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上手に東京を離れたい

羽田空港から一時間ほどの飛行。


来春からの新天地は海と山に縁取られた中核市である。

この町を思うたび「魔女の宅急便」のサウンドトラック「海の見える街」が聞こえてくる。


新居を決めた帰り道、空港行きのリムジンバスに揺られていると、突然、新しい町で暮らしてゆくことへの不安感に襲われた。


窓から吹き込む冷たい秋の風。

道路沿いの人気ない店舗。

寂しげな風景に両脇をかためられて。


本当にやっていけるんだろうか。


思わず「東京に残りたい」という言葉を口にしてしまったのは、不安に加え、何度も当地を訪れているはずの連れ合いの頼りなさに苛立ったがゆえだった。


冷戦は三日間にわたった。

前言は撤回したが、以来、不安感の正体についてずっと考えていた。


以前の記事で、娘を東京に出すための母の子育てと、東京を離れる不安と希望について書いた。

今回の出来事を通して、やはり私は母の子育てに素直に従って成長したのだなと思った。


東京で暮らすことはすごろくの「あがり」で、自由と同意義だった。


例えば東京の路線図を覚えること。

地下鉄の乗り換えにも迷わない。

不安な足取りの修学旅行生の隣を勢いよくすり抜ける。


雑踏の中を早足で歩くこと。
躊躇なく斜めに切り込んで人混みを渡ること。


これらを難なくこなすことこそが、東京で生きることであり、自由であり、快感でもあった。


だから、東京を離れることを、まるで羽をもぎ取られるように感じるのかもしれない。


人混みがない。

早足で歩くことが至上価値ではない。

地下鉄の乗り換えもない。

あの博物館や美術館が、長距離移動の末、はるばる訪ねていくところになってしまった。


東京で生きるための知恵がすべて役に立たないものに変わる。


地元に似た駅前広場。

少し力のない商店街。お店はすぐしまる。

夜が素直に暗い。


東京と比べても仕方ないとは分かっているのに。


地方移住が薔薇色の未来だとは思わない。

田舎の嫌なところも知っている。

車の運転も上手くできるかどうか。

連れ合いは新たな会社でちゃんと人間的な働き方ができるかどうか。

自分の仕事だってどうなるか分からない。


けれど同じくらい、楽しみなことも沢山ある。

古本屋、喫茶店、銭湯。宝探し。

大阪、岡山、広島、福岡が近くなった。

行きたい場所もたくさんある。

新しい生き方の可能性も大いに感じる。


だからこそ上手に東京を離れたい。

今生の別れではない、上手なお別れを。

🍩食べたい‼️