーが、これまでチームで取り組んできた『医療』、『データ』、『新たな気づき』といったキーワードに加え、『データ連携』、『新機能』、『高性能』などの新たなイメージも持たせられる新名称がないかを検討した。
 いずれの候補名称も魅力的ではあったが、決め手に欠けるものだった。
 そこで吉田らは、それらの名称に様々な要素を加えつつ、新たな造語を作ることにした。
 その結果生まれた新サービスの名称が『SHIN-KNOW (Sophisticated Human related Information by Nexus, Keen & Knowledgeable based on Nobel technologies Optimized Workstation)』だった。
 吉田らは、自分たちで新サービスにSHIN-KNOWと名付けたものの、少々大袈裟な気もした。だが一方で、インフィニティヴァリューの新サービスの提供価値が何か、どのような内容で、どのようにすごいのかを伝えるには、なかなか良い名称だとも思った。
 東洋の医療の神様に『神農』がいるが、この神農にあやかってSHIN-KNOWとしたという経緯もあり、吉田たちの思いがこもった新サービスとなった。

 吉田たちは、SHIN-KNOWの開発と並行して、SHIN-KNOWに解析させるダミーデータも生成していた。
 ダミーデータには、日本の世帯・個人の所得、勤務先、給与・賞与、福利厚生、所得税額、市民税額・都道府県民税額、社会保険料・国民保険料・介護保険料、民間医療保険への加入状況、住所、世帯内の扶養の状況など、様々なデータが含まれていて、それをレセプトデータのダミーデータと連携させた。
 そして、そのダミーデータをSHIN-KNOWで解析した。
 その結果、日本の世帯や個人に関連するデータと患者さんのレセプトデータと連携してSHIN-KNOWで解析すると、これまでわからなかった新しい分析結果を出せることが明らかになった。
 

SHIN-KNOWの驚異

  具体的には、SHIN-KNOWによる分析で、患者さんにとって
・検査結果の数値を用いることで、診療実態下でのそれぞれの治療がどれくらい効果があるのか
・その治療が、他の治療と比べて効果があるのか
・診療実態下において、治療薬による副作用がどれくらい発現するのか、その場合医師はどのように副作用対策をしているのか
・いつまで治療しているのか
・どの医療機関で治療しているのか
・どの検査を受けたのか
・医療費が日々の生活をどれくらい逼迫させるのか
・治療を受けるための医療機関までの交通費・ガソリン代がどれくらい負担なのか
・就労時間の減少と収入への影響があるならば、それはどのような影響なのか
・提供された治療が投下されたコストに見合った治療だったか
・それは他の治療と比較してベネフィットがあるのかないのか
・全国に似たような病気の患者さんが何人くらいいて、どのような治療を受けているのか
などについて検討できることが明らかになった。
 
 これらの分析結果から、下記のような事例が分かってきた。
①同じ疾患であっても、自宅から医療機関までの距離によってはガソリン代等の費用がかさみ、家計に負担が生じている患者さんも多数いるため、その疾患の治療の費用対効果の評価に大きなばらつきが生じていること
②同じ疾患でも、最も治療効果が高い『治療薬の組み合わせ』があること、あるいは最も治療効果が高い『治療薬の処方の順番』があること
③②の違いには、患者さんの疾患の重症度や検査値の差などが影響していること、逆にいうと患者さんの重症度や検査値からその患者さんの治療効果が予測できること
④同じ治療でも、治療を継続できている患者さんと、自分の判断で治療を中断してしまう患者さんがいるが、その違いが『治療費が家計を逼迫している度合い』、『自宅から受診している医療機関までの距離』、『患者さんの疾患に対する理解度や知能指数』、『同居している家族の有無』などであること
⑤社会保険、国民保険、高齢者医療制度で比較すると健康診断の受診率に差があること、そのために患者さんの受診時の疾患の重症度にも差があること、その結果患者さんの治癒率、生存率、生存期間などにも差があること
⑥⑤の結果から、それぞれの保険料率はまだまだ最適化できる余地があること
⑦各保険の被保険者の費用負担の割合を見直しても良いと思われる差が出たこと
⑧大都市圏と地方では同じ疾患でも患者さんの通院の時間と金銭の負担が差があり、それらによって治療の継続率や効果などにも差が見られること

