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ウェルカムパーティーの定義

 招待状は届きましたか。

◆ ◆ ◆
 今のベトナムの仕事に勤めて、1か月がたとうとしていた。仕事はよくわからないままだし、ベトナム語はよく聞き取れない。社員の名前だってあやふやだ。
 このままではよくない。どうしようと考えた結果、1歳下の、しかし勤続4年で仕事は僕より断然できるベトナム女性に社内チャットを送った。
「おれのウェルカムパーティー開いて」
 すぐに返信が来た。「わかった!」
 飲み会はすべてを解決するとかってに僕は思い込んでいる。あるいは、飲み会はすべてをうやむやにしてくれる。
 ただ、ウェルカムパーティーの開催は、祝福される側が依頼するものだったものだろうか。
 僕のかわりにいろんなひとに声をかけてくれと依頼すると快諾してもらえた。この女性は、顔に武士の渋さをたたえているので、ここではもののふさんと呼ぶ
 もののふさんから、質問が来る。
「お金は、みんなであなたにおごればいい? それとも、そっちがみんなのぶんを出すの?」
 いくら僕より仕事ができる相手とはいえ、年下の女性にそう訊ねられてしまうと、薄っぺらいプライドがたぎるというもの。
「おれが全部はらうに決まっているだろ」
 これは、はめられたのではないかと思ったが、たしかに気持ちもよかった。僕は誇らしげな心持ちのまま、もののふさんに追加でチャットを送る。
「だから、あんまりひとを呼ばないでね」

◆ ◆ ◆
 社員のベトナム人がみな入っているグループチャットに、もののふさんがチャットを送る。
「みんな、さかながウェルカムパーティーを開いてほしいらしいぞ。おい、さかなもなにか言え」
 さかなとはこの文章内における僕のことである。こいつ、めちゃくちゃ雑じゃねえかと僕は悔やんだ。ただ、悔やんでも遅いので、「おれのウェルカムパーティーを開いてほしい」と伝える。「おれがおごるから」
 みな、テンションが高かった。参加・不参加の回答が飛びかう。おい、あんまり参加するなよと思いながらみんなの動向を監視する。
 おっかないベトナム人女上司も参加しそうな雰囲気である。これはいい。距離を縮められる。
「せきが止まらないから、お酒飲めないかも」と女上司が言っているので、「お酒飲まなくても、僕のとなりに座ってくれればそれでいいです」と返信する。
 よし、酒の場を借りて僕が仕事をしやすい環境にしてやろう。

 ◆ ◆ ◆
 ウェルカムパーティー前日、僕は女上司にとんでもなく怒られた。理由は仕事についてなのだが、「もうお前とは仕事ができない」と言われた。試用期間1か月未満で僕はクビになったのかと頭がまっ白になった。
 まっ白な頭のなかにぷかぷか浮かぶ字面が「明日のウェルカムパーティー」であった。もう、これは中止したほうがいいのではないか。女上司の怒声が事務所全体にひびき、だれもが息をのんでいる。
 もののふさんから「今、女上司は興奮しているから少し時間を空けたほうがいい」とチャットが来た。後輩のフォローに抜け目がない。その細やかさをウェルカムパーティーを全員に呼びかけるときにも持ち合わせてほしかったが、そんなわがままはいえない。
 もうひとりいる、1歳下の先輩女性からもなぐさめのチャットが来ている。ただ、個人的に一番よかったチャットが、人事の女性から届いたものだ。
「おい、今日お前の給料ふり込んだぞ」
 お金で元気を出そうとしているその気持ちが、とても人間的でおもしろかった。ただ、人間はどん底に落ち込むと、お金のにおいが鼻をかすめても心がわかないと学んだ。
 近所のコンビニに向かって外に出たときの、空のすんだ青さを僕はきっと忘れないだろう。

◆ ◆ ◆
 都合12人が席につく。剽軽なベトナム人男性が僕の右どなりに座って、メニューを開いている。僕をふくむ全員から「適当に料理をたのめ」と命じれて、その男性はけなげにメニュー表をめくっている。
 センターに座った僕の右斜め前には、女上司が楽しそうな顔で座っている。
 結局、めちゃくちゃ怒られたあと、もう一度女上司と話し合いの場をもうけて、なんとか許してもらえた。こうして、僕はぶじにウェルカムパーティーを開けた。どうしてもてなされる側の僕がずっとこんなひやひやしなければいけないのだろうか。
 ビールが届き、みなで乾杯をする。しばらくすると、女上司が僕に言う。
「さかな、ここにいるひとたちの名前を順ぐりに言え。言えなかったらビールを一気飲みだ」
 もてなすという動詞はベトナム語にないのだろうか。結局、3回言えなかったが、そのたびにへへへへへとみっともない笑みを浮かべることによって一気飲みを回避した。
 それでも楽しい時間をすごし、いよいよお会計となった。中心地とはいえローカルなお店だからどうせ金額は大したことがないだろうと思い、店員が持ってきたレシートを見る。
 日本円で2万円。ベトナムの物価で考えると、息が止まりそうになる額。
 なんでもない顔でデビットカードを店員にわたす。当然、参加しているみんなは自分の財布をとり出すそぶりも見せない。
 帰りは、もののふさんのバイクに乗せてもらって家まで帰った。途中で見た丸いお月様は、僕の心に寄り添ってくれているようだった。

◆ ◆ ◆
 次の日は気持ちが悪かった。ひさしぶりに深酒をしたのだからしょうがない。
 ウェルカムパーティーはもういいかなと思いながら、僕はベッドの上でしばらく苦しみ続けた。

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