当たり前のことに感謝する今日この頃

当たり前のことってなんだろう。

当たり前ではなくなってから気付くことだろうか。いや、そうでない時から気付くことが出来る人もいるんだろう。私は残念ながら、「当たり前」ではなくなってから気付いたのだ。ただ、ひとつ注意書きしておくとしたら、まだ悲観的にはなっていないということ。当たり前って有難かったんだな、そんなことを考えることが最近あった。


①働いてお金をいただけること

今春転職した会社をわりと早々に辞めてしまってから、私はまだ新しい定職を探している。フルタイムで働いている時は、給与天引きされても生活するには何とか足るだけのお金があった。ただ、今は残念ながら定職ではないので、まだまだ「支出>>>>収入」みたいな感じだ。特に、税金関係のお金がとにかくかかる。給与天引きであっても少しは気にしていたが、定職ではないとそれが際立つ。国民健康保険料+国民年金保険料+住民税…これらがどっとのしかかってくる。ちゃんと仕事をしてお金をいただけることは、本当に有難いことだったんだなと改めて感じている。フルタイム(生活を営むことが出来る程度の収入を得られる仕事)で働くことを出来る限り早く実現させたいと思っている。1年分の税金関連はあらかじめ支払っているような感じだから、ちゃんと出て行ってしまった分は預金しておけるように、やりくりしたいと思っている。

②誰かが作ってくれるご飯の有難さ

最近料理教室に通い始めた。定職に就く前に何をやってるんだと思う人もいるだろう。ただ、無為に時間を過ごすことはあまりしたくなかったので、健康的に生きていくための1つの方法として、料理を人に習うことにしたのだ。

先日作ったメニューの一つに「玉子焼き」があった。ガス火で玉子焼きを作ったのだけれど、普段料理なんてほとんどしないものだから、見た目は結構残念なくらい焦がしてしまった。味は出汁がきいていたので、見た目よりもずっと美味しかった。

高校生の時は母が毎日お弁当を作ってくれた。決まって玉子焼きが入っていて、その時は毎日作ってもらえてありがたいなーくらいは思っていたと思いたいのだが、自分で作ってみると、全然上手く出来なくて、本当に有難いことだったんだなと思った。

そして、今日家で玉子焼きを作ってみた。関東風の玉子焼きなので出汁は入れずに醤油と砂糖を混ぜて丸型フライパンで作った。火力調整を自分で行えることもあり(弱火~中火)、前回よりはずっと見た目は美味しそうに作れた。そして味も美味しかった(ただ混ぜて焼いただけだから…)。練習して上手くなるほかないのだろうけど、自分のためだけにはなかなかモチベーションが上がらなかったので、これからは少しずつでも料理をしていきたいと思っている。自分で何を使ったのかが分かると、ある程度安心して食べられる。市販のものは簡単だけど添加物も多い。私にとっての「誰か」は今はいないけれど、自分のために美味しいご飯を作って健康的に過ごしたいと思う。

改めてだが、お弁当を作ってくれていた母に感謝だ。

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