 これら以外にも、レセプトデータだけでは分からなかった治療の実態が、SHIN-KNOWによって見える化された。

 吉田は、その分析結果を事前に厚生労働省の松坂と財務省の新垣、経済産業省の内野、内閣府の岡本に直接伝えようと考えた。
 第3回医療DX勉強会が開催される5日前のことだった。
 このタイミングでSHIN-KNOWの分析結果を彼らに見てもらい、評価してもらい、改善点や分析で深掘りすべき箇所の洗い出しなどをしてもらおうという意図だった。
 吉田は、厚生労働省の会議室に向かった。

SHIN-KNOWが日本の医療の質を高める可能性

 会議室の中で吉田は、新たに開発した分析システム『SHIN-KNOW』を松坂、新垣、内野、岡本に紹介した。
 そして、SHIN-KNOWが明らかにしたさまざまな分析結果を丁寧に説明した。
 松坂、新垣、内野、岡本は皆、SHIN-KNOWが実に詳細に、精緻に分析できることに驚嘆した。そして、吉田の説明を聞きながら、じっとグラフや数値を見つめ、メモをとり、軽くため息をつきながらさまざまなことを思案していた。
 新垣は、
「レセプトデータと世帯のデータの組み合わせがこんな分析結果を導き出すとは・・・」
と言ったものの、その後の言葉が続かなかった。
 岡本も、
「内閣府でも、このような分析結果は見たことがないな。閣議で大臣全員に見せたらみんなびっくりするだろうな」
と全身の力が抜けたような表情でつぶやいた。

 吉田は四人の反応を見て、インフィニティヴァリューが社を挙げて開発したSHIN-KNOWが実に驚異的な分析を成し遂げたことを実感できた。
 一方で、吉田はこの分析結果がダミーデータをもとに分析したものであることを四人に改めて伝えた。
「とは申しましても、データはダミーデータですので、実際に総務省から世帯のデータを共有いただいて、それをレセプトデータと連携させて再度分析した際に、今ご覧いただいた結果とは異なる可能性があります。
 その点は、お含みおきください」
「はい、吉田社長、そこは認識しています。その上で、やはりこのような分析結果が得られるというのは、医療に関わるさまざまな行政にとって非常にありがたいです。」
 松坂がやや興奮気味に話した。
 内野も
「経済産業省としても、ヘルスケアのスタートアップやベンチャーにとって医療のニーズが明確になり、さらに新たなテクノロジーやサービスの開発にも弾みがつくでしょう」
と嬉しそうに言った。

 吉田は安心した表情を見せながら、四人に質問をした。
「このSHIN-KNOWの分析結果に、何か足した方が良い分析方法や欲しい結果はありますか?」

 四人は少し考えたが、特に新たな分析は不要ではないか、と答えた。
 吉田は再び安心した。その上で、次の質問をした。
「では、第3回医療DX勉強会で、SHIN-KNOWを紹介しますか?」

分水嶺、第3回医療DX勉強会

 松坂が全員を見回しながら話を切り出した。
「次回の第3回医療DX勉強会では、このSHIN-KNOWを紹介し、四人の大臣にSHIN-KNOWが日本の医療についてすでにここまで分析ができることを見せたいと思う。どうだろうか?」
「うん、それがいいだろう。大臣たち、びっくりするだろうな」
 内閣府の岡本が笑いながら言った。
 それに続けて内野もニヤニヤしながら言った。
「目に浮かぶよ」
 新垣は、笑顔ではあるものの少々冷静に
「それに、これから骨太の方針の策定や各省庁の検討が進む時期だから、その前にこのSHIN-KNOWの分析結果を各省庁に紹介したら、SHIN-KNOWそのものを各省庁から利用してもらえるだろう」
と続けた。

 松坂は
「了解、では次回の第3回医療DX勉強会でSHIN-KNOWを披露しよう。吉田社長、よろしいですか?当日のご説明も吉田社長からお願いしたいです」
「わかりました、喜んでSHIN-KNOWを紹介します。そして、日本の医療の質を評価するために分析すべきポイントの例を説明させていただきます。それをもとに、大臣の皆様を交え、議論を深めましょう」
 吉田は今一度気を引き締めた。

