生ハムは好き。しょっぱくておいしい。
どうも原田です。
この記事はエチケット袋です。詳しくはこちら。
ここからの文章は主観と邪推とエグみが多く含まれるので、注意されたい。お前に言ってるんだぞ原田。
さて、このたび原田は完全に「合わない」人と邂逅しました。
時間を一緒に過ごすだけで心身のエネルギーをみるみる削られていくという貴重な体験をしました。すごい。疲労困憊でした。
その方(以下Pさん、理由は伏せます)はとても有名な方で、自信に満ち満ちており、向上心があり、求心力があり、能力が高く、慕われ、大きな家に住み、たくさんの貴重なものを持っており…というわたしの正反対にいる方でした。
どうやら精神的なエネルギーにも浸透圧が働くらしく、「持たざるわたし」から「持てるPさん」にどんどんエネルギーが吸い取られるのがわかりました。塩蔵ハムみたいになりながらエグみを凝縮されるわたし。最悪の保存食かよ。
印象としては、「PさんはPさんの世界の中で王か神であり、それ以外の有象無象は眼中にない」というか。「自分の成すことは正しく、有益で、評価されて然るべきと信じて疑わない」というか。
「世界は遍く美しく、人間は使命を帯びて生きるべきで、それを達成する努力は不断になされるべきである。私はそうして生きている」
この雰囲気が原田をエグ生ハムにしていきます。せめておいしくなりたい。
わたしの見てきた小さな範囲の世界は美しいものばかりではなかったし、わたしには人間としての使命なんてありません。溺れながら藁をつかんだりエチケット袋に嘔吐したりするばかりです。不断の努力なんてする体力も気力もありません。休み休み頑張るのがせいぜい。半分くらいは眠って生きていたい。
ではそんな「陰の者」原田は死ぬべきか?というと全くそんなことはないし、死ぬ気もさらさらありません。どんなにひどい場所でも、能力も使命もなくて努力もできなくても、生きていたいと思う限りは生きていたいのです。
持たざる者として、持たざる者と共にありたいのです。
※
Pさんについて、非常に恵まれた才能と環境をお持ちの方だと推測しました。自己肯定感の高さ、自身の能力への信頼、そして実際の能力、プラス教養はそこに裏打ちされた確かなものだと強く感じられます。
やはり才能LUCK全振りで生きてきた身としては嫉妬しちゃいますねえ。おかげでわたしも環境には恵まれたように思いますが、いかんせん自己肯定感が育まれず。恥の多い生涯を送って来ました。
※
「見ろ、私はこれだけすごいんだ」と言われるとですね、わたしとしては「そうですね、当方すごくなくてすみません」となるわけです。「わたしもこんなことができます!」なんて、とてもとても。実際なにもできないですし。
めちゃくちゃかっこいい猛禽類に「どうよ、翼も美しいし見た目も凛々しい、そして何より飛べて強い!だろ?」と言われた小さな虫の気持ち。わたしが虫なら「わたしも動物さんの血ィなんか飲んだりしてね、へへ…」って言う。ほんとはどっちも同じようなもので、なぜか生まれていい感じに生きてまあまあのタイミングで死んだりするだけなのですが。
結局なにが言いたいかというと…
なにが…言いたいんだろうわたし…
まあ、あれだ。ガチエグ生ハムになる前にぬるま湯に逃げたほうがいいよってことだ。
おわり。
※
それはそれとして、Pさんの作品は美しいし技術は一流、家は素敵だ。ああいうところに住みたいなあ。
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