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夫婦は逃げられない。だからこそ

かつて、大人になるということは、「ズルくなること」なんだと思っていた。

自分に都合のいい話には勢いよく乗っかって、都合の悪い話なら「距離を置く」という方法で離れてしまえばいい。

人間関係、特に、恋愛がそうだった。

上手くいきそうなときや関係が良好なときは、耳障りのいい言葉も滑らかに出てくる。いつもニコニコとして、相手の望む恋人像に近づけるようにと努力する。

だけど、少しでも関係が悪化したり気まずいムードになったりすれば、連絡頻度を落とすか、「距離を置きたい」と都合のいい言葉を言い放ってそれ以上コミュニケーションを取ることをやめてしまう。

「ズルい」と言われればその通りだし、「弱い」と言われても返す言葉はない。

それでも、結婚という契約を結ばない限り、私はいつまでも逃げていればいいと思っていた。自分にとって都合の悪いことたちから。

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そんな私だったけれど、昨年、「この人だ」と思った人と結婚した。とてもポジティブな気持ちで結婚し、それは一年経った今も変わらない。

それでも「逃げられない」関係であるということは事実だと思っている。

物理的に距離を置こうにも、同じ家に住み同じベッドで寝る。社会的にも、同じ戸籍の家族ということで、お互いの行動に責任が生じる。

少し家を出てどこかに出かけるとか、一晩友達の家に泊まるとか、そういった逃げ方はできるかもしれないけれど、そんなものは一時的な対処法でしかない。

根本的に離れることのできない関係が「夫婦になる」「家族になる」ということなのだと思う。

そしてそれは、お互いができるだけ触れたくない話題や都合の悪い話をするときになっても変わらない。決して逃げられないのだ。

その場しのぎの嘘やごまかしが効かない。距離を置いて話をうやむやにすることもできない。なぜなら一生隣にいる相手なのだから。必ずまたどこかで同じ話をすることになるのだから。

だからこそ。

だからこそ、お互いに真剣に向き合うことができる。

ときに、都合の悪い話をすることになるかもしれない。ときに、自分の弱さを指摘され痛い思いをするかもしれない。この場から逃げ出したくてたまらない場面だって出てくるだろう。

それでも、互いに互いを「生涯添い遂げたい相手」として思いやる限り、逃げてはいけない。この先も家族として歩いていくために、真剣に考えなくてはいけないこともあれば、お互いが変わるべきこともある。

お互いを想い合い、真剣に向き合うことで、より人として成長できる気がしている。

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先日、私は33歳の誕生日を迎えた。夫はたくさん祝ってくれた。

一方で、私の悪いところ・弱いところもきちんと注意してくれた。

33歳なんて、10代の頃には「成熟したいい大人」だと思っていたのに、実際に自分がその歳になってみれば、全然大したことはない。まだまだ成長途中なのだと気付かされる。

そして、そんな人と人生のパートナーになれたこと、改めて嬉しく思うし、誇らしくもある。

夫婦は逃げられない。だからこそ、これからもお互いのいいところを高め合い、成長できるところは率直に指摘し合い、弱いところは助け合える、そんな関係でありたいなと思う。


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