「同時多発テロ 9・11」・・・憧れの街ニューヨーク・・・5

いつか行ってみたい、住んでみたい、ニューヨークで日本人向けに書く人になりたい、そんな憧れを持ちつつ2001年9月初めに次女を出産した。

夕方退院したその日の夜、見ていたテレビニュースで衝撃の映像が流れた。2001年9月11日。
ニューヨークのシンボル、ツインタワーが大量の煙とともに崩れた。
同時多発テロ。
日本では夜の11時少し前だった。家族で遅い晩御飯を食べながら、私はちょうど授乳中だった。

憧れのニューヨークの話題を口にすると、それまで多くの人から、
「大丈夫だよ、ニューヨークは無くならないから」
「自由の女神は逃げないよ」
「タイムズスクエアはこの先もずっと煌びやかな街だと思うよ」
などと言われていた。
けれど、現実はこの目で1度も本物を見ることもなく、2つのビルは無くなってしまった。
あまりに大変なことが起きたため実感がわかず、出産を終えて帰宅した我が家が、めでたいのか悲劇なのか、わからなくなっていた。

現実かフィクションかわからないまま、授乳をしながらテレビ画面を見ると、義母から、
「テレビ画面は見たらダメっ!!」
と注意された。
義母は産後間もない経産婦が、文字を読んだりテレビ画面を見ると、
産後の肥立が悪くなるという、昔からの言い伝えを信じており、
私を気遣って言ってくれたのだった。
けれど、もしテレビ画面の映像が本当なら、歴史的大惨事だ。
授乳をしつつ、チラッチラッと画面を盗み見する。するとすぐに
「見たらダメだって!!」
と注意される。
私がニューヨークに並々ならぬ憧れを持っていることを、義母は知らなかった。ただただ私の産後を案じて思いやってくれていたのだ。
けれど私が、胸がはち切れそうなほど恋い焦がれているニューヨークが、今、大変なことになっているのだ。せめてニュースくらい見せてほしかった。けれど頑なに見せまいとする義母。そのときは少々苛立ったが、義母は私の産後の肥立ちの心配とともに、あの大惨事の映像を、退院したその日に見せるには、あまりに残酷だと思ってくれたのだろう。
リアルタイムではほとんど見られなかったが、義母の気遣いと思いやりが理解できたのは、もっとずっと後になってからだった。

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