 松坂は、ここで一つ懸念があるのだが、と続けた。
「井出さんのところの動きが少し気になっているんだ。どうも、電子カルテのメーカーにコンタクトしているらしい。
 電子カルテのデータを活用する方向で、エスタブリッシュシステムズ社が新たなサービスを立ち上げようとしているらしい。そのサービスは、医療DX勉強会で検討した医療の質の分析に関わるようだ。
 井出さんがSHIN-KNOWを見て、その分析結果を見たら、エスタブリッシュシステムズが同じような分析を、電子カルテのデータを用いて行う可能性があると思う。これは吉田社長のインフィニティヴァリューの競合となるだろう。
 これまでの吉田社長の医療DX勉強会でのご尽力を鑑みれば、いくら井出さんがデジタル庁の職員であると言っても背後にエスタブリッシュシステムズ社がいる以上、吉田社長に不利益になるような議論の展開にはしたくない。
 みんなはどう思う?」

「松坂の懸念はよくわかる。ただ、省庁としては、ベンダーとの取引に公平性が求められるから、勉強会全体としてあまり吉田社長に肩を入れ込みすぎると、大臣も少し及び腰になるんじゃないか?」
 岡本は冷静に言った。

「うん、その懸念はあるな。ただ、SHIN-KNOWがここまで分析もできて、それらの結果も確からしい内容だ。
 それに比べて、エスタブリッシュシステムズのシステムはいつ完成するかわからない。
 ならば、今すでに利用可能が見えているSHIN-KNOWを利用して、いち早く医療のコストの最適化を図りたいと、財務省としては考えるなぁ」
 新垣は松坂の懸念を財務省の立場から払拭した。

 新垣の言葉にさらに乗っかるように松坂が
「それに、インフィニティヴァリュー社はすでに社会保険庁のレセプトデータ分析でPOC(Proof of Concept: 概念実証)を実施していて、官公庁との取引の実績もある。したがって、インフィニティヴァリュー社と官公庁が随意契約を結ぶこと自体に支障はないと見ることができる。
 だから、随意契約で厚生労働省や総務省など、関係する省庁とインフィニティヴァリュー社と契約を進めるというのはどうだろうか?」
と、ついに切り出した。

 内閣府の岡本が
「インフィニティヴァリュー社との契約は、各省庁と個別に契約すると非常に手間がかかるだろう。
 それなら、内閣府が一括でインフィニティヴァリュー社と契約し、契約の内容で各省庁とインフィニティヴァリュー社が取引とデータのやり取り、そこに関わる次世代医療基盤法や個人情報保護などの法律での留意事項などを盛り込んでおくのが良いのでは?
 もちろん閣議での承認してもらう必要があるけどな」
と提案した。
 松坂も岡本に同意しながら、
「閣議でも、SHIN-KNOWを各省庁が利用可能となったら、反対する省庁は出てこないだろうな。他の省庁の反応について、何か懸念はあるか?」
と繋いだ。

 新垣と内野は、おそらくうまくいくだろうとは思うが、と前置きした上で「デジタル庁の濱田長官と井出さんがどういう動きをしてくるかが気になるな。
 今、彼らもある程度電子カルテメーカーとの協業の話が進んでいるわけだろう?そこはどう対応する?」
と懸念の表情を見せた。

 松坂は
「電子カルテについては、実は厚生労働省でも電子カルテの共有化の取り組みをスタートさせている。それをエスタブリッシュシステムズが後から知ったという状況で、井出さんたちは今猛烈に追い上げを見せているようだ。
 正直、井出さんたちが今から動いたとしても、厚生労働省の電子カルテの共有化の実装と本稼働には、おそらく間に合わない。
 そもそも、電子カルテのデータは現状では非常に使いにくい。それをどのようにして構造化し、活用するかの検討とシステム化に多大な時間とコストがかかるだろうと厚生労働省は見ている。
 だから、そこにエスタブリッシュシステムズが参入してきても、彼らにとってメリットは少なく、コストと時間を多大に費やすことになるだろうな」
と説明した。

