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雪形ってなに?

冬の間は白一面だった山々も、春になって雪が溶け始めると、山肌にさまざまな形が現れます。人の形、動物の形。「雪形」と名前が付いたのは昭和になってからですが、それよりはるか昔、暦のない頃から、特に農事のカレンダーとして使われてきました。特定の形が、田植えや種まき、山菜採り、野菜の苗を植える目安にされていたのです。
 雪形が多いことで知られるのはお隣の長野県ですが、新潟県は倍以上の124を数えます。おそらく日本で一番でしょう。『新潟県の雪形』を著した故斎藤義信さんは、豪雪と米どころが一体となり、平野から仰ぎ見る山々が多くあるからだろうと言っています。

種まき爺、粟まき入道、虚無僧、駒(馬)、牛、鷺、鯉、鯛、ミョウガ、山・川などの文字。中には、道祖神のように仲良く手を取り合った「じじとばば」、両脚を天に突き上げた「さかさ男」、頭の薄い「入道」もいて、なんともユーモラスでバリエーション豊か。黒と白のシンプルなコントラストだけに、想像力も奔放になったに違いありません。

魚沼地域でたくさんの雪形を見せるのは八海山です。5月頃を中心に、小出からは鯉の滝のぼり、浦佐からは駒、六日町からは巨人の手、塩沢からは田かき馬と、見上げる場所によって形が違います。時間でも形を変え、田打ち(田を打ち返すこと)の雪形は薪(魚沼ではボイ)取りから田の耕作の目安で、八十八夜のころになると田植え爺さん。6月に入ると、枡を持った豆まき爺さんになります。

その八海山には、こんな昔話もあります。田かきをしてはいけないと言われていた6月6日(現在の5月6日くらい)に、約束を破ってした者がいた。すると八海様が怒って、シットリ(馬の後につく人)と馬を連れて行ってしまった。それ以来、八海山には、田かき馬の雪形が現れるようになったとか。

今では、農作業の目安に山を見る人はほとんどいなくなりましたが、マイ雪形を決めて、自分の暮らしや季節の行事、食べごろの食材に結び付けてみるのもいいでしょう。春が巡り来たことの喜びも、より強くなるのではないでしょうか。

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