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私の中にある言葉を形にすること

昔から私は

「〇〇さんは変わっている」

って言われてきた。


そうなのか・・・。

私は変わっているのか・・・。


でもそれはいつの日か、変わっているって言われることが私の勲章ように感じて、そういわれるたびに

でしょう?!!(*´ω`*)私は変わっているんだよ。

って誇らしく思っていた。


結婚するまで私はずっと働いてきたのだけど、出産を機に仕事を辞め(切迫早産しかかったため、予定よりも早くに辞めた)、念願の専業主婦として、次男が中学生に上がるまで、家にいた。


またいつか子育て中に起きたことを、書きたいと思う。

長男が中学に上がることを機に、旦那は単身赴任となり、私は父親と母親の両方の役割を背負って育児をしたわけだが、その時の体験は今となればとても輝かしく思える。

本当に、過ぎ去ってしまえば、どんな思い出も美しく見えるものだね。


次男が中学校に上がる前、近所の方から学童保育の支援員をしてみないかと誘われた。子どもは昔から大好きだったし(保育士さんにあこがれていた時もあった)、何よりその職場が近所だったので、じゃあやってみようかと・・・。

資格も特に要らないっていうことだったので、何もわからない状態で私は学童の支援員になったのね。



学童保育では様々なことを勉強できたし、何よりこんな狭い地域でも、誰一人として同じ性格の子なんていないことを実感したのだけど、

いかんせん。


ずっと人と関わっていなかい生活を送っていたからか、更年期障害のせいもあるのか、仕事二年目から、徐々に私はしんどくなってきた。


それでも5年は働いたのだけど、最後は体調も崩すし、人間不信にも陥るしで、2020年はコロナがなくても、私はヒジョーに、ヒジョーに!!(大切なことなので、2度言いました) しんどかった。


もう、げっそりとなるほどに。

アレルギーを起こすほどに。


そんなになっても辞めるって決めるまで、自分の中でめちゃくちゃ葛藤があった。これは私の我侭じゃないのか? 辛抱が足りないのでは? こんな大変な時に辞めるなんて、私はどれだけ無責任なんだ?



結局しんどかった原因は、

私って敏感さんだったらしく、常に人の感情を拾っていたんだよね。

そりゃ疲れるよ。しんどくなるよ。でもそれに全く私は気づかないで今まで生きてきたんだわ。


二十代の頃はしんどくても、まだ体力があったから何とかなってたんだろうね。毎週どこかに遊びに行っていたし、ライブにもガンガンに行っていたし。


でも四十も過ぎて、五十が近くなる頃には、体力的余裕もなくなってくるね。(私はなくなったし、今は『命の母』にお世話になっております)



そんな時に出会ったのが、九星気学というモノでした。


その時は別に鑑定士なんてなろうなんて思ってもみなくて(でもなれたらいいなって思ってた。それくらい気学を勉強するのは楽しい!!)、私は日盤吉方を取ることに、すごい情熱を燃やしていた。


毎日私の吉となる方位に行って、そこで

で出来たものを体に取り込むだけで良かったから。


難しいことなんて、一切なし!

一人でコツコツとするのは苦にならなかったし、何よりそれは、すごく気晴らしになったから。


今でも毎日日盤吉方を取っているけど、取らない方が気持ち悪いと思うくらい、それは私の生活のルーティーンになっているのね。


明日香先生の公式HPはこちらから。


ちなみに私も気学を教えております。


気学は学べば学ぶほど、どんどんとわからないこと増えていくという深遠な学問です。もう痺れるよ!








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