 なるほど、うなづきながら、新垣は別の質問をした。
「レセプトデータに検査結果やより詳細なデータを取り込むには、どうする?」

 松坂は待ってましたとばかりに話し始めた。
「それこそが、このSHIN-KNOWの能力をフルに発揮するために絶対に必要なポイントだ。
 実は、レセプトデータにもっと検査値や医師の診断の詳細のデータを取り込むために、次回の診療報酬改定でインセンティブを働かせようと考えている。
 具体的には、レセプトデータのデータベース内にあるデータの入力項目の全てのデータを電子カルテから取り込めて、そのデータを提出した場合に、データ提出加算をこれまでと同じ費用を支払うという仕組みだ。

 逆に、きちんと電子カルテのデータをレセプトデータに取り込ませられない医療機関には、これまでのデータ提出加算を減額するなどと対処する。
 そうやって、医療機関から患者さん一人一人の診療のデータをセレプトデータに取り込ませたいと思っている」

 新垣は
「財務省としても、同じ費用でよりデータ充実するなら、その方が望ましい。そのやり方なら、医療費がかさみにくいだろう」
と、松坂を援護した。

取扱注意、濱田長官と井出

 内野は
「エスタブリッシュシステムズ社は、総務省に取り入って、インフィニティヴァリュー社に世帯関連データを共有しないように働きかけるかもしれないぞ」
と用心した。
 松坂も
「うん、それは懸念点の一つだな。実際のところ、井出さんのところが総務省への働きかけをしていることも聞いている。
 かなり頻繁に総務省にエスタブリッシュシステムズが出入りしているようだし、取引も行っているかもしれない。
 そうなったら話がややこしくなるから、できればそうしたくない」
と意向を明確にした。

 岡本が
「とはいえ、第3回医療DX勉強会は5日後だし、それまでに井出さんのところが5日で、SHIN-KNOWを超える超高精度の新しいサービスを開発できるとは思えない。
 むしろ、第3回医療DX勉強会でSHIN-KNOWを使うことを勉強会として提言にまとめ、直ちに閣議決定を通すようにスケジュールを組んだ方が理にかなっているのではないか?」
と指摘した。

「濱田長官は、どうする?
 いつも手柄が欲しくてしょうがなさそうだが」
松坂がもう一つの懸念も相談した。

「う〜ん、確かに濱田長官は我々では抑えにくいな。大臣経由で話をつける他にないだろうな」
「厚生労働省の小川大臣なら、濱田長官に抑えが効きそうだな」
 新垣がまたも静かに松坂に問いかけた。
 松坂は
「おそらく、な。
 ただ、濱田長官は今、自分の名誉挽回と手柄を獲得することに全力を挙げている。だから、小川大臣から濱田長官に何らかのネゴをするには、何か手土産があった方が望ましいかもしれない。
 それに濱田長官が食いついてくれたら、SHIN-KNOWの活用は一気に前進するだろう」
と答えた。

 その時、吉田は一つの提案をした。
「このレセプトデータと世帯関連データを連携させて分析するという構想を、厚生労働省とデジタル庁が共同で立案していた、ということにしてはいかがでしょう?」
 松坂は大変驚いた。
 SHIN-KNOWは、実際には吉田のインフィニティヴァリューが開発したものだ。そこに、松坂がいくつかのアイディアを出したことは間違いないが、レセプトデータと世帯関連データを連携させる技術を持っていたのはインフィニティヴァリューだし、実際にデータ分析できるまで開発したのも同社だ。厚生労働省ではない。  
 松坂は少々慌てて言った。
「それでは、御社のせっかくのアイディアと技術に光が当たらなくなります。それは、あまりにも惜しいことです」

正しい意思決定とプロセスは、適正なリターンを生む

 吉田は大変喜びながら、自分の考えを全員に伝えた。
「そのようにおっしゃっていただけることは、弊社にとってありがたいことです。弊社のメンバーも喜ぶでしょう。
 そして、さらに重要なことは、SHIN-KNOWを実際に稼働させて、実際のレセプトデータと世帯関連データを連携させて、医療の質を分析することです。
 それをやらないことには、日本の医療の質は高いのか低いのかがわかりませんし、どこを向上させる必要があるのか、患者さんにとってベストの治療が何かを知ることもできません。
 SHIN-KNOWは、稼働させて分析させてナンボです。
 まずは、SHIN-KNOWを稼働させることが重要です。そのために濱田長官がSHIN-KNOWの立ち上げに関わった、ということにさせていただければ、濱田長官も各省庁でSHIN-KNOWをご活用いただくことに喜んで合意してくれるのではないでしょうか」

