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30年後のパリ日記(パリオペラ座バレエ)

2024年2月20日(火) ーパリオペラ座ガルニエ宮ー
『SADEH21』オハッド・ナハリン振付


午後7時からの『SADHE21』を観に行く。"SADEH"(サデ)とはヘブライ語で"Field"を意味する。1〜21までの振付(実際には途中省略されて21なかった)を舞台(フィールド)上でダンサー達が踊る。私の印象では、SADEHは、"世紀"を意味していて、人類の営みを1〜21世紀に渡って表現しているように思われた。
パリの街は、2024年夏のオリンピックに向け工事ラッシュ。ガルニエ宮の正面玄関も例外にもれず、張りぼて風看板で隠されている。不安に駆られ早めに出かけ一番乗り。しかしwi-fiが繋がらずEチケットの表示が出ない。非常に焦ったが、なんとか繋がり無事入場。
席は3e loge de côté 日本で言うところの4階サイドの個室。分かってはいたが高い!高所恐怖症の私にはかなりハードル高し。2列目のフランス女性も一言目が「Ça haut !」(高ーい!)


3e loge de côté (4階サイド席)1列目より

だが、 舞台が始まると高さの恐怖もすっかり忘れてしまった。人間の恐怖心なんてどこに意識がフォーカスされているかだけなんだ。つまりは、自分自身の固定概念が作り出してるものでしかない。今回の旅行も30年振りの海外旅行でかなり面倒に感じていたものだ。娘がこの春大学を卒業する。社会人になるとなかなか長期休暇も取りずらいだろう。一緒に遠いヨーロッパに出掛けられるのは最後かも……と思い切った。正直、本当にギリギリまで行きたくない気持ちの方が先立っていた。飛行機が嫌いで、年齢的に体力にも不安を感じていた(スポーツクラブで毎日の様に鍛えているにもかかわず)。でもフランス着いた瞬間生き返った!何か吹っ切れた様に!殻を破った感覚!パリの街を娘と歩いて歩いて歩き回った。そして毎晩ぐったりして渾々と眠り続けた、明日の活動のために。濃厚な10日間だった。


『SADEH21』の出来は?もちろん「ブラボー!!!」の一言。大変素晴らしい舞台でした。振付を含む作品全体はもちろんのこと、パリのオペラ座の若いダンサー達のプレゼンテーションが素晴らしかった。今回配役されていたのは殆どが*Coryphées とQuadrillesの方々で、多分他のメンバーは皆、日本公演の真っ只中(演目は白鳥とマノン)。ダンサーの層の厚さは勿論の事、30年前と比較して、国際化と多様性を感じる。以前はフランス人以外のダンサーは現ディレクターJosé MARTINEZ(スペイン人)だけだった。あと付け加えたいのは、同じ作品でもオペラ座が手掛けるとソフィスティケイトされる。デコールも衣装も最高級だ!!! 

*Coryphées  Quadrillesとはオペラ座ダンサーのタイトル。ピラミッド型に        5つの序列をなす。
最上位はEtoiles(主役)、次がPremiers/Premières (準主役)
 Sujets  (ソリスト) 、Coryphées(群舞) 、Quadrilles(群舞)と続く。
             

        
ーオペラ座におけるオハッド作品ー
2000年に『Perpetuum』が、初めてオペラ座のレパートリーに。2016年に『Three』をオハッド率いるバッドシェバ カンパニーがオペラ座にて初演。2018年『Decadance』がオペラ座のレパートリーに。このバージョンは次に挙げる9作品の抜粋が含まれている。
『Mabul』(1992)、『Anaphase』(1993)、『Zachacha』(1998)
『Naharin's Virus』(2001)、『Three』(2005)、『Telophaza』(2006)『Max』(2007)、『Seder』(2007)、『Sedeh21』(2011)

ー近年の芸術監督ー
・1995年にBrigitte Lefèvre(ブリジット ルフェーブル)が芸術監督になり、
    コンテンポラリーの演目が増えて行った。2014年退任。
・2014年〜2016年L.Aダンスプロジェクトの振付家Benjamin  Millepied               (バンジャマン ミルピエ)がパリ・オペラ座バレエの芸術監督を務めた。
    行動の全てが革新的で新しい風を送り込んだが、伝統を守ろうとする意           見との対立で退任に追い込まれたのでは?
・2016〜2022年Aurélie Dupont(オーレリー デュポン)
・2022年からスペイン国立バレエからJose Martinez(ジョゼ マルチネ)が
    戻り現在芸術監督。

ルフェーブルの以前の監督は、"アンファンテリーブル"と呼ばれた天才ダンサー、Patrick Dupond(パトリック デュポン)。そのまた前はダンサーだけではなく振付家としても天才であったRudolf Nureyev(ルドルフ ヌレイエフ)が監督を務めた。30年以上前の話だ。ヌレイエフはロシアから亡命し、イギリスでMargot Fonteyn(マーゴ フォンティーン)とのコンビで大成功を収めたのちオペラ座に着任した。オペラ座の現在のクラシックレパートリーは、ほぼヌレイエフ版で占められる。テクニック的に最も難しく、舞台上で踊るダンサーの数も多く煌びやかだ。一方ロマンティックバレエの振り付けはPierre Lacotte(ピエール ラコット)のものが殆どを占める。


 ー振付家Ohad NaharinとBatsheva Dance Companyー 
バッドシェバ カンパニーは、1964年Bathsabee de Rothschild(1914ー1999)男爵夫人のメセナで設立。設立後しばらくの間Martha Graham
(マーサグラハム)がアートディレクターを任されていた。
1974年オハッドナハリンが入団。のちにNYのマーサグラハムのカンパニーに招かれる。1990年オハッドナハリン、バッドシェバカンパニーのディレクターに着任(2018年まで)。
そして忘れてはいけない一番大事な事。GAGAのメソッドを作り出したのも彼だという事だ。作品を作る上でもGAGAが言語の様に使われ、レッスもGAGAのメソッドで行われる。GAGAにはプロフェショナルとピープルの二つがあり、前者は文字通りプロダンサー用メソッド、後者は一般の人向け。日本人のダンサーも何人かカンパニーに所属していた(いる)ので、日本でもGAGAのレッスンは受けれるが、教えられ人は少なく、現在は柿崎さんだけではないだろうか?コロナ後、インターネット上でもレッスンが受けれが、時差の問題とかあるし色々な意味でハードル高いな……


有名なマルクシャガールの天井画


最後に一言。本当に運よく舞台が観れて良かった。バッドシェバの日本公演は連続4回キャンセルになり、その度に落胆していたから(3回はコロナの為、今年2024年はイスラエルとパレスチナの戦争の影響)。遥か昔そのまた昔(約30年も経つ!)日本よりフランスとバレエに憧れやってきた私が、毎晩の様に立ち見席で、ここに通ったと思うとなんだかタイムスリップした様な不思議な気持ちです。何より娘にとって貴重な体験となりました。(fin)
               












 







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