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建築家に憧れていた


はじめに

小田和正は早稲田の大学院の修士論文で「建築との決別」を発表し、教授陣を白目させたそうですが、その後のオフコースの活躍を考えると、こんなに格好良いことありますかね。
記憶がたしかなら「クリスマスの約束」で描いた絵も無茶苦茶上手でした。

なんとなく建築へ進んだ

私はといえば、算数と絵が好きなら建築をやってみたらという親の一言で建築学科を選択したぐらい適当でした。
親の敷いたレールに安易に乗ったわけです。まずは大学入試。浪人したくなかったので大学を3つ選択しました。結果は1勝1敗でした。3校目は受けませんでした。その大学は工学部で入学して2年になると、土木・建築のコースに進み、その半年後でしたか、こうしてなんとなく建築に進みました。

建築家に憧れていたけど

0からモノを生み出す建築家に本格的になりたいと思ったのは建築学科に進んでからしばらくしてでした。とにかくぼんやり生きてました。

製図室で個別に製図台を与えられてドラフターではなく平行定規で図面を描く、模型を作る。これが楽しかったですね。
ただコンセプトを考えるのがとにかく苦手で何故その形が良いかという理由は常に後付だった気がします。

設計は真似から入る、今まで誰も思いつかなかった案なんて早々出てこないと親から諭され、そこはなるほどと思いました。そして建築雑誌を図書館で読んだり本屋で立ち読みしたりが始まりました。

当時雑誌に登場していたのは日本人だと安藤忠雄、伊東豊雄、磯崎新、谷口吉生、槇文彦等々でしたかね。海外の人だとレム・クールハース、バーナード・チュミ、ジャン・ヌーベル、レンゾ・ピアノだったかな。巨匠と言われるコルビュジエ、ミース、ライト、ルイス・カーンなどの本や雑誌も読みました。

ただ途中を省略しますが、根性やセンス等々いろんな意味で建築家にはなれないと悟りました。

好きだった建築家

学生時代好きだった建築家は
今挙げた方々はほとんど好きだったんですけど
クールハース、忠雄、豊雄、谷口吉生だったかな、忘れました。

クールハースは世界の中心でしたし
忠雄は打たれっぱなしボクサーとか冗談ネタにされてましたが
形が恰好良かったですし
豊雄は今のガラスの建築の走りだったし
谷口吉生は何だったかな槇文彦と似ていて知性的で静かな感じですかね。

クールハースは図書館のコンペ
豊雄は仙台メディアテークのコンペ
谷口吉生は葛西臨海水族館を見て
とかでした、たしか。

その後は、シーラカンス、内藤廣、藤森照信等々に興味が移りましたね。

今も好きな建築家

内藤廣と藤森照信は今だに好きですね。

あとは巨匠の海外の建築を見たいですね。
ガウディはバルセロナに行ったときに一通り見ましたが再訪したいですし。
ミースのバルセロナパヴィリオンは格好良かったです。
コルビュジエのサヴォア邸とロンシャンの教会などなどは
見に行きたいですね。
ルイス・カーンとアルヴァ・アアルトの建築は現物を見に行ったことないので見に行きたいですね。

そういう意味では、円高を待ち望むところです。

余談

長くなりすぎたのでこの辺にしておきます。
今をときめく誰かさんは嫌いです。
学生時代の設計課題でけちょんけちょんに言われたことの恨みも
なくはないですが、商業主義に走ってるのがイマイチ
Ⅿ2も最悪のポストモダン
地方で干されている時の建築は良かったと思いますけどね

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