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知らない誰かを助けること

19歳で運転免許を取った。もう27年も前になる。

母子家庭で経済的に厳しい中で育ったので、大学の学費は全額自分で工面しながら通っていた。奨学金とバイトで半々といったところ。当然車の教習所に通うためのお金も自分で稼いだわけで、高校卒業時にはすぐ通えず、大学1年の春休みになってしまった。

苦労して取得した念願の運転免許証。日頃の私を見ていた母が、祖父からもらったお金50万をそっくりそのまま使って中古の軽を買ってくれた。母や弟を乗せて買い物にも行ったが、せっかくのマイカーなのだ、ちょっとした車のひとり旅を計画した。春休み中の日帰り旅だ。行き先はさほど遠くではないが、カーナビはおろか携帯電話さえ無い時代のこと、地図を広げて知らない土地を慣れない運転で旅するのはなかなかに冒険である。

始めは好調だった。開けた窓からの風も心地よく、自分で編集したカセットテープ(そういう時代だった)から流れる歌に合わせて鼻歌を歌う。しかし、立ち寄ってみたかった喫茶店が見つからない。大通りから細い道に入るのだが、どこなのかわからないまま通り過ぎてしまったのかもしれなかった。そこでとりあえず左折してみたのだが、その道がいけなかった。少し進むと住宅街になって途端に道がせまくなる。しかも田舎の細い道の側溝には蓋がない。クランク状の道を曲がる時、後輪が側溝にハマる。初心者のやっちまった状況である。

道に迷いながらで日は落ち始め、周りは薄暗い。公衆電話やお店などは見当たらず、しかたなく近くの家の電話を拝借しようかと思った時、ちょうど近くの家から中年のメガネをかけた男性が小走りで出てきた。

「すみません!」と意を決して走り寄り、状況を説明して電話をお借りできないかとお願いすると、その男性は私の車を見に来てくれ、「軽なら何人かで持ち上げられるよ」と言う。「ちょっと待ってな」と近所の方々に声をかけるとあっという間に4人の男手が。そして側溝から私の車を救い出してくれた。

お礼を言う私に手を振ったり笑顔を返しなら男性陣は帰って行き、最初に声をかけたメガネの男性が「おじさんがもう少し広いところまで車動かしてあげるよ」と運転席に乗り込みスムーズにクランクを抜けてくれた。もう何度も頭を下げた。まだ子供みたいな19歳の女の子だった私を気の毒に思ってくれたのかもしれないが、なんでもないよと笑顔で手を振って帰って行った。

育った環境のせいもあってか、私は小さい頃から自分ひとりで出来ることは自分でやるというスタンスで、その分他人に対しても自分で出来ることは自分でやれ、という考えだった。だから、その時の私にはあっという間に集まって、気持ちよく手を貸してくれたおじさん・お兄さんたちの行動が予想外だった。しかも、焦っていたので気遣うことができなかったが、改めて思い返すとメガネのおじさんは最初、家から小走りに出て来たのだった。何か急ぎの用事があったのではなかったのか?感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

後日、名前さえ聞かずに別れてしまったが、何かの折にお礼の手土産でも持って行こうかと考えた。しかしもうその道がどこかもわからない。適当に曲がった知らない道で、目印もないし地図を見ても迷っている最中のことだったから、いったいどこだか見当がつかなかった。

そのことがあって、知らない場所で知らない誰かが助けてくれるありがたさを実感した私は、それまでよりは少し、周囲の困っている人に対する態度が変わったのである。

しかし最近、反省することがあった。

病院の受付前で問診票を記入していると、近くでおじいさんがお財布から小銭をジャラジャラと落としてしまったのだ。普段なら間違いなく拾うのを手伝うのだが、新型コロナ感染に注意する今、しかも病院という場で果たして近寄って落とし物に触れていいものかどうか?と悩んでしまったのである。他の人も誰一人手伝わず、おじいさんはひとりで腰をかがめてふうふう言いながら小銭を拾い集めている。結局最後まで手伝わなかった。

そして後悔したのだ。自分への感染が気になるなら拾った後でトイレにでも入って手を洗えばよかった。自分からおじいさんへの感染をおじいさんが気にして手伝われることを嫌がるかどうかはわからないから、「お手伝いしましょうか?」と声をかければよかった。気にされるのであればきっと、「大丈夫ですよ」と断るのではなかっただろうか?

知らない誰かの手助けに躊躇したり、大きな注意を要する今がはがゆい。早くウイルスが終息して、気兼ねなく旅をし、知らない誰かとの出会いを楽しみたい。

#やさしさに救われて

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