 新垣がうなづきながら言った。
「社会的な良い風評は一旦濱田長官にお預けするとして、吉田社長は実利を得る、ということですね」
「はい、その通りです。後から『SHIN-KNOWを開発したのは、実はインフィニティヴァリューだったのか』と知ってもらえれば、弊社はそれで良いです。ITのシステムは、ビジネスや業務の裏方ですから。
 風評はビジネスで非常に重要です。良い風評はその会社や財・サービスの成長に追い風になります。悪い風評はその逆になります。
 ですが、風評を生み出すためには、まずはSHIN-KNOWを動かさないといけません。
 日本の医療に対して何の成果も上げていないのに、弊社にとって追い風となる風評は立たないでしょう」
 吉田は、まずは実利と風評のバランスを取りながらも、風評よりも先に実利を得ることを優先した。
 自社のビジネスの目の前の成果を追いかけることよりも、日本全体に貢献できる大義を重んじ、それを打ち出すことの方が、インフィニティヴァリューにとってより大きなリターンをもたらすことを知っていた。

 松坂は吉田に頭を下げて、
「吉田社長、ありがとうございます。では、濱田長官に花を持たせつつ、SHIN-KNOWで医療のデータ分析の実績を作りましょう。
 ぜひ一緒にSHIN-KNOWを成功させましょう!」
と言った。
 吉田は笑顔で
「ええ、ぜひご一緒に!」
と返した。
 新垣、内野、岡本も同じ思いを抱いていた。

 問題は、井出だ。
「濱田長官は松坂に小川大臣対応をお願いするとして、井出さんはどうする?」
 岡本が疑問を呈した。
「井出さんね、うん、あんまり蔑ろにもできないよな」
「井出さん、いろいろと動いているみたいだけど、デジタル庁でもこの勉強会でも、今のところ問題なく仕事してるからなぁ」
「とは言っても、彼の後ろにいるエスタブリッシュシステムズが、各省庁にシステムの運用や開発などで携わっているから、エスタブリッシュシステムズが各省庁に及ぼす影響が大きくなりすぎるのは、好ましくないよな」
「もしエスタブリッシュシステムズが倒産したら、我々の仕事への影響も大きい。我々の仕事が停滞するようなことはあってはならないな」

 松坂ら四人の会話を聞いていた吉田は、おもむろに口を開いた。
「とは言っても、井出さんに、梯子を外すようなことはできないですよね?」
「うん、まあ、そうですね」
「では、井出さんやエスタブリッシュシステムズさんに、それなりの手土産を差し上げてはいかがでしょうか?」
「えっ、具体的にはどういうことをお考えですか?」
「今、厚生労働省では電子カルテの共有化のプロジェクトを進めておられるのですよね?エスタブリッシュシステムズさんも、そちらに参入していこうと考えておられるようです。であれば、そちらに関わっていただくのは一案かと思います」
 松坂は少し考えて、吉田に尋ねた。
「電子カルテの共有化のプロジェクトは、すでにある程度進んでいます。今からエスタブリッシュシステムズが参加するとなると、これまでにプロジェクトで尽力してくださった他のIT企業様が反感を持つでしょう。
 プロジェクト全体へのネガティブな影響が大きすぎる気がします。
 吉田社長のご意見の背後にある意図を、お聞かせいただけますか?」

暗躍する吉田

 吉田は一呼吸おいて、自分の意図を話し始めた。
「電子カルテの共有化は、実現できれば社会全体や日本の皆さん、医療者にとって非常に利便性が高くなることは間違い無いでしょう。そして、そのことは厚生労働省が目指している将来の医療の姿ですよね。
 そこに何らかの形で参加できるというのは、エスタブリッシュシステムズさんにとっても大義を得ることになるでしょう。彼らがその大義を必要とするなら、それを差し上げれば良いかと思います。
 厚生労働省が直接関わっておられる電子カルテの共有化のプロジェクトにエスタブリッシュシステムズさんが参加されなくても、もうすでに彼らは独自に電子カルテの共有化のためにさまざまな省庁、団体、企業等にコンタクトを図っておられるとのことでした。であれば、エスタブリッシュシステムズさんには好きに動いてもらう、ということでも良いかと思います。
 いずれにしても、厚生労働省が考える将来の医療の実現には、少しでも多くの協力者が必要だと、私どもは認識しています」
 一呼吸おいて、吉田は続けた。

