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幸福なバケモノ

 え、幸せですけど? 

 ◆ ◆ ◆
 33歳か34歳の、大学の先輩が入籍をした。心から「幸せになってください」と伝えた。
 相手とはアプリを使って知り合ったらしい。じつはベトナムでもTinderが使える。国すら関係ないとは、便利な世のなかになったものだ。
 しかし、僕は今年で30歳になるというのに、彼女が一度もできたことがない。そうなると、どうなるか。彼女という存在にだんだんと恋焦がれることがなくなる。
 色褪せたバケモノの誕生である。

 ◆ ◆ ◆
 同世代のみなは結婚をしていて、子どもを産んでいる者も多くなった。
 うらやましいなと思う。「結婚をして、子どもを持つ」という願望を持てることが。
 人生における多数派の感性を持てることは、一種の先天性の幸福だと思っている。いや、「家庭を持つ」という願望が先天性なのか後天性なのかはいまいち線引きができていないけれど。
 僕の幸福は、自分ひとりで完結するようになり始めている。まずいなと思う。ひとりさびしく老いた体を、だれにもたよれず、寄り添えず、自分だけでいたわるという未来にはおびえてしまう。
 それでも、なにも動けずにいる。
 めんどうくさいバケモノの誕生である。

◆ ◆ ◆
 数日前、取引先が開いていた新入社員歓迎会に招待してもらった。
 日本語が堪能なベトナム人女性スタッフが7名ほど参加していた。全員に彼氏がいないということであった。
 もしかしたら、ふつうなら浮足立ってかたっぱしから連絡先を交換して、今後の関係性の発展を望むべきなのかもしれないが、とくに行動に移せることもなく、解散となった。
「いやあ、僕はべつに」などと生意気なことを考えるべきではないかもしれないが、僕はべつに、なにも発展を望まなかった。
 傲岸不遜なバケモノの誕生である。

◆ ◆ ◆
 それでも、自分のなかに幸福を見つけられているこの現状に、まちがなく満足はしている。
 このままでもいいかとからみ合った感情をすべてブラックボックスに放り込んで、のほほんと生きることを選んでしまう。
 幸福なバケモノの誕生である。

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