「しかし、一企業の経営の立場から見ますと、電子カルテの共有化にかかる時間と労力とコストが甚大過ぎます。医療機関ごとに電子カルテをカスタマイズしているので、データベースの統合に非常に時間がかかるためです。
 また、一部の医療機関や医療者の中には、厚生労働省が主導して進めている電子カルテの共有化に反発し、独自の電子カルテの共有に取り組んでいるところもあるようです。
 これらを踏まえると、ここから数年の間は電子カルテのシステムの流動期になるでしょう。すなわち、電子カルテの共有化のさまざまな基準やルールなどが複数存在し、主導権争いが起こるということです。
 そしてその状況は、参加するIT企業にとって『電子カルテのシステムが統合されるまでの消耗戦』という、出口が見えない投資をし続けなければならない、その競争に勝つまでさまざまな投資をしなければならないということを意味します。
 さらに、その競争に敗れれば、それまでの投資は全てただの損失になります。
 これらを総合的に鑑みますと、電子カルテの競争に参加するIT企業にとっては賭けに参加するようなものであり、参加した企業は勝つまで体力で勝負せざるを得ないことになります。
 このような状況に対して、弊社は電子カルテのシステムに関する取り組みは、労力やコストの点から投資しない、投資のリスクが大き過ぎると判断しました。
 その上で、弊社はレセプトデータと世帯関連データにフォーカスします」

 そこまでじっと吉田の話を聞いていた財務省の新垣は
「そこにエスタブリッシュシステムズが参入するということは、近い将来エスタブリッシュシステムズが弱体化していく可能性がある。
 また、エスタブリッシュシステムズが弱体化しなくても、厚生労働省の取り組みや意向に資することができるなら、それはそれでよし。
 だから井出さんが電子カルテのシステムの共有化に関わっていくなら、吉田社長としてはそれを止めはしない、ということですね?」
と指摘した。
 吉田は、ただニコッと笑った。

 岡本も内野も
「まあ、民間企業の意思決定に対して、我々は口を挟みませんから。吉田社長のご意向通りになさってください。
 御社のSHIN-KNOWの威力は間違いないですから、SHIN-KNOWによる分析で私たちに力を貸していただけることが最も重要です」
と、自らのスタンスを示した。 
 吉田は
「ありがとうございます。SHIN-KNOWでみなさまに貢献することをお約束します」
と深々と頭を下げた。
 
 松坂は今日の五人のミーティングを総括し、次のポイントを確認した。
・第3回医療DX勉強会からの提言として、レセプトデータと世帯関連データを連結させて、そのデータをSHIN-KNOWを使って解析すること
・それを閣議に直ちに諮ること
・各大臣にこのことを根回しすること
・デジタル庁の濱田長官には、SHIN-KNOWの企画立案からデジタル庁と厚生労働省が協業していたこととして、濱田長官にも多少花を持たせること
・それについて厚生労働省の小川大臣から根回ししてもらうこと
・内閣府、厚生労働省、財務省、経済産業省の各大臣には、内野、松坂、新垣、岡本から第3回医療DX勉強会の内容を事前に伝え、SHIN-KNOWを活用して日本の医療の質の分析に着手することに合意をもらい、閣議に諮ってもらうこと
・井出とエスタブリッシュシステムズには、当面は自由に動いてもらって良いこと、ただしSHIN-KNOWの活用は変わらないこと

 これらを確認した後、松坂は全員に
「このシナリオがベストだが、行けるか?」
 松坂は新垣、岡本、内野を順番に見つめ、問いかけた。

 新垣、岡本、内野は、それぞれの大臣に事前に根回しすることを松坂と吉田に約束した。全員の顔がほころんだ。

 いよいよ第3回医療DX勉強会が開催された。
 ところが、松坂、新垣、岡本、内野、吉田が事前に打ち合わせていたにもかかわらず、不穏な舌戦が勉強会の中で繰り広げられてしまった。

(第二十章に続く)

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